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金沢市民劇場

 劇評(観劇感想文) 私の「かあてんこおる」

 この頁は、「劇評」(観劇感想文、観劇レビュー)を掲載します。演劇鑑賞団体「金沢市民劇場」に入会して二十年近く、演劇を定期的に観てきました。そして、気が向いたときに、短評を、機関誌「かあてんこおる」(感想文集)に掲載してきました。その一部(2001年〜)を、ここに掲載しています。
 なお、2001年までのものは、「私の「かあてんこおる」」「私の「かあてんこおる」U」として出版しています。ご希望の方は、連絡くだされば、無料で差し上げます。なお、メールアドレスはプロフィール頁にあります。

  (総論)劇の感想を書くということー劇評の意味ー 2003.10

劇の感想を書くということ

 

 劇の感想を書くことに何の意味があるのだろう。
 いつも自問ながら私は感想文を書いている。一応、文章の塊にはなる。しかし、その塊は一体何なのか。俳句・短歌ならば創作ということになる。オリジナルな行為として、作品として自立する。随想・エッセイの類も文学作品として認められる。心にうつるよしなしごとをそこはかとなく書きつづる秋津島の伝統は長い。批評という分野も遅ればせながら一個の作品ということになった。特に文学批評、芸術(美術・音楽)批評の分野は、自立したジャンルとして広く認められている。小林秀雄や吉田秀和がそれぞれの分野の神様的存在なのはご存知の通り。それは、対象自体が芸術だからで、つまりは自己完結的に芸術なのである。
 批評家は、鋭敏な直観力と、豊かな芸術体験を踏まえて、対象を論ずる。そのために、創作者の意図した本質を炙り出し、時に創作者でさえ気づかないような魅力を見つけ出す。それは創作者の創造性を鼓舞し、翻って、受容者(読者)の受容体験(鑑賞)を援助し、理解の深さを助長させる。そうした芸術の創作・受容行為に作用を及ぼす故に、つまり、受容者側に限定していえば、批評作品によって知的或いは情的感銘を与えるという意味で、小説などと同じ芸術と認定されるのである。
 そう考えると、政治評論家が書く分析は、対象が、権力を持つ為政者の恣意的な意識の発露としての状況でしかないということにおいて、いくらその分野について、調査の苦労や推断の確かさをもってしても、普遍性をもち得なし、その文章の新鮮さを失った時、その文章は滅びることになる。昔からの言い方でいうと、「不易」と「流行」における「流行」の範疇ということになる。
 もう少し高級そうで「不易」感のあった文化批評の分野も、大衆化、サブカルチャアの隆盛と共に、不易の精神を放棄した、或いは最初から考えてもいない批評が氾濫し、批評の理念は朦朧とし崩壊したことは衆知の事実で、今や批評とは知的に楽しむ気の利いたアイロニーとフモール(ユーモア)といったところだ。
 無論、自分の書いている文章がそういうものだと割り切れば、それなりにすっきりするのだが、私はどうも古い人間のようで、不易を標榜する程の厚かましさも持ち合わせていないが、かといって、流行に属する行為と自己認定して、軽やかに楽しんだと澄ましていることもできない。それでは、余りに悲しすぎると思ってしまう旧世代の人なのである。

 

