ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年02月12日 :: さくらももこを読む |
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アニメ「ちびまる子ちゃん」で有名なさくらももこのエッセイを三冊まとめて読む。急に、さくらももこを読んだのは、入試の難しい文章を読むのに飽きたからである。この時期、字を見るのがイヤになって、本を読むペースががっくりと落ちる。軽いエッセイで、ちゃんと読んだことない人という基準で、図書室の書棚を眺めていたら、ちょうど目の高さに、彼女の本がたくさん並んでいた。 『さくら日和』(集英社)は、『もものかんづめ』(集英社)など一連のシリーズ共通の装丁と内容。『ももこの二十一世紀日記』(幻冬舎)は、携帯サイトの文章にイラストを書き下ろしたもの。『まる子だった』(集英社文庫)は、子どもの頃の思い出話。 一九六五年生まれ、今年四十一歳。私より少し下の世代である。あのアニメも、当初は、昭和四十年代あたりの静岡県清水市の生活が色濃く反映されていたように記憶している。 その、大人になったまる子ちゃんが書いている「文と絵」だと思うのが一番分かるし、購買層のほとんどもそう思って買っているように思う。『まる子だった』の表紙カバーの折り返し、作者紹介の顔は、そもそも、ちびまる子のイラストが描いてあるくらいなのだから。これも一つの戦略である。 『さくら日和』では、彼女の息子が、母をさくらももこではないかと疑っていて、それをなんとか誤魔化している様子がネタになっていたが、『二十一世紀日記』のほうでは、もう知っていて、子どもとコラボレーションして絵本を出す話が書いてある。子どもの成長を、読者も温かく見守る構図である。 実は、家族とのつきあいをほのぼのと書いているエッセイ、結構好きである。昔、佐藤愛子の「娘と私」シリーズをゲラゲラ笑いながら読んでいたので、あれと同じような親近感を感じた。かあちゃんが物書きなので、単なる一般の子どもであるはずなのに、自分の言動や失敗、世の中の人みんな知っているという変な立場。イヤだろうなあ。 中に、アニメ「ちびまる子ちゃん」の脚本募集の文章があった。もう、アニメに関しては、原作者の手を離れているようだ。最近、アニメは見ていないから分からないが、「静岡のあのころ」というモチーフは、テレビでは希薄になっているのではないだろうか。 彼女の本、時に入るイラストが文章をうまく補完していて、それで、また楽しめる。そんな彼女の、肩の力が抜けた文章読んでから、自分の、この日記を読むと、字ばっかり、漢字ばっかりなのに、ちょっとゲッソリした。ブログでもそうだが、絵があって字もあるほうが、今の世の中、標準的な感じなのだ。今はそんな文化。自分もちゃんとそれに慣らされていることを感じる。 彼女、売れっ子になってだいぶたつ。もう、現役女子高校生に大人気ということはなくなった。図書室にいるので、そのあたりの流行具合はどことなく判る。漫画「ちびまる子」愛読世代が、そのままお客さんについて、一緒に歳をとっているのだろう。
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この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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