ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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亡くなった従兄弟は地元金沢在住。父の一番上の姉の子なので、従兄弟といっても歳は二十歳離れていて、私が子供だった時、もう大人だった。十歳しか違わない父とよく大きな声で会話していたことを子供心に覚えている。彼の母(私の叔母)は四年前に亡くなっている。その子なのだから、死は三十年後が順繰りというものである。四つしか遅れず逝ってしまって、きっと、あの世で、お母さんに、なんであなたはこんなに早く来たんだと怒られているに違いない。 死というものは、生者に申し訳なさを感じさせるもののようだ。奥さんは、死の当日の投薬の行動を悔やんでいたし、私は私で、ここ数十年、忙しさにかまけて、地元にも拘わらず、ほとんど会っていなかったこと、入院と知っていたけど、自分の体を言い訳にしてお見舞いに行き損ね、会わず仕舞いになってしまったことを悔やんでいる。 父世代の親戚縁者は皆高齢となり、体がお悪かったり入院中などの話が行き交っているが、年上とはいえ、いよいよ、その子供の世代に「死」は降りてきているようである。 今、どんな悲しみが私の心を満たしているのか、その心を探ってみると、どうやら、自分が子供の時、大人だった人たちがどんどんいなくなることへの淋しさがその中心のようなのだ。守られて暖かい部屋にいたのに、どんどん自分が部屋の外にいて風に吹かれねばならないようになってきた、そんな感じである。 中陰が終わって、すべてが一段落した次の日、私はS病院で自分の腰の手術を決めてきた。少しはよくなってきていること、二箇所損傷のどちらが重症か医者によって見解がちがっていてはっきりしないこと、手術自体きっぱり直ることが保証されているものでもないこと、などで、ここ半年、どうするか迷いに迷っていたのだが、遂にすることにした。今、職場では、1ヶ月留守にする仕事の遣り繰りや前倒しの仕事をこなしている。家では持っていくものの準備。準備そのものは、ホテルの長逗留とあまり変わらない。 色々な人に助言を求めたが、確かに悩みますねと言ってくれるばかりであった。それはそうだ。他人の体である。無責任に背中を押すことなどできない。 あとで、もしかしたら従兄弟が私の背中を押したのかなと思った。けれど、無理に繋げても、自分自身、納得する気持ちが湧かないので、そうでもないような……。この、もやもやっとした気持ちに整理をつけようと思って、ここ数日考えていたのだけれど、どうも、気持ちに理屈なんてそうすっきりつけれる訳でもなさそうだ。 「喪の胸に染みて冷たき春の雨」淳子ー昨日読んだ句集から。
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