ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年11月17日 :: 四半世紀前の講演会(江藤淳4) |
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私にとって、江藤淳はそんなに親しい存在ではない。『夏目漱石』(東京ライフ社)『漱石とその時代(全五部)』(新潮選書)などの著作を持つ漱石研究家であり、『成熟と喪失』(河出書房)で第三の新人を、『奴隷の思想を排す』(文藝春秋社)で既成批評を批判した文芸評論家としてのイメージで終わっている。他には、随筆数冊読んだ程度。昭和五十年代、保守思想への大転換といったニュアンスで話題になったことは知っているが、その戦争論、公私論を私は読んではいない。 そんな熱心な読者でもない私であるが、その昔、正確に言うと、昭和五十七年六月三日、「私の漱石研究」という演題で、大学に講演会にきて、謦咳に接したことがある。比較文学がご専門の恩師K先生のつながりでお呼びすることができたということで、司会進行は、そのK教授だった。七年ほど前、比較文学的考察『アーサー王伝説と漱石』(東大出版会)で博士論文を提出し、学位を授与されたことが話題になっていたので、当然、比較文学論的に分析するのだろうと思っていたのだが、自分がどういう状況で、なぜ『夏目漱石』を書いて世に出たかという回想的な内容だった。 その時、彼は東工大教授で、理系の生徒の中で文学に興味を持っている生徒が集まってくれる方が、気持ちよくつきあえるというようなことを言っていた。そういえば、同じく文芸評論家の磯田光一も、大学では英文学の先生をしていて、国文学を生徒に教えるのは嫌だとはっきり言っていた。そのほうが、教育と仕事は別と割り切れるというようなニュアンスで、妙に納得した覚えがある。それに似ている心境なのかもしれない。 講演の話に戻る。実は、その時、カセットを回していて、今でもテープが手元にある。落ち着いた語りぶりで、淡々と話されいるのが印象的。最初と最後に、K教授のお声も入っていて、無性に懐かしい。 二十年ぶりに聞き直した講演は、当時より何倍も感銘深かった。ただ、A面が終わっているのに気づかず、B面との間に十五分近くの空白があることに、今回、気が付いた。そういえば、そうだった。四半世紀前、ちょっと失敗したなあと思ったことまで、今、まざまざと思い出す。 あの時、私は「研究者」江藤淳を期待し、肝心の漱石自体に何ら触れられなかったことに不満を持ったのだが、今聞くと、実に率直に「批評家」江藤淳の誕生秘話を話しているのであって、その中に彼の個性を聞くことができる。どうも、当時は、聞く観点が間違っていたのである。 彼は、若い頃、結核を患ったことが、ものの考え方に如何に大きな影を落としているかを繰り返し繰り返し述べている。何時死ぬか判らない存在としての自分を見つめてのスタートということである。 そう考えると、彼にとっては、健康な時は、できる限りの仕事をしよう、でも、遠かれ近かれ仕事ができなくなる時が来る、それを強烈に意識しながら、誠実に働いてきた人物なのだということが、穏やかな語り口のなかに看取できる。 戦争で自分の上の世代が多く死んだ。自分も若くして死すべき状況だった。それが、僥倖にも、六十歳をこえるまで生きてきた。そうして、妻の死、脳梗塞による制限。もはや「死して已むべし」という意識だったのだろう。 もちろん、私は、四半世紀前、元気だった頃の講演から、自裁の思想を無理矢理酌み取っているだけで、『妻と私』を読んで感じたのと同じような、既定化された地点からの御都合主義的感慨にすぎないような気はする。 だが、そうであっても、なぜか、『妻と私』以前から、以前も以前、青春期に病気をした時から、彼の「生」への考え方は、ほとんど変わっていないように思えてならなかった。 以上、何の分析にもなっていない。『妻と私』と講演を聴いただけの素朴な感想である。
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