 ところで、私が書いている文章は、観劇の感想文である。新聞などに載る短い劇評には、多くの人にその劇の内容を知らせるという紹介文の役目がある。その上で、評家の作品のレベルの認定、つまりは批評が載る。よい劇評はその両面においてよい文なのだ。提灯記事は、前者にのみ特化し、批評精神を停止し、賛辞さえすれは出来上がるという次第だ。
  戯曲(脚本)の批評ということになったらどうだろう。これは戯曲形式に書かれた文学作品ということになるので、文芸批評の対象として何の問題もない。
 では、問題の、劇の批評文が芸術作品になるのかという点だ。これは些か微妙だ。演劇評論家は、劇の何を批評しているのだろうか。役者が動いていても、それは単に批評家が読むという行為を代替しているのだと理解して、筋や台詞自体の意味を論じたり、台本書きその人(例えばシェークスピア自身)を論ずれば、これは作品論であり作家論と同じなので、文芸批評と変わらない。ただ、この行為は、劇自体をプロパーとして見ていない故に、本質的な劇批評ではないとの反論もできるかもしれない。
 役者の演技批評はどうだろう。もう少しこう演技した方がよいとかいった文章だ。純粋に役者の演技の熟練度に関する評価なら、それは職人さんへの技術指導と同じで芸術的とは言えないが、台本の中の、役の解釈上の問題としてのサジェッションだとすれば、そこには批評家の作品の分析の結果の意見としてあるのだから、芸術的とも言える。どうも、中間的な両面をもった文章ということになる。
 その他、劇は生身の人間の表現芸術だから、劇団や人のつながりの離散集合など、俗な面を内包する。それらを論ずるのは、先程の政治評論と同じで、「流行」の分野ということになる。また、その役者が今<旬>であるとかどうかいう批評はサブカルチャア批評の分野ということになる。なぜ、<旬>なのかを論ずるのは、現代サブカルチャア分析として極めて面白そうではある。
 そして、何よりも、最大の問題点は、いくら劇評が高級そうに振る舞おうにも、批評対象は、演技された瞬間、時間と空間の中に消失してしまうことだ。書物に比べて、後日確認性は恐ろしく悪い。批評内容の妥当性の検討ができないまま、読者は鵜呑みにするしかないのある。
 それに、何度も繰り返し上演される舞台、役者のその時その時の集中度、会場の雰囲気、観客のレベル。そんな個別の要素も普遍化を拒んでいる。
 劇評は、こうした雑駁な要素を、自明のこととして併せ呑みながら書かれている。論の対象として、余りに複雑怪奇。そこで、劇評は、純粋に芸術作品の一分野だと声高に宣言できないまま、今日を迎えていると言ったら、演劇評論家に怒られるだろうか。考えれば考えるほど、どう論ずればいいのか悩む分野だと思わざるを得ない。

 さて、ここに「批評とは、自分の観点で対象を論ずる故に、対象にこと寄せて自己を語るもの、自己を語るが故に芸術」という古典的批評観がある。ストイックに対象にすり寄るか、対象をダシにして臆面も無く自己を語るか。どうやら、日本文学の伝統を踏まえれば、対象にすり寄って、犀利な指摘を数珠繋ぎに連発しながら、そして、それが、余りに論文的に論理立った、明快で長尺なものにならないように注意して、さらりとした指摘程度で終えながら、しかも、そこに、そこはかとなく自己が表出されている体のものが喜ばれているようである。
 戯れ言はこのくらいにするが、実際、批評における自己の位置というのは、こうした文章を書く人全てにぶつかる難問だ。論文の場合はそう難しい問題ではない。高校生に受験の小論文を書かせる時、私はいつもこういう。「いいか、私は思った式の感想文になるな、客観的論拠をあげることで、論理的な文章になるように努力せよ。感想文は個人的な所感の表明にすぎぬが、論文は、それを読んだ読者が成る程と思わすこと、つまり説得力が重要なのだ」と。つまり、感想は論の種として最重要だが、それをそのまま書き付けたのでは小論文にならない、自分の感想を如何に消し去り、客観を装うかを強調するのである。テレビで仕入れた知識を正直に「テレビで観て」と書く必要はない。事実を別資料などで確認すれば、事実として書けばよいのだと。皮肉的にいえば、素直な気持ちを意図的に消失させるのが、感想脱却の道なのである。 

 ところで、再度言う。ここで私が書いている文章は、批評ではなく、観劇の感想文である。テレビで得た知識のことは、正直に「テレビで観た」と書いてある。総合的に評価し、劇を位置づけようという努力も欠いている。まさに「個人的な所感の表明」で、その表明に何の意味があるのかという冒頭の問題に行き着くのである。
 私は、演劇の一観客にすぎぬ。専門的バックグランンドを持っていない。客観的評価の軸を持っていないのである。多少の分析はできるが、それが正しい分析か自信があるわけでもない。この立場にいるかぎり、冒頭で述べた「批評家は、鋭敏な直観力と、豊かな芸術体験を踏まえて」云々とする、芸術的行為にはいつまでたっても行き着けない。感想文というのは、まさに素直な感想が綴られているだけだからである。芝居に引っかけただけで随筆風に自己を語っているのは、芝居を観ながら芝居のことより自分ことが思い浮かんだからで、少々論文調のものは、観ていて、分析したいと思ったからである。

