ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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降っているかと思えば一瞬青空が見えるというような北陸らしい天候の大晦日。丁亥(ひのとい)歳もそろそろ終わり。今年、私は年男だった。後何回この「年男」というやつが巡ってくるのだろう。十二年とは、考えてみれば何と長いスパンなことかと今ごろになってつくづくそう思う。
この日記をご覧の皆様、今年もご愛読ありがとうございました。更新は停滞ぎみですが、今後もこのペースかと思われます。ご承知置き下さい。来年こそ明るい話題の多い年でありますように。皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。よいお年を。
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今年、発症以来、始めて遠出らしい遠出ができたことが一番の出来事だった。久しぶりの大都会訪問で、遠く東京を歩いていること自体に感慨があった。これで普通の生活に近づいたという安堵感も湧いた。ただ、困ったことに、これまで通りの生活を心掛けていると、一緒に「不摂生」「不健康」という嫌なオマケもついてきて、どんどん太ってきた。これは大問題。 仕事では、今年、苦手分野担当となり四苦八苦している。時間がかかる割に進みが遅くて不正確。老眼進行によるミスも多い。暗澹とするがどうしようもない。気にしないようにして生きている。 反面、趣味は多少展開した。昨冬、米国の古い巨匠たちの写真展を観て以来、写真の歴史に興味を持ち、少しは深く観られるようになったような気がする。「ブレッソン展」もよかった。 その他、結局買わなかったが、自動車選びをしたり、アナログ・オーディオに興味を持ったり、文具にこだわってみようと思ったり、今年、興味が数ヶ月単位で移ろった。これは、心が外に向いてきた証拠だから、むしろいいことかもしれないと勉強そっちのけで時間を使った。もちろん、自己正当化である。 それにしても、今年興味を持ったものは、LP、カートリッジ、スピーカー、万年筆など古い技術のものばかりだった。私が老いて懐かし趣味に走っているというより、世の中全体が懐古期に向かっているのだろう。静かなブームが巻き起こり、それが管の如き私の視界にも入ってきて、御多分に漏れず惹かれていくという構図のようだ。 最近、何かを感じても、それは多くの人が既に感じていることで、自分は「マス」の中の小さな一員として同様に心動かしているだけだという気持ちが強くなっている。人がどう思っているか、その意見はメジャーがマイナーか、そんな意見の集約・計量化が瞬時に出来てしまうご時世である。だから、ネット巡りをするほどに「何をか書かん」の気持ちになってくる。「是れ日記更新のならぬ故なるべし」と多少の言い訳をして、今年の振り返りのまとめとしたい。 大遅れで、灯下、賀状を書いている。雷鳴でふと外に気がいく。窓の外は雪に変わりつつあるようだ。
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もう一年たったのかのという感慨を持ちつつ簡単に総括を。 今年の漢字は、事前の投票でも圧倒的多数だったらしく、案の定「偽」に決まった。偽造発覚が相次いだ今年、この年は嘘偽りの年であったと、後に記憶されるのだろう。他に、社会保険庁年金杜撰管理問題、毎日ある凶悪犯罪……。暗い話題ばかり。 また、今年は石油高騰の影響が出始めた年でもあった。相次いで生活品の値上げが発表され、少しずつ財布を直撃しつつある。この前なぞ、ガソリン満タンにしたら、請求された金額の多さにびっくりした。万札飛んでいく勢いである。そういえば、この前、個人タクシーに乗った時も、驚くほどジェントルな運転だったので、さすがベテランだと感心していたのだが、あれは死活問題として省エネ運転をしているだけだったのだと気がついた。 忘年会は何度か使ったことのある加賀温泉郷きっての老舗旅館。