ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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初雷 文学座 第277回例会
開演前のアナウンスで、この芝居の演題が「はつらい」と読むことを知る。かすかに違和感あり。「初雪(はつゆき)とよむ伝で言うと、「はつかみなり」ではないのかしらん。こちらには「鰤おこし」という言葉もあるので、初冬の季語かと思っていたら、立春後はじめてなる雷のことをいうらしい。日本海側ならではの勘違い。タイトル的には、この家族の不協和を雷に喩えたものか。 女主人公理子は、若い頃、キャリア・ウーマンとして働いていたが、三十代半ば、死んだ義姉の代わりに兄の子を育てるため、会社を辞めて家庭に入る。しかし、子育てが終わった今、悔いが残らないよう、もう一度、外に出て働きたいという気持ちが強くなる。五十歳ごろ感じるであろう女性共通の焦り。それがこの芝居のテーマである。この家族の場合、兄と妹が子供にとって両親となっているので、子供が大人になると、彼女の存在が希薄になる。夫婦二人だけでもう一度、夫婦水入らずでやり直すという常識的パターンをとり得ないので、尚更、悩みは深刻である。 この主人公だけでなく、その死んだ年上の兄嫁もキャリア・ウーマンであることをやめ、義父の世話をするために仕事を辞めて家庭に入った人であることが明かされたり、姪が急に後妻として年上の男性の元に飛び込むという話が加わり、連鎖のように三つの女の生き方を繋げて、観客に重層的に考えさせようとする。もちろん、キャリアを続けている元同僚との対比も忘れてはいない。その上、胡散臭げな義父の教え子という男性を登場させて、恋愛を絡めるなど、モチーフ的に複雑化させている。ただ、姪の結婚の話はだめ押し的で、蛇足の感があった。 家庭に入った女性の、この年齢になって感じる気持ちは、社会が成熟してきたからこその心情で、今の日本で大事な話には違いないし、家族の絆を考えさせるなかなか考えられた設定なのだが、小生は男なので少々主人公に感情移入しづらい上に、ほとんどを占める女性観客の年齢層は、実は、もっともっと、ずっと上で、もう済んでしまった話になってしまっていて、どうもテーマと観客層がマッチしていないような気がした。 全体的に、女性の生き方研究会が、討議前に観るべき恰好の教材といった趣き。(2009・3・29)
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地元コミュニティーFM放送を聞いていたら、四月の改変で、東京からもらっていた番組配信を全面的に停止し、自社番組とサイマル・ラジオ・ネットワークの番組だけにすると告知していた。 このミニFM局で、JーWAVEのJAZZ番組や経済情報番組を聞いていたので、私には大きな痛手となる。 郊外の小さな町の話題を、小学校の給食メニューまで細かに発信するローカル性と、ウイークエンド、東京の放送を中心に放送して、東京情報を発信する全国性がうまくバランスされていて、ダイアルを合わすことが多かった放送局だったのに……。 今後は、素人DJが入れ替わり出てきて、地域情報を微に入り細に入り流し続けるのだろうか。なんだか、それは、「地方新聞」が「ミニコミ誌」に衣替えするような感じに映る。 もらいものはイヤ、自分のところで頑張るという意気や良し。しかし、放送の質として高いかというと、それは別問題である。 (とはいうものの、元々、コミュニティー放送局なのだから、地域に特化して何が悪いと言われると、何も言えなくなるのだが……。) 楽しみにしていたいくつもの番組がぷっつり切れて、ただでさえ行きつけの店が潰れ続けていてガックリしている私は、「もうこれ以上、馴染みを奪わないでくれ!」気分で一杯である。