 最近は、こう考えることにしている。批評とは、いわば小説のようなものだ。誰も『戦争と平和』が書ける訳ではない。プロ中のプロの仕事だ。だが、俳句はどうか。日常生活の中で、森羅万象に神経を向ければ、誰でも詩的精神を発揮できる。何もしないで感受性がひからび、老いていくだけの人間に比べれば、何と豊饒の世界ではないか。私は劇を観る。人が「面白かった」「はずれだった」で終わるところを、少しの時間立ち止まり、一つの文章の塊に形象化する。時にいいアイデアがなく、人と同じステレオタイプの感想しか浮かばず、難行苦行することもあるが、それもまた楽しみとすればいい。観劇にいくのは、私にとって「吟行」なのだと。
 劇評は、前述のように不自由で不確実な混沌のなかにある。ディレッタントとして、あくまでも劇評の精神は志向していこう、それは、これらの文章のレゾン・デートルの一つでもある。しかし、私はコンプレックスを持つことなく感想を綴ればいい。そして、劇を分析しなければなどという強迫観念からは自由になる必要はあるけれど、感受性のあまりステキでない私が、少しは言えることが批判的行為であれば、好きに分析して、感想として批判すればいいのだと。
  文章を創作した本人側の理屈はこれで一応解決する。普遍性は志向するものの、中心は、自己表現の手段であり、アイデンティティーの確認であり、記録性である。

 では、受容者側への論理はどうなのだろう。句集や随筆の出版は、文学作品と呼べるような高いレベルのものも、ご近所の方の古希記念の自費出版まで、レベルの差こそあれ、そこに日常の生活が表出され、人間の感情を主題をする点において、わからないことはまずない。技術的には稚拙な作でも、その元となった心的経験は真実だし、その方の人生の歩みと重ねて感銘を受けるという場合は多い。受容者にとって、作品が経験として意味を持つ可能性は大きい。
 ところが、劇という一回性のものを評した文書の、受容者に対する意味となると、どうも怪しくなる。
 ひとつ、はっきり有用性を指摘できるのは、同じ劇を観た人が読む場合である。これは、その劇について感想を持っている訳だから、人の感想を読むことで、自分の理解が深まる、つまりは、「受容者の受容体験を援助」していることになる。
 しかし、大多数はその芝居を観ていない。以前出した感想文集「わたしのかあてんこおる」をおあげした方の多くに「私は劇を観ていないので、感想を述べることができません」と言われた。「観てない芝居の感想読んでも、わかる訳ないじゃないか。」と、正直に述べられた方もいた。まとめるにあたって、観ていない人を想定して、芝居の粗筋を紹介したり、説明を加えたりして、読んで貰う努力はしている積もりなのだが、とっつきはえらく悪いらしい。批評として自立していれば、こういうことはないのかもしれない。例えば、優れた作家論はその作家の作品を読んでなくても十分に読んでいて有意義だ。劇の感想の限界はこのあたりある。やはり、感想文の積極的読者は、その対象を共有した者、あるいは、共有はしなかったが、元々演劇に興味関心がある人に限られるようなのだ。

  何、自明なことを縷々述べるとのお叱りがきそうだが、実は、個人的に切実な問題でもあるからである。実は、私は、所属している文学研究の会の冊子に、時折、北陸の同人誌を読み、その作品について、批評する文章を書いている。これも実は今述べたことと同様の、文章の有用性への懐疑がある。同人誌に載る作品の多くは、本格的批評に曝されることはないので、批評されていれば、執筆者本人には感謝されるだろう。また、同人仲間は、作品を読んでおり、また、作者の資質を熟知しているが故に、その批評の妥当性をはっきり認識できるという点で、批評の行為は有益なはずである。
 しかし、元々少部数発行で多くの人の目に触れていない作品たちである。批評を読んだ読者の、後日確認性はやはり非常に難しい。また、評価の定まった作品を分析するのとは違い、未熟な作品(失礼)を、基本的には褒めつつ、要所のみ苦言を呈するという、ある種、教育的配慮の必要な(?)仕事が、本当に自立した一つの文章として鑑賞に耐えられるかといえば、否定的にならざるを得ず、欠点を指摘して引き上げようとする教育的配慮自体に意味があると考えるべきではないかという答えが待っているような気もする。
 いずれにせよ、元の作品が消えて無くなるものに、労力を費やす意味があるのかという、文章を書きながら徒労に似た感情を抱くことになる。
 小松伸六という人は、「同人雑誌評という、世界でも珍しい仕事」を長年続けてきた人だが、その彼の処女出版「美を見し人はー自殺作家の系譜」(講談社 一九八一)のあとがきで、平野謙に「何千枚、いや何万枚も書いているかもしれない小松が一冊の本も出さないのはむしろ、時流をきる、すがすがしい存在だ」と皮肉なお褒めにあずかったと書いている。確かに、この処女出版は「自殺作家」をテーマにしたまとまった評論で、同人誌評が後年集大成されたとも聞かない。やはり、苦労のみ多い仕事にちがいないようだ。

