ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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私たちが普通観ることができる戦前のスナップ写真は古ぼけたものばかり。綺麗にうつっているのは写真館で撮った直立姿勢の人物記念写真くらい。戸外のスナップでこれだけ画質のクオリティが高く、写実主義の精神で写した写真を私は知らない。まるで、それら遠い昔の事実がつい最近のことのように我々の前に提出されている。 そのため、戦時中、出征兵士を見送る不安げな家族の写真など、日本人の顔など半世紀でそう変わるはずもないので、今、どこかにいそうなご婦人や娘さんのようだ。 赤十字の看護婦の実習写真の中に、実習を終えて現場に就く若い看護婦が杯を戴く写真があった。兵士だけではなく看護婦も水杯で戦地に赴いたことが判る。女性の水杯という場面を初めて観て、これまで思い至らなかった自分の不明を恥じた。土門も知られざるそうした情景を世に伝えたいという意図だったのだろう、こちらも突きつけられた画に否応なく思いを致さざるを得なくなる。「厳然と動かぬものとしてそこにある」といった訴求力を持った写真。 有名な「筑豊の子どもたち」の女の子、るみえちゃんの投げかける目もまたそうである。焦点の定まらぬ瞳の向こうに、写真家は行く先が見えぬ炭坑家族の不安を見て取って、あるいは、そういう意味づけをして作品とする。意味づけを受け入れる力がそのコマにあるか、それが作品の選択基準なのであろう。彼の作品にはこうした写真家の意図や思想が全面的に押し出されていて、近年のスナップ思想とは対極にある。 「筑豊の子どもたち」の写真は昭和三十四年、無邪気に遊ぶ江東の子供たちの写真は昭和二十年代後半から三十年代前半終わりごろのシャッターである。我々夫婦世代か、それよりほんの少し上世代。髪のカットのしかた、普段の服装も自分の子供の頃の記憶と同じ。もう少しこざっぱりしていたかもしれないという程度の違いでしかない。遊んでいる遊びもよく似たもの。その後すぐに高度成長期が来たので、古い記憶の中に残っているだけで、足早に消え去った風景。だが、逆に言うと、そういう記憶の最初の頁の景色ゆえに、この風景が戦後日本の原風景のように感じてしまうところが我々の世代にはある。 こうして自分と引きつけて写真を観ていると、なんだかんだと若そうなことを言っていても、自分の子供時代がもはや相当の昔で、今、自分がいい歳になってきているのだなということを実感する。
戦争は、その我々の幼い頃の記憶の、そのまた前にあった。 今年、戦後六十五年。米国は昨年核廃絶主義の大統領が就任し、今年、ヒロシマの式典に大使を送ってきた。そんな小さな変化はあるものの、戦争の風化は著しい。終戦特集の番組でインタビューを受ける人たちも、本人から子供世代、孫世代へと変わってきている。あの頃を知る高齢の方のの話も、あの時、子供だったという話がほとんど。戦争に直接出向いた人の人口に占める割合は、本当にわずかになっている。 ちょうど、八月の暑い日、戦中や戦後の写真を見たものだから、彼のリアリズム・批判精神に触れて、遠ざかっていくあの頃に思いをはせた。毎年自分に課している戦争との対話を、今年は土門拳の写真が仲立ちしてくれたように感じた。
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