ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年08月12日 :: ルオー爺さんのようにね 「ルオー展」を観る |
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出光コレクションによる「ルオー展」を石川県立美術館で観る。いくつかの作品を各地の美術館で観たことがあるが、小さな額縁にキリストの顔を描く画家というくらいの知識しかなかったので、今回、楽しみにしていた。もちろん、暑さを避けるお出かけ企画としての意味も重々ある……。 最初に掲げられていた年表で、戦後まで生きた比較的最近の人であることを知る。それと、おそらく画風からだろうが、当初、彼を評価しない人々がおり、中年以降、広く名声を得た人のようである。 若い頃、ステンドグラス職人であったという記述を見て、彼の創作の根の部分に気づく。黒くて太い枠線の中に原色系の色を置く。特に、順路冒頭の「受難」(一九三五)の連作など、深い青色に枠が切ってあって、その一部にだけ絵が描かれて、古びた青銅に嵌め込まれたステンドグラスの趣そのものであった。 厚く塗り固めて立体感を出し、それを削ぐ手法で、地肌に陰影を加える。その絵の具の肌具合がいい。写真製版では絶対判らなかった質感である。 白黒の版画的な作品も、多くの技法が施されているそうで、近づいて眼鏡を外し、細部を点検すると、確かに単純な刷りものではない。ぺったりとしてしまいがちな単純な版画にはない白の輝きとグレーの深みを感じるのはそのためだ。 彼の作品は、太い墨でさくさくと書いたシンプルに見える絵が多いのだけれど、そこに多様な技法を使って塗りの陰影をのせる。だからこそ、対比的に深みの世界に到達する。笑っているかのようなキリストの顔の絵を観ながら、彼が新しいタイプの、まさに現代に生きた宗教画家であることを実感した。ただ、晩年は黄色が使われるようになってカラフルになり、多少、作風が違ってきたように感じた。ちょっと見る者の好き嫌いが出る。 茨木のり子の詩の一節に、「だから決めた できれば長生きすることに/年取ってから凄く美しい絵を描いた/フランスのルオー爺さんのように/ね」(「私が一番きれいだったとき」)というのがある。青春時代を戦争で奪われ、長生きを誓う有名な詩の末尾である。茨木さんは、こんなにたくさんあるルオーの、どんな絵を念頭にこの詩を書いたのだろう、聖書に材を採ったもの、あるいはサーカスの人々のほう? などと思いながら観て廻った。 帰宅後、この詩が載った詩集『見えない配達夫』が一九五八年の刊行であることを知る。まさにルオーの死んだ年である。この詩の正確な制作年月日は不明だが、この詩を彼女が書いた時、画家は存命中で、旺盛に「凄く美しい絵」を描いていたのかもしれないし、あるいは、ちょうど流れた死のニュースにインスパイアされてこの末尾が出来たのかもしれないということが判る。 いずれにしろ、単に歴史上の好きな画家だとか、長生きした芸術家の例としてルオーを持ってきたのではなく、同じ時代を生きたうらやむべき晩年を過ごしている人生の直接の先輩として、つまり、自分の身近な人として彼女は彼を想起していたということだけは間違いないことのようである。 一九五八年、二人の人生が私の脳裏で交錯した。 今年、茨木さんが七十九歳で亡くなっている。ルオー爺さんは八十六歳だ。若い頃の決心よりちょっと短い人生だった。
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