ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年05月30日 :: フジ子・ヘミングを聴く |
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今月上旬、「題名のない音楽会」(テレビ朝日系列)で、イングリット・フジ子・ヘミング(p)のインタビューと演奏を聴いた。テレビのドキュメンタリーがきっかけで発掘されたピアニストで、その番組は見た覚えがある。耳の障害のために不遇時代が長かった伝説の人。有名になって、それなりに時がたったが、しっかり演奏を聞いたのは初めてである。以下、十五分ほど聴いただけでの印象。 インタビューの中で、グレン・グールトの「ゴールドベルグ変奏曲」を聴いて、この演奏が喝采を浴びているなら、私もこれでいいと自信を持ったという言葉が印象的だった。 演奏は、かなり個性的で力強い反面、リズムが後ノリで重たく、妙な間があって、そこに日本人のリズムを感じさせる。 この二つのことをつなげると、つまり、フジ子流のグールド精神和風バージョンをやっていると思えばよいのだろう。ちょっとアクのある演奏である。 確かに、西洋の真似をして、いかにそれらしく弾くかというところに力点があった時代は終わった。 私が二十代後半、ある在欧の日本人ピアニストが、次々にモーツアルトを録音していて、私も一枚買ったことがある。楽譜的には完璧なのだが、中身というか精神が何もないのに驚いた覚えがある。一聴、日本人と聞かされなければ向こうの人だと思う演奏だった。それほど西洋的な演奏の雰囲気をたたえていた。でも、どこにも、その人を見つけることが出来なかった。あとで、西洋の批評家が同様の批判をしていることを知って、こっちは同胞、贔屓目に聴いているはずだから、西洋人には、不気味にさえ映ったのではないと思った覚えがある。 フジ子の演奏は、そうした過渡期を経た、日本人としての感性が感じられる演奏だった。開き直りというのではない。自信を持って、日本人的感性でいいではないかと主張しているように感じられた。 ただ、あまりによく判る日本的な解釈の仕方、間の取り方などに、なんだか、西洋音楽導入期の古くささのようなものもちょっと感じないでもなかった。おそらく、これは玄人受けしない演奏である。下手クソという批評も当然出てくるだろうなと予想できた。 そこで、ネットを調べると、やはり、以下のような評があった。 「フジ子が話題になるからと言って、若いピアニストがくやしさに身を震わせる必要はないのではないか。乱暴な喩えだが、食ってはいけないが優秀である声楽家が、驚くほど歌の下手なSMAPが紅白の大トリをつとめるのを見て悔しさに身を震わせるのが筋違いだということと同じであろう。 有能なピアニストが、フジ子に嫉妬する必要などない。そもそもジャンルが異なるのだから。むしろ、それまでピアノ音楽に関心のなかった人たちが、フジ子やマキシムなどで初めてピアノのコンサートに行き、クラシック作品の良さを聴き、耳が肥えてきて、他の「普通の」演奏家のコンサートにも行くようになるということだってあり得るのだし、何も嘆かわしい状況ではないように思う」(高橋健一郎研究室BLOG「プロのピアニストの嘆き」2006.1.14)
これなど、彼女を認めているようなフリをして、わざわざ括弧までして「普通の」演奏以下だと切り捨てている文章である。 この人に言わせれば、彼女のファンも「音楽はあくまでもBGM」でしかなく、「音楽の解釈がとても素晴らしいだとか、そんなのは基本的にはどうでもいい」人種なのだという。まるで無知蒙昧の徒のような言い方である。彼女の音楽なぞ、ちゃんとしたクラシックとは到底認められないが、音楽を「消費」ととらえたり、「ドラマチックに伝えられた彼女の人生をそこに重ね合わせて、しばし感動を味わうというのがメイン」の大衆を啓蒙する効用は認めようというのである。 言うなれば、自分は高みにいて、下々を卑下しつつ憐憫を施している格好。素直に「認めない」と言えばいいのに。この方、おそらく、あの滞欧女性ピアニストの完璧さなどは推奨し、中身には目をつぶってしまう方ではないだろうか。 彼女の演奏が「ジャンルが異なる」と言われるほどヒドイものなのか、私には判らない。でも、こんなスノッブというか、衒学趣味というか、嫌味な言い方はイヤである。読まなきゃよかった。 クラシックは、譜面通りだから、技術と解釈が表裏一体になっていて、なかなか不自由な世界だ。ジャズでは「ヘタうま」なんてのがあるが、そんなのは認められそうにない。長年聴いているジャズなら少しは自信を持って意見が言えるが、クラシックは心許ない。技術がどうだとか評価がどうだとかというところとは無縁な立場で聴いていくのがよさそうだ。半可通にならないように。感動した、その素直な心を大切に。ディレッタントが一番いい。
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