ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年02月22日 :: 勉強を楽しまない生徒たち |
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一昨日、生徒を褒めたのだが、今日の授業はがっかり。今度は貶します。 前の単元、芥川龍之介「舞踏会」の授業で、生徒に楽しんでほしいかったところは、ネタ本であるピエール・ロティ作「江戸の舞踏会」との比較。細かいところから全体の印象まで何でもOK、「間違い捜しクイズ」の気分で指摘してくれるように指示する。以前は、結構面白がってくれて、クラス全員当てても、まだ意見が出るくらいの時もあったのだが、最近は、早々と「分かりません」が連発される。下手に引っ張っても、クラスの雰囲気が悪くなるだけ。さっさと芥川がどういう操作をしたのか纏めに入る。生徒は、真面目にそれを聞いて黒板を写している。でも、つまらなそうである。
今日は俳句の授業。「鰯雲人に告ぐべきことならず」加藤楸邨 有名な句である。 何故、初句が「雲」でないといけないのかという質問から、作者は悩んで仰向けに寝ころんでいるから、そこで目に入ったのが雲なのだという結論に持っていくのがこの句の指導のポイント。そうでなきゃ、「突っ立って、顎を上げて空を観て、そんな格好で、考えごとなんてするかい?」といって、そういうポーズをとると、以前は笑いがもれた。今日も、やってみたけど、誰も笑わない。真面目に下を向いている。 気を取り直して、次。 「この作者、どんなことを告げようか告げまいか悩んでいるのだろう?」と投げかける。これまでは、すぐに「愛の告白」という意見がでてきた。人間、特に若い子だったらそれが自然の意識というものだ。ところが、これも「分かりません」が続く。君なら言おうか言わないか悩むことってないのかいと聞いたら、きっぱり「ありません」と断言された。次も、その次も、その次の次も。(悩みがない?! なんとおめでたい。) 結局、愛の告白路線の解釈をしゃべり、それで鑑賞しても間違いではないけれど、実はこの句は軍国主義の時代、言論統制が厳しくなったことに対しての知識人の悩みなのであって、社会的・思想的な句だったんだよ、と纏める。これがこの句の解説の着地点。でも、意見が何も出てこないのだから、結局、先生が全部しゃべっているだけ。 日本経済新聞「二〇二〇年の警鐘」という記事の中で、中国人留学生姜慧さんのスピーチコンテストの内容が紹介されていた。日本人のゼミ発表者に質問すると、参考書を読むだけ。食いさがると下を向いて黙り込む。他の学生も意見を出すわけでもない。意見が言えないことは他人とコミュニケーションができないことだし、自分を高められるはずもない。なんだか「おとなしいだけの羊と同じ」と感じたという。目に見えるようなゼミ風景である。おそらく、質問しないのは、次の自分の発表の時、突っ込まれたくないから人にも突っ込まないという「平和思想」(?)からだろう。 日本青少年研究所研究員胡霞(フーシア)氏はもっと強烈である。
日本の社会は自由な社会だが、日本の若者は個性溢れる自由人ではない。彼らが自由にできるのはミニスカートを校則で決められた長さより短くすること、髪の毛を染めること、学校外では「援助交際」をすること、授業を聞かないことである。「皆と同じ」の規範に縛られている。(中略) 中国の若者は日本のような自由な社会に生活していない。さまざまな規律、規範を守らなければならない。いいこと、悪いこと、していいこと、していけないことははっきり決められている。何でも自分の自由にできないが、仲間集団の同調を求めない。むしろ人と同じことをするのは「個性のない」表れで、周りに軽蔑される。 日本の高校生と交流していた中国の高校生は「自分たちは日本の高校生より優れている」と、秘かに思って帰国した。交流の時、日本の高校生の話題は細眉だの、顔黒、超ミニスカ、厚底の靴ばかりで、暗に豊かな日本で鼻が高いことを自慢した。だが、勉強や将来の夢などの話になると、日本の高校生は無口になってしまった。中国の高校生は思った。やがて中国は日本に勝つ。日本の高校生は親たちの努力に乗っているばかりで、自分の生きる夢も希望もない。(中略) 日本の若者は何でも自分の自由にできるが、自立とはほど遠い。「考え」「思考」もない、夢と希望もない日本の若者が発展途上の国の若者を軽蔑する資格がないように思える。私の思うには、日本の若者は、もう少し反省したほうがよい。でないと、世界から取り残されるだろう。 (「自由があるが、夢がないー中国人の目から見た日本の若者」)
日本経済新聞の方は、生徒が持ってきた小論文の課題文。設問は、この文を読み、「21世紀の日本の若者に必要な能力は何か」を書け、というもの。胡霞氏の文章は「私の考える「生きる力」」という特集への寄稿である。
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