ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年05月25日 :: ライカの目 「木村伊兵衛の13万コマ・よみがえる昭和の記憶」(NHK教育ETV特集)を観る |
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先日、テレビのチャンネルをまわしていて、偶然、木村伊兵衛の写真が目に入ってきた。NHK教育だから「日曜美術館」か何かだろう、夜の再放送を録画しようと流し聞きしていたら、一向に一区切りする気配がない。終わりのほうになって新聞を見ると、上記番組の再放送だという。よい番組だったのに録画しそこねて残念なことをした。大抵、こういうものは後で悔いるものである。 有名な本郷森川町の交番辻の人通り写真や、農家の嫁の乳やり写真の前後のコマをすべて紹介して、彼のファインダー越しの意識の流れを跡付けているのが興味深かった。やはり、発表された写真が誰の目にもベストのチョイスである。 それにしても、彼の写真は懐かしい。昭和二、三十年代、忙わしく未来にしか目を向けていなかった日本人の中で、刻々変貌する都市を写真に留めることが、記録以上の普遍性を持つようになることを、彼は当時からはっきり自覚していたに違いない。都市に「棲息」する都会人を、遠景でも、至近距離でもなく、中景として、まさにその距離感で焼き付ける、その間合いこそ都会そのものなのであると主張しているように感ずる。番組でも触れていたが、それは、秋田での写真が、農村の生活に入り込み、密着して撮られているのと対照的な手法であることからも明らかである。 川本三郎は、この中で、木村の写真には、芸術写真として対峙する見方と、そんな木村という表現者の表現であることを忘れ、純粋に懐かしい思いをさせる写真として見てしまう二つの要素があると指摘していたが、そのミックスにこそ彼の写真の本質があるのだろう。そして、それは何も木村だけではなく、写真の持つもっとも根元的で最大の力であるはずである。現実を写す記録性は、いずれノスタルジーを発する。それを嗅ぎ分ける動物的な勘、それに、絵として切り取る芸術全般に必要とされる感受性、そうした写真家の基本を最も理想的な形で開花できたのが木村であるという気がする。現代では、当たり前のこのことに、木村は早くから気づいて実践していた、その先駆者として彼はいる。その意味で、幸せな芸術家であった。現代でこれをやっても、もう木村伊兵衛「ふう」にしかならない。スナップという写真ジャンルが、彼の呪縛から未だに逃れられていないことを考えると、彼の大きさが判る。 ただ、高度成長が安定期に入った七十年代、彼の写真には、以前のような力がなくなったような気がした。農村に土に暮らす生活がなくなり、また、都市と人間が「中景」でのつながりを喪失したからだろう。写真家は、既に現実には失われた関係性を、自己の方法論をなぞる形で、どこかにないかとほじくり出すしかなくなったからだと言えはしまいか。 人間、幾つもの方法論に華麗に転身し続けることなど出来はしない。昭和三十年前後、そこに伊兵衛はいる。
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