ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年02月14日 :: 永井永光『父荷風』(白水社)を読む |
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荷風の従兄弟、杵屋五叟の次男で、荷風の養子となった人による回想記。去年の六月の刊行。子供の頃、従兄弟二人の間で養子縁組が決まっていたが、仲違いなどで、廃嫡問題がおこるなど、決して順調ではなかった立場の人である。荷風と一緒に暮らした期間もきわめて短い。 そうした人だから、一部には、あまりよく言わない人もいて、実際、荷風の文献を調べていると、はっきり悪く書いてあるものもある。著者も自分は当時「悪者」扱いされたとはっきり書いてある。市川の荷風最後の家に移り住んだ当座、マスコミや近隣の人から白い目で見られていたという。血が繋がっていない、荷風自身、最終的に望んだ後継者ではなかった、著作権などのお金の問題が絡み世間からやっかみを受ける、など、妻子ともども大変な目にあったようだ。 彼の職業が飲食業で、文学とは縁のない一般人であったことも 彼が世間から軽んじられた原因になっていたかもしれない。関係者からしてみれば、文学をよくも知らない若造が、法律的に嫡子扱いになっているだけで……という具合に映っただろう。 ここに語られる荷風を直接知る友人、作家、編集・出版関係者、みんな生存していない。作者は、ようやく、自分の立場を語ってもよいと思ったのだろう。関係者が生きている時に語れば、何をどう言ったって非難する人がいる。だから、これまで故意に口をつぐんでいたのだろう。 彼は彼なりに、荷風が残したものを守ろうとした。市川の家に今も住み続けていることにも驚いたが、小改造をしただけで、書斎もそのままにしている努力にも敬服した。彼は充分誠実に守るべきものを守ったと思う。 親が荷風の養子になどと決めなければ、ごく普通の人生を歩んでいたはずである。一人の文学者が亡霊のように彼の人生を死ぬまで決めてしまった。自分の人生の大部分を荷風荷風で費やさねばならない。そんな大変な人生を歩まされた人である。 昭和七年生まれ、今年七十四歳。荷風死して既に四十七年たつ。彼は、浴びせかけられた非難を、一生かかって、態度で反論しようとしたのではなかっただろうか。そして、それをみんなに知ってほしかったのではないだろうか。読んでいて、それを強く感じた。 おそらく、年齢的に、この本が、荷風を直接よく知る人の最期の回想記になるかもしれない。五十年近くの歳月は人を挨たない。 後は余瀝。 私が気になっている人物について、文中に触れられていた。 当時、全集出版を岩波に決めた永光に対し、これまでの故人とのつきあいを無視した独断だと非難した中央公論社の故嶋中鵬二が、晩年、尋ねてきたという話がさらりと書いてあった。詳しくは想像するしかないが、その時すでに命短いことを予感した嶋中が和解と別れの挨拶に来たのではなかったか。作者は、荷風文学が読み継がれるということにおいて、自分の決断は間違っていなかったとはっきり断言しているが、これは、結局、中央公論社は経営破綻したではないかと揶揄しているようなニュアンスで受け取れる。嶋中は、当時はいろいろ取り巻きがいたからとその時言い訳したそうである。 鵬二は、著名な先代社長、嶋中雄作の息。谷崎ら多くの文学者と交流があった。若くして社主になり、深沢七郎『風流夢譚』事件で右翼に刺されたことでも有名である。晩年には、会社が左前になっていく事態も直接見つめねばならなかった。彼を知る出版関係者の筆になる内幕記はいくつか散見されるが、その文学交遊も含め、全体像を掘り起こした人物伝が出ないものか。私は密かに期待しているのだが……。
(今日はバレンタイン)
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(マイノートパソコンと今は無き時計 2005.6 リコー キャプリオGX8)
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