ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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西南戦争にのみに焦点を絞った南洲西郷隆盛の滅亡記である。江藤淳には、三十歳代の仕事として『海舟余波ーわが読史余滴』(文藝春秋)があり、作者の幕末・維新期の時代把握はとうに済んでいる。西郷の正伝とも言える「西南記伝」にほとんど依拠しながら、江藤は滅びの行軍を跡付けていく。田原坂しか知らない私は、あの戦いですべてが決したのかと思っていたので、この本ではじめて連戦の全体像が理解できた。こうしたストーリーの部分は、歴史読み物として純粋に面白かった。
しかし、江藤は、ほとんど南洲の人物的彫り込みをしていない。どちらかと言えば、ブレーンの策に乗って茫洋と動いているだけのような書き方である。おそらく、作者は西郷の人間的魅力の洗い出しなどに興味がなかったはずである。西郷ははじめから滅びを選んだ人として、西南戦争を始めるのであり、西南戦争のみを描いたこの作品では、だから、最初から、勝つために活動的に動くことが、この物語では許されていないのである。作者にとっての唯一の関心は、そう決断した「「西郷南洲」という思想」そのものだったのはずである。 なぜ、江藤は南洲の滅亡を描かなければならなかったか。 江藤は、第二次世界大戦降伏調印のため現れた、相模湾を埋め尽くす米国太平洋艦隊の記憶を語り、「その巨大な艦隊の幻影を、ひょっとすると西郷も観ていたのではないか」と、時代を遡って重ね合わせる。西郷は、いずれ来る日本の壊滅が見えていたのであり、「人間には(中略)国の滅亡を予感する能力は与えられているのではないか。その能力が少なくとも西郷隆盛にはあり、だからこそ敢えて挙兵したのではなかったか。」と彼は考えるのである。
賊軍の汚名を負い、圧倒的官軍の兵力の前で負けることが明らかな戦いに何故挑んだのか。
それは、「政府の「姦謀」が、ともに相寄って自ら国を滅ぼそうとしているとすれば、この一事だけはどうしても許すことができない。」という国家の正道を見据えた真っ直ぐな思いである。天子の軍に弓引くことで、「尽忠」とは相反することになってしまうが、国の行く末だけは見誤ってはならない、過つ者には、それが我が身の滅亡につながろうが、無謀を冒して戦うべき時もあるーそう南洲は確信していたはずだと江藤は考えたのである。(つづく)
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