ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2011年10月08日 :: 角偉三郎を知る |
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先日、NHK「日曜美術館」の角偉三郎特集が「石川アーカイブス」としてローカルで再放送された。浜美枝と県立美術館島崎館長の後解説入り。 今夏、パテシエ辻口氏の店の二階にある彼の美術館を見学したばかり。展示だけでは「ワイルドな作風」くらいしか判らなかったので、この特集とお二人の解説で彼の全貌を知ることができて有益だった。 雑器として低く見られていた合鹿椀を輪島塗の古い形として再認識し、手で直接塗るなど独自の手法で、艶やかで美しいだけの塗り物から脱却、独自の世界を構築した作家。従来の塗りの世界から見たら真逆の発想で、古い体質の輪島塗りの世界では異端児であったろうことは容易に想像できた。 芸術家としての考え方は番組でよく理解できたが、われわれ(受容者・購入者・使用者・鑑賞者)側から見ても、彼の芸術がいずれ受け入れられる素地は整っていたように思ったので、そちらの方面で少し感想を書く。 人工樹脂の発達により、漆器の芯材にプラスチックなど人工樹脂が用いられるようになって久しい。叩くとほぼ判るものの、素人には判断のつかないものもある。あまりに形が正確で艶やかだとなおさら判らなくなる。角は木地師に依頼し、わざわざ粗目をかけて、表面に木らしい風合いを残す。そのことにより、我々は直接目に触れてその芯材の木質と対話することが出来る。現代人にはこれがいいと感じる。また、漆液の垂れなど恐れもせず、大胆に漆をかけることで、我々はダイナミズム溢れる芸術性をも感ずることができる。 その上、合鹿椀とは、大胆に言うなれば、立派な高台を持つ中ぐらいの丼のことである。昔はご飯椀はご飯椀、汁椀は汁椀、丼飯のようにご飯の上に具材を載せるような食事は下賤なものと蔑まれた。また、汁物椀としては大きすぎて、膳のセットからは外れる。田舎の野趣溢れる煮込みものなどを入れる入れ物としてはちょうどよい大きさだが、こうしたお行儀意識からすると人前で公式に戴く種類の器ではない。合鹿椀が長く雑器扱いされたのも当時の食事の考え方を考えれば当然のことのように思われる。 しかし、今や丼飯をはしたない食べ方として否定する人はほとんどいないし、そういう考えがあったことさえ今の若者は知らない。中型の椀は、丼物や豚汁などをざっくり戴くのにちょうどいい大きさ、といった感覚だろう。実際、我が家は陶磁の小型の丼を重宝してよく使っている。今はそんな食生活の時代である。 こうして、我々は、角の求めていた椀を、図らずも求めていたのではなかったか。身も蓋もない分析だが、私はそう思えてならなかった。 いずれにしろ、角偉三郎美術館の壁の穴に椀が並んでいるような今の展示は、芸術作品の展示方法としてあまりいい結果を生んでいないように思われる。説明が不足していて彼の特色や変遷がさっぱり判らないし(事実、私はふーんとただ一巡しただけだった)、中央に営業然とした一画があって作品を押しのけているかのように見えるのも印象を悪くしている。テレビの方が良かったでは館自体の存在意義がない。
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