ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2011年10月02日 :: お彼岸の法要 |
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先だっての三連休はお彼岸だった。亡父の縁で、市内真宗本願寺派寺院の法要に出席する。ここは巣鴨プリズンの教誨師花山信勝師ゆかりの寺で、聖堂地下にはA級戦犯関連の資料がいくつか保存されている。何度か拝見したことがあるが、死刑の直前七名が名を連署した絶筆や、死に酒として振る舞われたワインのボトルもまだ少し液が残ったままの状態で陳列されている。 連署を見ると、手錠をはめられたままで書いたため、多生筆跡に乱れがあるのが興味深い。中で板垣征四郎のはしっかりした筆致で普段の署名と変わりないように見受けられ、広田弘毅のは少々間延びした筆致のように見受けられる。 死に酒は、特に準備されていたものではなく、急遽振る舞われたそうで、ワインのラベルをじっくり読むとカリフォルニア産とあった。収容所の米兵の手持ちを提供したものと推察される。残量を見るに、本当に一人ずつガブリとやったくらいの減り具合であった。 今年はその信勝師の十七回忌。そのお経が終わった後、寺ゆかりの物故者の供養も引き続き行われた。その名簿の中に父の名もある。 物故者を呼び上げる冒頭「東条英機殿御始め巣鴨プリズンA級B級C級戦争責任者各位」とあった。A級戦犯に「殿」「各位」と敬称がつき、敬って追善供養されることに、最初、多少の驚きを覚えたが、考えて見れば、ここは真宗。「況んや悪人をや」である。死して仏になり給ふレベルで戦犯も一緒に供養されるのに何の不思議もない。阿弥陀の慈悲は人が勝手に意味づけした「善悪」を問わない。それでも、東条英機と父が同列に追悼物故者芳名簿に並んでいるのは、やはり何だか面白かった。 翌日、テレビをつけたら、偶然、広田弘毅を描いた「落日燃ゆ」をやっていた。その一部を見ながら、昔、作者の城山三郎が金沢で講演して、広田や信勝について触れていたことを思い出した。城山は信勝を評価していない口ぶりであった。広田弘毅は周知のようには文官唯一のA級。A級戦犯の処刑は昭和二十三年の皇太子(現天皇)の誕生日。父はこの時二十歳であった。 父に繋がってあの時代に思いをはせた数日。お彼岸は過去をたぐり寄せる。
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