 

 さて、読んで貰えない文章を書いてどうなるのか。大上段に振りかざした冒頭の問いの答えは、ここに至っても提示できないでいる。どうやら見事に竜頭蛇尾で終わりそうである。学問として存在が安定している論文、作品として認められるエッセイ。
私が、劇の感想を書く、そのレゾン・デートルは混沌としたままだ。
                                    (2003・10・5)
                       (未発表原稿)

    [1] 
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「わたしの「かあてんこおる」「同U」目次

 

 劇評小冊子「わたしの「かあてんこおる」「同U」に掲載されている劇名は、以下の通りです。該当の左のボックスをクリックして下さい。

 

「わたしの「かあてんこおる」
 一 九 八 六 〜 八 八 年                              
『おんにょろ盛衰記  三年寝太郎』
『罠』                         
『払えないの? 払わないのよ!』                     
『頭痛肩こり樋口一葉』                       
『こんな話』                     
『プラザスイート』                   
『薮原検校』                 
『夢の降る街』      

 

 一 九 八 九 〜 九 〇 年                                
『闇に咲く花−愛敬稲荷神社物語』                             
『夜の笑い』                           
『三婆』                         
『砂の上のダンス』                       
『炎の人−ゴッホ小伝』                     
『エセルとジューリアス』                   
『唐来参和』                 
『ミュージカル 船長』    

 

 一 九 九 一 〜 九 三 年                              
『雪やこんこん』                             
『音楽劇 楢山節考』                           
『おもん藤太 文七元結』                         
『日本の面影』                       
『気になるルイーズ』                     
『リチャード三世』                   
『遺産らぷそでぃ』          

 

一 九 九 四 〜 九 五 年                              
『奇妙な果実』                             
『がめつい奴』                           
『荷車の歌』                         
『花石榴−友禅の家』                       
『枯れすすき−野口雨情抄伝』                     
『正しい殺し方教えます』                   
『喜劇 キュリー夫人』                 
『マンザナ、わが町』               
『サンダカン八番娼館−底辺女性史序章』             
「あ と が き」

 

「わたしの「かあてんこおるU」
一九九五年(承前)
 九月『とってもゴースト』                     
 十月『グレイ・クリスマス』                     
 十一月『セイムタイム・ネクストイヤー』       

 

一九九六年
 二月『フィガロが結婚』              
 三月『一本刀土俵入り・舞踊藤娘』               
 六月『頭痛肩こり樋口一葉』                   
 七月『欲望という名の電車』                 
 九月『哄笑』                             
 十一月『ロミオとジュリエット』         

 

一九九七年
 一月『馬かける男たち』          
 四月『キッスだけでいいわ』    
 六月『君はいま、何処に…』     
 七月『カラマーゾフの兄弟』   
 九月『越前竹人形』         
 十一月『花よりタンゴ』   

 

一九九八年
 二月『サロメの純情』                         
 四月『さぶ』                               
 六月『ニノチカ』                         
 七月『夏の盛りの蝉のように』           
 九月『根岸庵律女』                   
 十一月『橙色の嘘』

 

一九九九年
 二月『朝焼けのマンハッタン』          
 四月『女の一生』                    
 六月『青空』                      
 七月『愛が聞こえます』          
 十月『研師源六』              
 十二月『きらめく星座』           

 

二〇〇〇年
 一月『どん底』                              
 四月『鳴神・狐山伏』                      
 六月『野分立つ』                         
 八月『キッチン』                       
 九月『黄金色の夕暮れ』               
 十一月『見よ、飛行機雲の高く飛べるを』

 

二〇〇一年
 三月『湧きいずる水は』                        
 五月『ら抜きの殺意』                          
 七月『ほにほに、おなご医者』                
 十月『冬物語』                            
  十二月『崩れた石垣、のぼる鮭たち』      

 

補 録
『青春デンデケデケデケ』                          
『月夜の晩の出来事で、武士と呼ばれた侍が』      
『すべて世は事も無し』                        
 あとがき

                                       

 

 

 

 

 

 

(井上ひさしの戯曲単行本 左は名前を間違って訂正してある貴重本 運営者所有)

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