ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年06月06日 :: 花*花、花。 |
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司書カウンターの花は、先週、「サポナリア」だった。撫子科の花だそうだが、本家とはあまり似ていない。この花は、見るのもはじめてなら名前も初耳である。薄赤紫色の小さい花で枝振りも細い。絶対、明日になったら忘れているね、カタカナ名前は意味がとれないから年寄りには困るねといいながら、皆で眺めた。 翌朝、図書室に入ると、すぐに目がいく。やはり、花には「華」がある(当たり前か)。そこに座っておられた司書の先生に「ここで問題です。この花の名前はなんだったでしょうか。」と出題する。朝の第一声がこれである。彼女はちゃんと答えたので、感心したら、朝、復習しましたとのこと。エライ。勿論、私は忘れている。 後日、また、彼女に聞いてみる。ちゃんと答えてくれる。大丈夫。定着している。 でも、なんだかこの行動、まるで、生徒に動詞の活用を暗記しているか何度も復習させるのと一緒で、いかにも教員くさい。 では、その出題者のほうはどうかといえば、ご心配なく。この文章書くために、私は、しっかり司書の先生に名前を確認しました。これで四度目。 私にはちゃんと彼女がいる。
自宅横の大通りの街路樹下にはツツジの植え込みが1kmほど続いており、5月上旬から中旬にかけ、赤やピンクの色をつけて美しかった。今は、それが枯れ、茶色となって、葉や枝に付着して少々汚く見える。今年もツツジの季節が終わったとばかり思いこんでいたら、このところ、職場や近所のマンション前の植え込みのツツジが、また、満開なのに気づいた。個体差によって多少の時期のずれがあるのは分かるが、途中、完全に見かけなくなって、第二の満開の時期がきたような感じなのである。おそらく日照の問題なのだろう。通り沿いは開けているので、終日太陽をうけているのに対して、ビルの植え込みは、建物の影になって数時間しか当たらない。 でも、こっちは、ついこの前サヨナラをした友達にまた会ったような気分で、嬉しくなる。早速、マクロモードでお散歩カメラを向ける。 本当に、今は花の盛りである。ちょっと違う道を歩くと、あちこちの家や用水の端、畑の隅で色々な花を見つける。パンジーくらいしか名前が分からないのがちょっと残念だが、名前を知っていると、「ああ、パンジーね。」で終わりで、花自体を見つめる「眼」を失ってしまうそうなので、それもよしとしよう。 今は、「ここに見ぃつけた。」気分で、あちこち目配せするのが、歩行中の楽しみである。
さて、ここまでは早朝書いた。今日、我が職場の花博士が、梅花卯木(バイカウツギ、ユキノシタ科)をもっていらしたので、この疑問をぶつけてみた。すると、今咲いているのは、ツツジではなくてサツキですとの答え。花はそっくりだけど、葉が小さく先が尖っているとのこと。そういえば、明らかに葉が違う。時期が違うのも当たり前である。 ツツジの仲間で見事なのは「ミヤマキリシマ(霧島ツツジ)」だと、これは、区別が分かっていた同僚の方から教えられ、ネットで検索、しばし、画像で一面燃えるような赤を堪能した。九州の山岳地帯に出向かず、ネットでさっさと鑑賞するのだから、何とも現代的である。 それにしても、本当に基本的なことさえ何も知らない。小難しい読解ばっかり教えていて、こんなことさえ、教養を積まずに、うかうか生きてきたのである。
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