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万年筆を買い足していくと、筆箱の中でそれだけが光っていて、後は安物という格差が生じていた。そこで、この冬、ボールペン知識を仕入れ、しっかりとした外国製ボールペンを二本購入した。替え芯(リフィル)は、各々、パーカー系とクロス系。世界的にもっともポピュラーで、長年使用しても容易に手に入ることからの選択である。 外国のリフィルは、この二つの互換タイプか、筆記具会社独自のものであっても、タイプ別のシンプルな構成になっている。 それに対して日本のリフィルの型番は、以前に書いたように、各メーカーバラバラ、膨大な形違いがある。まるで迷路の森のような……。その上、同じ形でもメーカー毎に独自の型番をつけていて、どれが事実上同じなのかさえ素人にはよく判らない。 おそらく、メーカーとしては、替え芯交換では本体が売れなくなると思い、使い捨てを事実上推奨するかのような商売を、長年、推し進めてきたのだろう。新しい軸を出す毎にわざわざ替え芯を違えていき、交換を諦めてもらおうとしたフシがある。 結果、日本では、筆記具はインクがなくなると使い捨てるのが当たり前となって、高級品は育たなくなった。つまり、以前、傘について書いたことと同じようなことが起こって、業界自体が自分で自分の首を絞めて、安物生産に堕ちていったのではないか。 今回、インクが出なくなっていた手持ちの国産ボールペン四本ほどに替え芯を入れようと思い立ち、調べる過程で少し種類が判ってきて、一応、すべて生き返らせることができた。合致したリフィルを他の軸にも突っ込んでみて、合う合わないを試してみると、問題なく使える組み合わせを発見したりして、リフィルの迷路を小さく楽しんだ。ブログによると、マニアは書き味のよいリフィルをちょん切って、お気に入りの他社製軸に入れて楽しんでいるようだが、こちらは、まだそのレベルにはない。 先日、異動される方のお餞別に米国製のボールペンを差し上げた。その際、パーカー互換で交換すれば末長く使えることを忘れずに伝えた。 日本人全体で、積極的にリフィルを交換して使っている人はどれくらいいるのだろう。実は今回のお餞別、国産品にしたかったけれど、こんな現状では、インクがなくなったら捨てられてしまうのではないかと恐れて、できなかったのである。
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先に書いたが、体験実習のため、今年度後半、地元の大学を何校も訪れる機会を得た。どれも立派な建物で、某私立大学の学生食堂など、木をふんだんに使った、まるでカフェテリアのような雰囲気、壁にはオールディーズのLPジャケットが絵画のようにディスプレイされている。係の方によると、学生さんが、長い時間学校にいても苦痛にならないような環境作りを心がけたとのことで、少子化の今、お客さん集めの苦労を垣間見た気がした。 我々のような外部の人の受け入れ態勢も万全、楽しく実習を体験できるようにうまく配慮されていた。受け入れをコーディネイトする専門のセクションさえあるようだ。 ある実習、ピペットで液体を移す作業中、講師が「フラスコの間はできるだけ空けないようにしましょう。それがこの作業のコツです。空けると、途中でこぼす可能性が高くなりますよ」と注意を述べていた。 大人が聞くと、「コツ」というほどでもない、至極当然のことのように感じる。それを、わざわざ、そこがポイントだと一つ一つ強調しながら進む。話し方からして、実際の大学生さんにも、こうした手間のかけ方で教えているのだろう。懇切丁寧手取り足取り。 もはや、大学生ともなると、勉強は自分からするもんだ路線の影は微塵もない。大学教育も、我々同様、大きく変わってきているようだ。
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冬にしては温度が下がらなかった1月の休日、いくなら今と、河北郡の田圃の真ん中に出来た巨大ショッピングセンターに出かけた。女性ファッションは言わずもがな、雑貨の店が多かった。結局、百均で数点、食品スーパー部門で日配品を買っただけで帰る。 ここのところ増えてきたアウトモール(店の外に遊歩道がある)式は、天候の悪い北陸の地には不向きと感じていたが、ここは、ビルの中に通路があり、こちらの風土に合っている。休日とて多くの客が闊歩していたが、オープン三カ月で、もう閉店するテナントもあって、なかなか厳しいようだ。 