ところが、シーズンまっただ中にもかかわらず、閑散としていていた。前回来た時は、館内、人の行き来も多くて盛況だったのに……。まるで違う旅館のような雰囲気だった。この温泉場では、県外資本、バイキング・タイプの格安旅館が繁盛しているらしい。 この頃、不況感・失速感・閉塞感、あるいは、日本が壊れていくような危機感といったものが重く庶民の心にのしかかってきている。 その上に自分のことを加えれば、以前ほどパワーがなくなった自身に対する思い、老いの影濃い親を見つめる息子としての気持ち……。明るい気持ちにはなれそうもない。しかし、いや、それではいけない、前向きにと、なんとか気持ちを張りながら生きている、そんな心境である。他の同年代の方々はどうなのだろう。
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父の手術の際、インフォームド・コンセントとして医師による詳細な説明があった。その折り、貴方の歳では手術が成功しても完治するということはない。自分にとって、その回復が普段の生活にまず不自由ないものであったらそれでよしとせねばならない、という話があった。「治る」という概念が、若い頃と違って、「事実」から「心の持ちよう」のレベルに移行するのだということを、その時、理解した。 当初、回復が思うようでなく、夏にもかかわらず寒さを訴えて先行きが思いやられたが、秋頃より、少しずつ回復して歩行距離も伸びた。 秋、快気祝いをやってくれと本人から所望があり、家族六人集合して一席設けることになった。私はあの時の医師の言葉を思い出し、快気したことにしようと思った老父の心境に思いを致した。 十二月の日曜日、兼六園近くの料亭で開宴。家族だけで宴席に臨むのは二年半ぶりのことであった。手術以来はじめて酒を飲んだということで、おかわりをみんなに止められながらも、本人は上機嫌でよく喋った。 店を出て、金沢城址公園をちらりと散策した後、タクシーを掴まえた。外食しただけの些細な行事ではあったが、私は今日のことは何年先になっても覚えているだろうと思いながら車に揺られていた。
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そこで、二十年近く前に購入し、気に入って家用として大事に使っている私のペリカン万年筆が、どんな位置づけのものなのか、ちょっと興味が出て調べてみた。西ドイツ製との刻印があるので、ベルリンの壁崩壊(一九九〇年)以前の製品。 まったく同じものは現行カタログからは見つからなかったが、どうやら「スーベレーンM400」というシリーズのファーストモデル黒(1982〜1998製造)らしい。確か三ランクあった種類の一番下ランクのものだったが、当時は自分のご褒美に奮発したという感覚だった。14金ペン・インク吸入式。本当の万年筆愛好者が普段使いでどんどん使っているのがこのグレードらしく、身の丈にあったいい買い物をしたと今更ながら愛着が湧いた。 家にはもう一本万年筆がある。大学卒業のお祝いに戴いた国産品。当時は万年筆を贈るのが定番だった。これにいたっては四半世紀以上前のもの。長年使っていなかったのを筆箱から取り出してきて、軸を水に一晩つけ置き、自己流メンテナンスを施して復活させた。 確か、インクカートリッジが机の抽斗にあったはずと久しぶりに紙箱から取り出してみると、中のインクは、皆三分の一ほどになっていていた。密封してあっても蒸発するものらしい。ちょっとウイスキー樽の「天使の分け前」という言葉を連想したが、酒ならぬインクではイメージは膨らまない。古いインクはボディによくないということだが、まず、これを使い切ろうと、これも職場で稼働しはじめた。 このごろ、「書く」といえば、キーボードを叩くか安い軸細ボールペンばかりだったような気がする。筆を動かして文字を書くことを楽しむ。その楽しみのために筆記用具も楽しむ。(オーディオの記事でも同じような言い方をしたけれど……。) 私たちの子供のころは、鉛筆はどのメーカーのどの堅さがいいとか、誰それは金の輪っかがついている高級鉛筆を持っているとか、あの子は象が踏んでも壊れない筆箱を持っているとか、結構、文具にこだわっていたものだ。それは今の子供も変わらない。文房具屋さんで子供たちに混じって文具を物色していて、つくづくそう思った。 最近、書く道具にこだわってみようかと思いはじめた心の奥には、そんな、どこか懐かしいあの頃の郷愁が混じりあっているような気がする。
