ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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十九日、詩人の茨木のり子が亡くなった。大正十五年六月生まれ、この年の十二月に昭和と元号がかわるわけだから、まさに昭和の歴史と共に歩んだ人生である。詩誌「櫂」のメンバーのうち、川崎洋は既に故人、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信は存命である。 いい読者ではないのだが、この商売をしていると、よく教科書に出てきて、自然と目に触れることが多い人だった。 以前もこの日記で触れたことがある、彼女の『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)は、自ら琴線に触れた詩をピックアップして、それを分類しコメントをつける形の入門書だが、この詩人の現代詩への感じ方が裸形で提出されており、彼女のこころの在りかがよくわかった好著。ジュニア向けとなっているが、とんでもない、全年齢向けである。 特に、この本の前半に出てくる僚友吉野弘の詩「Iwas born」への短い解説は、簡にして明、この詩の本質をすっきり教えてくれて、さすがだと思った。 「生まれる」という言葉は受身形なんだねと子供が父に話すと、父は急に蜻蛉のお腹の中にはびっしり次の生命が詰まっているのだよという話を始めたという有名な詩。 茨木は、この詩を「受身形で与えられた生を、今度は、はっきり自分の生として引き受け、主体的に把握しなければならない」という、ある意味、辻褄の合わないことを人間はしているのだということを分からせてくれる詩だと解説するのである。幾千言費やしても、この言葉にまさる解説はない。一遍で納得してしまった。 教科書に一時期、この十行ほどの解説を加えて「生まれて」というタイトルで単元化されていたことがあり、以後、彼のこの詩を授業で取り上げるときは、彼女の解説付きですることにしている。 死亡記事にも「戦後現代詩の長女」という新川和江の有名な批評が引用されていたが、彼女の初期の代表作からは、確かに、手のひらを返したような戦後の時勢に対する違和感と、のびのびとした民主主義の息吹が感じられる。戦前の痛めつけられた鬱屈した心情は、彼女にとって青春の背景にすぎず、民主主義とともに自我を開花したのびやかさが眩しいほどだ。「私が一番きれいだったとき」「根府川の海」「学校あの不思議な場所」など、彼女の代表作を読むと、あの頃青春をすごした一人の聡明な女性の姿が彷彿とされてくる。 女流詩人は数多いが、彼女の詩、他の主婦的感覚の詩人たちより、なんだか、きっぱりとして男らしい。これも代表作「自分の感受性くらい」などでは、我々大人全員、彼女から「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と怒られているくらいである。 教科書には、異様にお若い頃の写真しか掲載されていないし、一度も映像などでお目にかかったこともないので、どんな感じの人だったのか、よく分からないが、写真の眼鏡をかけた知的なご容姿を勘案しても、おそらく、実際も、さっぱりとした気性でいらしたのだろう。 今、『詩のこころを読む』を再読中である。 それにしても、ここ一年、どうも追悼動機の読書が多いような気がする。
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