人のいない田舎に舞い降りたように建てられた巨大売り場、平日の客の入りはどうなのだろう。また、近隣の小売店に与えた影響は如何ばかりだろう。中年夫婦はそんなところばかりが気にかかる。 2月の休日、仮オープンした武蔵が辻近江町市場をぶらつく。新規オープンの箇所は、ビルの中に通路をつくり、そこをこれまでと同じように対面販売の店にしていた。昔の雰囲気を残そうとした努力の跡があり、思ったよりイメージが変わらなかったのはよいことだと思ったが、少し、最近流行の「レトロ横町」「レトロミュージアム」的な「作られた昔」感があったのは、致し方がないことかもしれない。 以前、市場にくる地元民が減り、県外観光客が多くなったと危機が叫ばれていたが、今や、この市場は大事な地元観光資源という考え方が正しいことになってきた。地元客への便宜を最優先にサービスを提供した上で、通りすがる観光客も上手く満足させる両立型で行くのが繁栄の道なのだろう。上の階に飲食店を増やす計画も確かにいい考え。
先日、金沢駅東口、駅前通り商店街の老舗喫茶店「ティーランド」が閉店したことを知る。私が学生の頃からやっている片町・香林坊界隈の喫茶店は、ほぼ絶滅状態に近く、駅周辺では唯一この店が頑張っていた。去年の夏、時間あわせて久しぶりに入ったのが最後。その時も何十年ぶりかだったから、良いお客ではなかった……。 昨年来の不況で、我が家周辺のお店がどんどん消えている。ここのところ特に顕著である。経営が苦しくなっているところに、昨年来の世界的冷え込みの影響を受け、一気に加速したのだろう。 ご商売環境は大きく動いている。我々は好況の恩恵に預かる訳でもないかわり、不況をダイレクトに受ける仕事でもない。その環境を有り難いものとして、地に足のついた仕事をせねばならないと、ちょっと真面目に思った。
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若田光一宇宙飛行士が搭乗するスペースシャトル「ディスカバリー号」は明日16日打ち上げられ、長期滞在がスタートする。毛利さんが解説する特集TVも見た。それに因んだ話題。
先日聞いた宇宙開発の方の話によると、人工衛星で稼働しているのは十パーセント以下で、後はゴミとして地球を回っているだけらしい。某国は、実験と称して、その用済み衛星にミサイルを打ち込んで成功し、細かい破片を飛散させたという。宇宙におけるゴミの位置を点で示した図を見ると、地球全体を覆っていた。 それから暫くして、ニュースは、使用済み人工衛星同士が激突した旨、伝えていた。また、破片となって宇宙に飛び散ったようだ。無傷の状態の人工衛星回収でさえ困難な課題なのに、事態はどんどん不可能の方向に流れている。なんでもシャトル発射は、ゴミが上空を覆わない一瞬の時間帯を狙って打ち上げているのだという。 綺麗な空、その空もゴミだらけになっていることを知って、暗澹とした。お空も地面もゴミだらけの地球。
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職場の連絡黒板にこう書いてあった。 「△×の書類は○○日が〆切です。」 ああ、そうだったと、その日、慌てて提出する。 翌日、その黒板を見ると、まだ消されていなかった。 だが、よく見ると、最後の「す」のところだけ書き変わっていた。 「△×の書類は○○日が〆切でした。」 どうやら未提出者が大勢いるらしい。うまい。過去形の用法にもう一つ追加したいくらい。 「その事実がもはや過去であることを示すことで、早く動作を完了するよう暗に人に命令する用法」
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先日、建築家ル・コルビュジエのスイス時代を紹介するテレビを観た。写真でしか知らない代表的建築が細かいところまで映し出されていて、色々な発見があった。彼の母が晩年長く過ごした湖畔の細長い家は、裏に湖周回の道路が迫っていて、土地自体が細長い敷地だったからだなどといったレベルの情報なのだが、いい勉強になった。 BSの手塚治虫の代表作の解説をしたシリーズも興味深かった。その昔、新進の映像作家として奇妙な短編映画を撮っていた子息の真氏が、よき手塚漫画の解説者になっていたのも頼もしく、歳月を感じた。 