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夏、銀座をぶらついた際、有名な文具屋さんに入った。その目立ったところに、安価なプラスチックボディの万年筆が並んでいた。子供用の「ペリカーノ・ジュニア」と少し細軸のクリップ付き「ペリカーノ」。もともと私はペリカン万年筆の愛用者である。 何気なく試し書きしたところ、鉄ペンにもかかわらず思いのほか書き味がよい。自分用の東京土産が何かないかと思っていたところだったので、これにすることに決めた。どちらにしようか迷ったが、持った感じのよい子供用の方を買った。握りの部分が三角形になっていて、自然に正しい持ち方になる。以後、赤インクを入れて、赤ペンとして大活躍しはじめた。太字でインクの出もよく、かすれることがない。ペン先の傷みを気にすることなく、かしゃかしゃとマルをつけられる初めての万年筆ではないだろうか。ネットによると、数年前、ドラマで女優さんが使っていたのが話題になって人気商品になったのだという。後、地元でも売っているところを見つけ、人に勧めたりプレゼント品にしたりした。 全然知らなかったが、近頃は万年筆ブームだそうである。調べると、カジュアルでカラフルな、価格的にもすぐに手が出せる万年筆が色々出ている。スケルトンで吸入式、カラフルインクを入れると楽しそうなペリカン・デモンストレーター(限定品)、シンプル・デザインの定番ラミー2000、カラフルなボディとバネのクリップが楽しいラミー・サファリ、同じくカラフルなペリカン・フューチャー、二百円そこらで手に入るプラチナ・プレピー……。 この現象、ジェルや水性タイプボールペンの普及によって、それなら万年筆があるではないかということになったからだろう。エコロジーにも合致する。(つづく)
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先日、スピーカーの下に敷くインシュレーターが高価だと書いたが、特に驚いたのが、ごく小さな木片八個で一万円近くもすること。材質はアフリカ黒檀だという。何で黒檀なのだろうと独り言を言ったら、愚妻に「比重が大きいのよ。水に沈むわ。黒檀、紫檀、胡桃の木が代表的ね。」と間髪を入れずに返されてしまった。さすが理系の仕事で飯を喰っているだけのことはある。オーディオ的には、重いほうが変な振動をしないからなのだろう。 WEBの商品案内に「楽器にも使われている」とあった。それを覚えていて、吹奏楽の顧問の先生に、どんな楽器に使われているのかと質問すると、同じくアフリカのグラナディラ材と共にクラリネットなど木管楽器に使われている、楽器用の木は、今や貴重品種ばかりになってしまっていて、本格的なものは大変高価になっていると教えてくれた。今は代用品でいい音が出るものを研究していて、製品も出ているが、やはり本物にはかなわないという。確か、他にブラジルのペルナンブコというのも有名だよと教えてくれた。 すると、たまたま横におられた地理の先生が、それはブラジル木(ボク)のことだね。ブラジルの特産品だ。楽器のほかに昔は赤色の染料としても使われていたのだが、今はそんな使い方はしていないはずだと話に加わった。 私は、ブラジル分布の木だから「ブラジルボク」というのはイージーなネーミングですねと言いながらネットで確認してみると、安直どころか、ブラジルの国名の由来になった木とあるではないか。話が逆なのであった。ブラジルにペルナンブコ州という地方があり、そこのものを取り立ててそう言うようだ。主に弦楽器のボウ(弓)に使うとある。 こちらは趣味のオーディオの、ほんのちょっとした疑問を発しただけなのに、各方面から正確な知識がポンポンと返ってきて、いやはや、皆さん、さすが専門を持っている方ばかりだと恐れ入った次第。
