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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2005年02月09日
  問題の解説をしながら思ったこと。  中村雄二郎「術語集」から
  評論の問題を解く授業を引き続きしている。今日は中村雄二郎「術語集」から。十数年前ベストセラーとなった「岩波新書」が原本だ。あの頃、早速買ってパラパラ読んだ記憶がある。何気なく作者紹介をみたら、「大正十四年生まれ」とある。ということは、今年八十歳。最近、華々しい消息を聞かなくなったと思っていた。ご高齢なので、壮年ほどの活躍ができなくなるのは当たり前である。その前の回にした小川国夫はとみると、「昭和二年生まれ」。七十八歳。「内向の世代」の作家も、もう高齢である。ただ、使われている写真は四十代後半といった精悍な顔立ちで、かなり、ギャップが激しい。
  自分が一番知的なものに興味関心があった時に活躍された人は、その時の見た目の印象が抜けず、それでイメージが定着してしまっている。自分がもはや中年の域にいるのに、なんとも身勝手な印象なのだが、ニュートンといえば林檎で終わってしまっているのと似ているようなところがあるのかもしれない。私の大学の恩師も、全員引退されご高齢。当時、中堅だった教授が、この四半世紀に何人も道半ばで逝去されている。ご健在の方が、今、大学の中心教授だ。月日のたつのは早いものである。
 今回の文章、一種の教育史概観。近代以前、子供は「とりかえがきく存在」であったが、近代のルソー以降、子供は「かけがえのない存在」になったというのが論の流れ。短い文章に実にうまく教育史を纏めている。授業の中心は、勿論、文章の読解で、面白くもないので、こまごまと小ネタを混ぜて、話を膨らませている。
 教育には認知説と連合説があることを、その昔、教育界で起こった「春の小川」論争を引いて説明したり、貴方が先生だったとして、粘土細工で友達の顔を作れといったのに、仮面ライダーアギドの顔を実にうまく作った生徒を、基本的には褒めますか、注意しますかと投げかけたり。これ、どんなにうまくてもスタートが間違っていれば意味がないと評価するか、スタートは間違ったが、努力もし結果も素晴らしいと褒めるのでは、子供が何を大事だと理解するか、行って帰るほど違うという例。大正期に自由主義教育観が入ってきたにも拘わらず、軍国主義によって滅んでいく様子を、黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」を例にだして説明したりもした。
 最後に、夏目漱石のエピソード。娘の早逝に対して、「またお子さんをお作りなさい」といって慰めた弔問客に、この子は一人しかいないと彼は怒ったという、大人漱石としては少々大人げないような気がするが、つまり、弔問客は、子供は多く生んでおけば、何人かは亡くなるが何人かは成長するといった近代以前の発想で慰めたのであり、怒った漱石のほうは、英国留学でヨーロッパ式の近代的子供観を体得していたのであって、このエピソードは、実に明治という過渡期の精神性を示しているという追加の話題をして解説を終わらせたりする。これはなかなか学術的な解説(?)でちょっと知的である。
 国語の教員としては、こうした一時間の授業の構成にはずいぶん気を遣う。一年間ずっとうまく話題と内容の絡んだいい授業はできないが、時に構成的に進行して、ぴたっと着地すると、教員は自己満足的に嬉しいものである。
[1] 

お願い

 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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