我々はアトムの世代。虫プロ全盛期には、虫プロのカレンダーを飾ったりしたものだ。その後、倒産があり、こちらも成長して縁が切れた。だから、「火の鳥」も詳しくないし、「ブラックジャック」での復活も、そんなに興味が湧かなかった。 今回の番組で、後期の彼の概略を知ることが出来たのは収穫だった。幾つかの中で、「火の鳥」の輪廻を描いた小品、水俣病に材を取った「ブラックジャック」の一編が特に印象に残った。 決して漫画・アニメ界の中心を歩んでいた訳ではない彼の晩年。おそらく医師の視点を基盤とした死生観をじっくり醸成させていったのだろう、最後まで現代人に訴える作品を紡いでいた。自分の思想を盛る器としてというのが彼にとっての漫画だったようだ。今更ながら、分析に足る立派な作品群だと感嘆しきりだった。 このところ、テレビはもう駄目だ、見なくてもいいと思っていたので、テレビが我が家にやって来て、稀に、いい番組にあたると、ちょっと新鮮な感動がある。
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地元の老舗CDショップが事実上倒産した。大正年間、蓄音機専門店として開業以来、金沢の人間は、音楽と言えば、まず、この店のお世話になっている。私のレコード・CDもほとんどここから購入したもの。今日も、渡辺貞夫の旧譜が出たので買いに行こうと思っていた矢先の出来事で、新聞を見て驚いた。しかし、近年、客数が激減していることを、客の立場ながら実感していたし、会社も縮小に縮小を重ねてたので、遂に来たかという気もした。 私は、倒産の主因となったダウンロード配信を利用せず、CD購入を続けているので、即、困ることとなった。他にレコード店はあっても、ジャズの品揃えが充実している御近所店はない。ちょっとマイナーなCDとなると置いてあるはずもなく、結局、注文・お取り寄せとなる。そうなると、ネット上の在庫店を探して直接注文したほうが手っ取り早く、確実に届くというものだ。当座、私もそうすることになるが、こうして、ショップの存在意義は急速に低下していく。 ローカル新聞が論評するように、地元オーケストラのCD販売を援助したり、新人音楽家をプッシュするなど、音楽文化振興にも貢献していたし、そのジャンルに詳しい専門家がいて、安心して購入の相談が出来るなど、趣味の音楽探索が広がりのあるものとなった。 ネット販売は、自分で見つけて自分で購入するだけの世界。一人でも奥には進めるが、ジャンル横断的な広がりは覚束ない。人の輪・地元文化とも無関係。音楽も、孤独な「個」化の道を歩んでいるような気がする。 私たちの世代は、教室でツェッペリンがどうのジェフ・ベックどうのと、わいわい情報をひけらかして知識の深さを競い合っていたが、配信をイヤホンで聞いている教室の若者たちは、洋楽最先端を皆で共有して盛り上がることがあるのだろうか。
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冬の日のある日の新聞広告に、大橋照子の名を見つけた。医師会主催の「耳の日フェスタ」の司会で来沢するらしい。米村でんじろう氏の「楽しい理科実験」がメインなので、当日三月一日は、仕事分野が重なる愚妻も同行、参観した。会場の北国新聞赤羽ホールは初入場。会館奥にある曲線を多用したデザインの中ホールであった。 でんじろう氏のイベントは、親子で楽しめる理科実験を、助手をつかいながら、時には寸劇を交えて、幾つか重ねていくもの。「観客皆で参加する」というのがポイントだと思った。 人間の静電気通電実験では、多人数で手をつなぎ、実際に体験する。誰でもビリッとするのは判っているが、多人数でも、電圧は弱くならず、かなりビクンとくるということを全員で実体験することで、楽しさが出てくる。説明の仕方や効果面など、そんなところばかりチェックしていたのは、こちらの商売柄で、もしかしたら、嫌な客なのかもしれない。 お目当ての大橋照子アナを眼前に見るのは一九七八年以来。日本短波放送のスタジオにお邪魔して以来である。語りは、ナレーションで鍛えたベテランの風格さえ感じられるもの。私は、時折舞台に現れる彼女を拝見しながら、三十年前のあの頃を思い出して、懐かしい気分に浸っていた。 それにしても、片方はイベントめあて、片方は司会者目当て。一つのイベントを、夫婦共に楽しく見て、でも、全然、見ているところが違うというのが面白い。
