ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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七尾美術館にて写真家土門拳の作品展を観る。カメラ好き故に彼の作品はそれなりに知っていたが、今回、まとめて順を追って作品の変遷を展示してあり、全体像がはっきり掴めた。酒田に彼の美術館があって、いつか行ってみたいと思っていたので、近場でこうした展覧会があって嬉しかった。 以前、テレビで彼のドキュメンタリー番組を観たことがある。仏像と向き合い深く沈考、一発入魂、シャッターを押すという彼のイメージそのままで、既に車椅子、何人もの弟子を従え、如何にも功成った巨匠の仕事という感じであった。彼の印象は、そうした後半の「古寺巡礼」の時のイメージと、昭和三十年代の有名なスナップ集「筑豊の子供たち」とのふたつがあって、全然印象が違っていたのだが、今回、それが彼の人生として繋がって見えたのが私としての収穫。 最初期の白黒スナップを観ると、土門拳は最初から土門拳であることがよく判る。土門も東山同様、若くして才能があり、それを若くして発揮でき、かつ、若くして世に認められた人である。 彼もまたライカの携帯性の恩恵を受けたあの頃の写真家の一人だが、この時、まだ若造の仕事のはずなのに、とにかくスナップが上手いのに舌を巻く。スナップのお手本のような絵で、特に画面構成が文句なしである。軍事訓練を写した作品などの一連の描写から、シンメトリーや構図的なバランスへのこだわりがきわめて強いことが知られる。いわば崩れのない構図。 おそらく写真家は、こういうファインダーから見える風景だと、こういう構図が一番だと瞬時に判断し、その構図が事実の現象として完成するまで、短時間、じっと待っているのだ。スナップだから長時間という訳にはいかないが、とにかく待つ。彼のスナップからはこうした待っている姿が彷彿とされる。彼のスナップはだから厳密にいうとスナップではない。スナップがもたらす偶然の造形とはほど遠く、あくまでも隅から隅まで意志が漲っている種類のものだ。 だから、体を悪くして、外を飛び回ることが不自由になった時、そのスタイルが、一発入魂型になったは必然的な流れのように思えた。被写体を仏像や有名人の人物を選んで、被写体と会話をし、被写体が外に訴え表現しているものを見抜きそれをどう表現するかを考える。そこまでにえらく時間がかかるのだろう。我々がじっと仏像を眺めているのと最初の方はまったく変わらないと思うが、その後に、どう表現するかの熟慮がくる。その結論は彼の場合、ライティングで表現しているようだ。表情は光の当て方で大きく違う。最初、てっきりビデオのような常灯タイプの照明で写すのかと思っていたが、大型カメラ用のバルブ交換式のフラッシュでやっているらしい。点光源の魅力である。すべてが昔ながらのアナログで技量的にも難しい。 そうした彼の力量を堪能した上で、では初期のスナップと後期の作品とどちらが好きかと問われれば、やはり戦前や終戦直後のスナップ写真が素晴らしい。戦後の政治的な報道写真は彼の社会的な意図は充分感じられるのだが、あまり彼の個性を感じられないので面白くない。(つづく)
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