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金沢二十一世紀美術館で開催中の「荒野のグラフィズム:粟津潔展」を観る。「教職員対象無料招待ウイーク」という制度を利用してみるのというのが今回の訪問動機だったので、どういう作家か知らないままの見学となった。 前半展示されていた現代アート作品は、シルクスクリーンの反復を利用したものが多く、正直、ピンとこなかったが、その中で、多色を使った縞模様のデザインだけはどこか見覚えがあった。 どこで出会っていたのか。その疑問は、展示後半、グラフィック・デザインの具体的な仕事である本の装幀を紹介したコーナーですぐに氷解した。彼がデザインした本を私はそうとは知らずに数多く目にしていたのである。ああ、この人ならよく知っている。イラストも雑誌や新聞で一時期よく見かけた。 最後の部屋。数多く手がけたポスターが丸い壁一面に時代順で並べてある。どこかアンディ・ウォーホルあたりを真似ているような前半のモダンアート系の作品より、こうした実用としてのグラフィック作品のほうに日頃の地道な仕事ぶりが感じられて好ましく映った。指紋、手相、ハンコ、モナリザ、阿部定、象形文字など、時代によりモチーフが多彩に変わっていくのも面白い。 手元のパンフレットに、彼は戦後グラフィック・デザン界の草分け的存在であると紹介されていた。調べると一九二九年生まれの方。今や八十歳目前の大ベテランである。六十年代後半から七十年代あたりの作品に、サイケ、ヒッピーなどをキーワードにする時代の空気がたっぷり含まれている作品が多く、観ていて懐かしい気分になった。 別の日、「アート・ナウKANAZAWA 第四十六回北陸中日美術展」を観に、あまり間をおかず美術館を再訪した。 抽象画中心だが具象画も時に混ざり、彫刻にも面白いものが並ぶ。水墨画や書も一枚ずつあって、その雑駁性がこの展覧会の楽しいところ。毎年恒例の鑑賞である。 昼に予定があって、展覧会のその日一番のりで入場し、混み出した頃には館を後にしたが、観光施設化しているこの館を地元民が利用するにはいい動き方だったかもしれない。
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ラジオを聴いていると、今日はジョン・レノンが凶弾に倒れた日だという話題が何度も出ていた。今から二十七年前、一九八〇年のこの日、驚きながらニュースを聞いたのでよく覚えている。 でも、日本が一九四一年この日未明、真珠湾を奇襲し太平洋戦争に突入したという話題は、私が聴いている限り一つもなかった。 我が父は、父(祖父)が「おい、米国と戦争になったぞ。」と言いながら二階から降りてきたので、それで知ったという。その家は今も我が実家なので、私は生まれてはいないけれど、その様子ははっきり思い描くことができる。 いつの頃からかマスコミはあの戦争の話題をあまり取り上げなくなった。しかし、日本が滅びの第一歩を本格的に踏み出した日である。せめて毎年ニュースで触れるくらいはしてしかるべきではないかと思う。今こそ、当時と違った意味で「リメンバー・パール・ハーバー」が必要なのではないのか。 夜、愚妻に「今日は何の日?」と唐突に問うたところ、「日本が戦争始めた日」と即答した。そうだよね。我々世代くらいまでは、それが当たり前の反応だったような気がするね……。
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若い同僚が学級通信用に「今年の漢字」について書いているのを見つけてパソコン越しに口を挟んだ。 「今年は、絶対、「偽」か「騙」だと思いますよ。」 北海道の精肉会社のデタラメぶりにはじまり、北海道や伊勢の菓子の日付偽造、高級料亭の謳い文句と違う食材使用など、嘘つくのが当たり前、見つからなければそれでいいといった世の中になっているのをまざまざと感じた一年だった。 さて、この予測、当たりますか? え? 余りに勝ち馬に乗るような予測で、全然、面白くないって???