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今年、各分野の専門家による特別授業や、大学に出向いての実習を理系の生徒とともに体験している。 例えば、コペルニクスがどう考えて地動説を唱え、ガリレオが受け継いで何をやり、ニュートンがどう続いたかの講義を聞いた次の回に、国立天文台の方の最新情報を聞く。なかなかうまくできている。 その若い天文学者さんの話で、現在、宇宙はどこまで解明されているのかがよく判った。今や天文学は、望遠鏡で眺めるだけでなく、スーパー・コンピューターによる演算やシュミレーションで実験的に考えていくらしい。そうした研究の進歩に目を見張った。しかし、考えてみると、作業は変われど、根底は「起こっていることへの疑問とその解明」である。気軽なパーカ姿の若手研究者も、まさしくガリレオの末弟子に違いない。 少し後にあった元宇宙開発機構の方は、今度は実際の宇宙飛行の様子を説明して下さった。これは、実際に宇宙空間で不都合がないよう、どう対処しているか、日本の宇宙開発はどこまで進んでいるかといった具体的な話。同じ宇宙の話でも三者三様で面白かった。 数学分野では、どうして円周率は求められたかという話を聞いた。途中の計算自体はよく理解できなかったが、アプローチの仕方は判った。πが既定の数字として勉強しているだけでは判らない、学問としての世界であった。 物理分野では、放射線が放出する様子を、よく冷やした箱の中で、霧の動きとして肉眼化する実験を見た。ラザフォード、キュリー夫妻など、お話でしか知らなかった世界を目の当たり出来て楽しかった。 この他、DNAの電気泳動実験、サッカリン(久しぶりに聞いた懐かしい言葉!)の精製、空気膨脹動力の発動機工作など、それぞれ大学の専門課程になって体験するような内容をアラカルト的に体験した。私が学生のころは、「生物」といえば、染色体で終わっていたので、生徒の実験レベルで、ほいほいとDNAを扱うこと自体に驚きを感じた。私は、人類の叡智って素晴らしい、いい経験をして、「学問」が好きになってくれるといいと素朴に思い続けた。全課程でほぼ理系を網羅しており、子供たちの進路選択に大いに参考になったはずである。おそらく、「若さ」とは、こうした刺激に人生を賭(と)して飛び込んでいくことができるということなのだろう。 逆に、ロートルの私はと言えば、感心の連続ではあったものの、他分野を積極的に吸収して応用していく余力はなくなっている。食い付く気力が足りなくなっていることを実感し、ちょっと情けない気持ちにもなった。
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これまで、身なりに無頓着だった。生地がヘタってきても、まだ着られると平気で着ていたのだが、この数年で買い替えを進めた。 背広を一年間に数着購入。筆記具を万年筆にしたのはご存じの通り。ペンケース、名刺入れも革製に。透明ビニール傘はしっかりした傘へ。Yシャツも買い足しを続け、完全に世代交代した。足元は実用重視でゴアテックスの革靴を新調し、首から下げるIDカードフォルダーも革製にして、服の色に合わせ、支給品と使い分けるようにした。 で、どう変わったかというと、何も変わらない。人並みになっただけである。心理的にも、どう変わるか楽しみにしていたが、これも全然変化なし。おそらく、既にあるものを買い替えただけなので、新規の「驚き」がないのだろう。 この冬、父の使っていたコートが私のところにやって来た。英国製の品。肌触りがよく、お気に入りになった。そういえば、数年前、従兄弟の遺品分けでブランド衣類も沢山戴いている。大事に使ってあげることが供養になるという気がして、有り難く使っている。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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