先週から積雪となり、雪が残ったまま年越しとなりそうである。昨日、自宅の(手抜き)大掃除、今日、実家の大掃除と例年通りの動き。
「墓碑銘2011」特集が新聞に載っている。ああ、この人もそうだったと感慨深く読む。今年は、中村富十郎、細川俊之、長門裕之、児玉清、原田芳雄、竹脇無我、杉浦直樹、中村芝翫と、昭和を彩る名優たちが多くみまかったのが印象に残る。以下、何人かについて短くコメント。
○児玉清。若い頃、俳優として巧くはなかった印象があるが、後年、読書家として広範な知識を持つ知識人として司会業などで自分の立ち位置を固めた。持続的努力の結果、成功した晩年という印象。常々、敬服していた。
○長門裕之。先日のテレビ番組で、彼の妻南田洋子への愛情が本当に深く生涯一貫していたことを改めて知り、「鴛鴦の契り」とはこんな二人のことをいうのだなあとただただ感服。
○前田武彦。私は、ラジオ「ヤング・ヤング・ヤング」を毎日楽しみにしていた世代。子供心に、ためになる話と新しい音楽を提供してくれる人として好きだった。芸能界を干されたりと色々あったが、最後まで我々世代には気になる人であった。生え抜きのテレビ・ラジオ業界の人の中で、永六輔などと共に「知識人」を感じさせる最初の人だったのではないか。
○立川談志。毒舌、いいたい放題、自由奔放の生き方が我々凡人には羨ましかった。彼の人気にはそういう側面が絶対にあると思う。
○ピーター・フォーク。大人気だったNHKーTV「刑事コロンボ」。風采が上がらない役で、犯人バレからスタートする展開が斬新だった。後続の「警部マクロード」(主演デニス・ウィーバー 二〇〇六年死去)と共に毎週楽しみにしていた。
○谷沢永一。関西大学の近代文学の教授。学生時代、彼の論文と短い書評を愛読した。厳しい批評精神、短文でもキレのある文章に感心し、模範にしようと思った。晩年、世間的に有名になったが、そのあたりからはよく知らない。
○中村とうよう。洋楽を本格的に聴き始めた七十年代、彼の音楽評論をよく読んだ。
○森田芳光。訳が判らないシーンが沢山あって、一歩間違うと自己満足の芸術趣味に陥る一歩手前にもかかわらず、逆に言うと、現代を実にうまく比喩させた「家族ゲーム」(一九八三年)の監督として強烈な個性を感じた。去年、金沢が舞台の「武士の家計簿」で久しぶりに彼の映画を観て、その成熟ぶりに感心した。あの若手の旗手だった人が、今やツボを押さえた熟練の職人になっている。地元ケーブルテレビでロングインタビューが放映され、その印象はより強まった。渋谷円山町の料亭の息子で、親に大借金して一か八かで処女作を撮った話。元々、映画志望ではなかったが、大学紛争の混乱のため仕方なく撮り始めたというエピソードなどが面白かった。ギャンブル好き、エネルギッシュで元気一杯な印象だったので、年の瀬の死の報道にはびっくり。今後、名作を連続させ、名匠となる得る人であっただけに残念。
最後に、震災で突然長くあるべき人生を終わらされた人々に……合掌。 よいお年を。
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