ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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翌二十九日、第三回、徳田秋聲原作の映画「爛(ただれ)」(大映)も鑑賞する。秋山稔先生の解説。 映画は、時代を戦後風俗に移行させて、現代ドラマに仕立て直したもので、増村保造監督、新藤兼人脚色。若尾文子、田宮二郎主演。一九六二年作品である。 私流に粗筋をまとめると、次のようになる。 「美男子のトップセールスマン浅井(田宮二郎)とねんごろになっていた元ホステスの増子(若尾文子)は、後になって、男に妻がいることを知る。彼は妻の執念深さに辟易していて離婚するという。そんな折り、増子の元に田舎での縁談を嫌って、郷里から姪の栄子(水谷良重)が転がり込んでくる。浅井の離婚は成立し、増子は妻の座を射止めたが、元妻は恨み言を吐いて郷里で狂死してしまい後味の悪いものとなった。増子は、地位の安定には子供を産むことが一番と、不妊処置を解除する手術のため入院するが、その間に、一つ屋根の下で生活していた姪が夫とわりない仲となっていたことを知って激怒する。結局、姪を、無理矢理、田舎の縁談相手とくっつけることで夫から遠ざけようとするが、夫は彼女の挙式前にも拘わらず栄子と肉体関係を続ける。」 何ともドロドロな人間模様。自分が寝取った夫を、今度は若い娘に寝取られるという因果応報の話で、主人公の増子は、本妻が味わった嫉妬の激情を、今度は自分が味わうことになってしまう。浮気現場に踏み込んだときの若尾の狂乱の演技は壮絶で、この映画最大の見物であった。この時、御歳二十九。 妻の座に納まりさえすれば必ず安住が訪れるわけではないということは、離婚が成立した時、弁護士から「今度は貴女の番ですよ」と揶揄される場面に、すでに暗示されている。この台詞は、原作にもそっくり出てきていて、進藤脚本も、そこをこの物語の骨幹と意識して話を膨らましている。 何とか泥棒猫を追い出したものの、今後も、妻の座は盤石であろうはずがないことは、増子自身、重々承知していて、ラスト、姪の結婚式の後、自宅に戻った彼女が、「ああ疲れた」というふうに顔を覆うシーンで、その後も無限に続くであろう愛憎の労苦を暗示している。何の解決も展望もない。いかにも原作が自然主義作品らしい終わり方である。 冒頭の麻雀のガラガラ音や、病棟で増子が聞くカラスの鳴き声の不気味さなど、音響でも落ち着き場のない女の立場を表現しているし、音楽も、曲というより不安を煽る「ジョーズ」のような効果音的なもので、観るものの心をどんどんささくれだたせるようにしむけている。白黒で撮ったのも、緊迫感を出したいがための意図的なものだろう。だから、見終わった後、観客は疲れたかのように無言だった。 強迫観念に囚われた正妻が、逃げる夫を鬼気迫る様子で追っかける場面、現場に踏み込んだ時の増子の阿修羅ぶり、姪の首を絞めて力ずくで言うことを聞かせる場面など、人間が自己の立場を危うくさせるものに対して見せる、後先忘れた凶暴さをこれでもかといわんばかりに羅列してあって、迫力がある。 ただ、おそらく現代娘あたりが観ると、「女は男次第」という台詞や、永続的に男の愛を獲得するにはどうすればいいかなど、どんなにたくましく生きているように見えても、結局は男に寄生するばかりの女性像が物足りないかもしれない。また、火種をまき散らしておいて、平然と同僚に「困っちゃたよ」レベルで語る男に唖然とし、まずそういう男を断罪すべきだし、なぜ女のほうから手を切らないか、確かならぬ愛にすがる女たちを訝しく思うかもしれない。 原作は大正初期の作、まさに「女は男次第」時代の女の生き方を描いている。男の性的身勝手には寛容で、女に厳しいという旧来の倫理の、その枠組を、いくら現代に置き換えたとしても、この場合、外すわけにはいかなかった。その分、苦しい地方から都会に出てきて、金回りがよくモダンな生活ができそうな男とくっついて贅沢生活を続けるため、男の愛を、ある意味利用し、したたかに生きようとする女という、戦後的逞しさを付加した造型が必要だったのだろう。昭和三十七年といえば、高度経済成長が端緒についた時期である。その時代の最も新しい女という側面をたっぷりと増子は持っている。 タイトルは「爛」だが、不道徳と切って捨てれば終わりではなく、ちょっと個々人が自分の小さな幸福や欲望を成就させようとすると、こうした愛欲絵図に陥るのだと言いたいのかもしれない。今回も、観に来ているのは、酸いも甘いも噛み分けた御老人ばかり。人間、さもありなんという感じでご覧になっていたようだ。
(映画評三本をまとめて「金沢・石川の文学」の項にもアップしました。)
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