ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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この成句、言葉は難しいが意味は判りやすい。その昔、ピアスをしていた女生徒に、この言葉を言ったが、当然と言うべきか、「?」マークの顔をしていた。意味自体が分からなかったようだが、わかっても、耳に穴を開けることが、親とどうつながるのかわからなかったろう。 高齢の私の父親は、あちこち体が傷んできてはいるが、元気に飛び回っている。それに比べて、この息子は、行動に制限が出て、親よりヨボヨボ歩いている。数ヶ月前、父親と話していて、「一生涯、病気を抱えて生きていかねばならないのかなあ」と、ボソボソ弱音を吐いたら、一級身体障害者(全盲)の彼から、「俺は若いときからずっとそうだゾ」と突っ込まれてしまった。うーん。「愚痴る相手を間違えた」。二人で大笑いになった。 話しながら、息子としては「身体髪膚、之父母に受く、毀傷せざるは孝の始めなり」というこの成句が心の中で鳴っている。毀してしまって「申し訳ない」ーそんな気持ちである。 一般的に言われることだが、天寿を全うした方の葬式は、悲しみの中にも落ち着きがあるが、親よりも先に亡くなった人のお葬式は、何とも悲しく辛いものだ。「先立つフコウ」は、勿論、「不孝」だと、知識では知ってはいたが、どうやら今まで「不幸」の方のニュアンスで考えていたような気がする。フコウは文字通り「不孝」なのだと、最近、実感している。 「手術〜切る〜毀傷する」という連想もあってか、この成句を強く意識する今日この頃。
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