ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2010年08月29日 :: 龍馬伝の埃 |
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今年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」を欠かさずに観ている。初回を観たらテンポがよく、これは面白くなるかもしれないと思ったからである。今夜の回で、ようやく薩長の密約がなった。 これまでの大河ドラマは歴史を追うのに急で、伏線をはってはその回にすぐ使ってしまうような安直な脚本も多かったが、龍馬の場合、短い人生、歴史にタッチする期間も短い。このため、話を膨らますことができる要素も多く、戦国期より話を作りやすい。実際、男女の話も前半は多く、いつになくドラマ的であると感じた。その分、まるで一話で歴史的展開を一つ入れるというようなゆったりさ。武市半平太が入牢してから死ぬまでなどは、あまりに引っ張りすぎで間延びがしていた。 今年、活躍場所毎に、ブロックを切って話が進むのだが、そこで龍馬の性格がぽんと変わっていて、ちょっと安直に感じた。 最初観たとき、映像がフイルムのような風合いを出しているのに興味を持った。シーンは常に埃っぽい。後でコーンスターチなとを撒いてから撮影に入るという話を聞いた。映画調の独特の映像美を狙ったことは間違いない。 しかし、それにしても埃っぽい。 先日、あれがあんまりで汚い、違和感があると話された方がいた。確かにやりすぎの感はあるが、私は、ちょっと違う意見を述べた。 幕末・明治期、道はもちろん舗装路ではない。明治の文学者たちの回想文や社会ルポなどを読むと、東京は、人力車が通ろうものならもうもうと砂埃が舞う「塵埃の町」だった。明治も後半になると、殖産興業であちこちに工場が出来、その煤煙も加わって、かなり空気の悪い町だったようだ。ドラマは幕末の話なので、そこまでいかなくても、今より余程埃っぽかったのは間違いない。 そもそも、私たちの子供ものころでさえも、道はまだ砂利で、めったに通らない自動車が通ると、もうもうと砂煙をまいていたではないか。 だから、あのドラマのように家の中まで埃っぽいのはちょっとやりすぎだが、少なくとも外の通りはあれくらい埃っぽくてもおかしくないはずであると。 映像美へのこだわりでやっているという部分も多いのだろうが、結果的に当時の混乱した空気を、「塵埃」という実に視覚的・具体的なもので表現しているといえるのではないか。
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