ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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歌詞を眺めていると色々なことに気づく。 「黄昏」が「町の灯がやがてまたたき出す」となり、最後には「夜空」となる。短い歌詞の中に時間の経過がうまく織り込まれている。 また、「フリーウェイ」という言い方で架空化させているが、その反面、「調布基地」「競馬場」「ビール工場」という、これまで歌詞にはそぐわないと思われてきた単語並べることで具体感を出している。実生活の仄かな露出による私小説的な親近感。よく考えられている。 大学時代、私自身は貧乏生活の連続で、中央道・首都高と直結なんてニュースは関係がなかった。車も当然持っておらず、大学一年に免許はとったがペーパーのまま東京時代を過ごした。車で高速道路ぶっ飛ばすなど夢のまた夢。この歌詞のように、所有のオープンカーで彼女を横に乗せてドライブするなんて行動に、密かに憧れをいだいていたのだろう。今から考えると、何とも小市民的でプチブル的だと思えるが、若者らしいと言えばいかにも若者らしい。今はそんな自分が微笑ましく思えてくる。この曲の懐かしさは、どうやら、あの時のそんな気持ちが根っこにあるようだ。 中央自動車道は信州方面に向かう大事な大動脈。多くの車が行き交う実利的なラインである。本来、デートの歌の場面になるような風光明媚な道路ではない。今は防音壁が高くなり競馬場も工場も見にくくなっているそうだ。 今から考えると、高速道路であるというただそれだけで憧れの対象になる時代だったのだ。この歌には、あの頃、高度成長時代の匂いが強くする。 さて、数日、頭の中でこの歌が流れていたので、身近な何人かにこの考証(?)を吹聴してみたのだが、そもそも二十歳代の人はこの曲自体を知らなかった。さすがのユーミンも、どうやらそのあたりで神通力が効かなくなっているようだ。
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