そうかも……。
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立派な施設だという話は前々から聞いていた。理系の愚妻の希望で、11月の休日、秋の行楽として出かけた。行きは北陸高速道上り線経由で。こちら方面を走るのは何年かぶり。 勝山市に入ると、緑の麓にジュラルミンの巨大タマゴ状の建物が見えてきて、すぐそれと判る。内部も球形をデザインした構造で、エントランスから真っ直ぐ地下に降りる長尺のエレベーターが印象的な造りの建物であった。 展示は、多くの標本やレプリカが並び迫力がある。対面式巨大スクリーンで、自分がその場にいるかのような臨場感が味わえるプロジェクターも素晴らしい。 恐竜だけでなく、地質や地殻の展示、鉱石のコーナーも充実していて、つまりは「地学」全体の総合勉強場所という趣きがあった。そこも、この施設の大事な目的なのだろう。 あまり人気のあるコーナーではないが、その中の一つ「誕生石」のディスプレーだけは、ひっきりなしに女性客が時間をかけて見入っていた。これも鉱石の勉強に違いない。教育的な意図とは微妙にずれているようにも思えるが、世の中の大人の興味関心はそんなものである。 ゆっくりと恐竜の間を巡っていると、幼子を抱えたお若いご夫婦がぶつぶつ言っているのが聞こえてきた。 「ちょっと子供には早かったかな。こんなに怖がるとは思わなかった。」 小さなボクは、あちこち恐竜だらけで恐くてしかたなかったのだろう。もし私がこの頃の年齢で、自分の希望でもなんでもなく、ここに連れてこられたとしたなら、確かに怖がったかもしれないと思った。あの頃、大きいもの、自分が知らないものは、なんでもものすごく怖く思ったものだ。なんだか急にそんな自分の子供の頃の感覚を思い出して、懐かしい気分に襲われた。 愚妻は、骨格標本ばかりなので、子供は、こんな骨がのっしのっしと歩いていたのだと勘違いするのではないかと心配していた。子供の想像というのは、大人の通念とは無関係に突拍子のない広がりをみせるもの。そんな子供も確かにいそうである。 今までも展示はゆっくり観る人であった。それが、腰痛で一休み一休みしながらになった。だから、この館見学だけで一日が終ってしまった。 帰りは白峰谷峠越えのルートを通ったが、今から思うと、それが今年唯一の紅葉見物となった。
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レコードプレーヤーを買い直し、オーディオ趣味が復活したことが今年のトピックだった。休日は懐かしいLPを回す日が多かった。近年、アナログを聴いていなかったので、音質は期待していなかったが、存外、音が良いのに驚いた。時々入るスクラッチノイズさえ気にしなければ、CDの金属的な音より余程耳触りがいい。そこで、もっといい音で聴くには工夫が必要、大金をかけずにオーディオの改善を試みようと考えた。 まずは情報収集。久しぶりにオーディオ雑誌を繙いた。昔からある「ステレオ」誌。そのものズバリ「アナログ」という雑誌も出ていることを知る。読むと、昔と変わらないなと思う部分と、へえ、今はこうなんだと思う部分がある。 夏には秋葉原に赴き、大型店のハイエンドオーディオ・コーナーを覗いた。もちろん、高級機は買わず、ちまちまとレコードスプレーとクリーナーを買っただけだったが……。 そのスプレー、昔に較べて性能が上がっているようで、しっかり埃が取れる。クリーナーも、受け皿のエッジに簡単な埃取り装置がついていて便利。これで、片面終わったら針は埃だらけということがなくなった。 しかし、嫌ほど聴いたのに思ったよりノイズがないと思う盤がある一方、ほとんど聴いていないにもかかわらず、全編、バチバチいうものある。一時期、いい加減になっていたので、傷んだ針を通してしまったようだ。 その後、レコードの重石、スタビライザーを購入した。手にとっての第一印象は思ったより重いこと。載せるとレコードの中央レーベル部分が微妙に沈む。これで盤自体の振動を押さえこもうという発想で、実によく判る振動対策である。使うと音は低音が締まった感じになった。変化など聴き分けられないだろうと思っていたので、判ったこと自体に驚いた。間違いなくアナログには振動対策が必要なようだ。 次に、音量をあげて聴くようになったので、階下の住人の迷惑にならないようスピーカーを持ち上げることにした。調べると、既製品の専用インシュレーターは高くて、鋳鉄の小さな塊が何万円もする。そこで、ホームセンターに行って角材を切ってもらい、防振ゴムを挟んだ。二千円程度のお手軽対策である。床の振動はこれで減ったように思う。 ただ、筐体がゴムの上に載ったので、音はソフト傾向に。少し低音がぼんやりしたような気がした。昔、挟み込むものはブチルゴムなどソフト系素材が主流だったが、今は音の締まりを求めて硬いものを使うことが多いようだ。考え方が変わってきたのだろう。どうやら、ご近所対策とオーディオ対策は両立しないようである。 「音楽」を楽しみながら、「音」も工夫で楽しむ。音楽を流すという日常的な行為が、ちょっと新鮮に映っている今年。
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お願い
この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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