ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年06月11日 :: 額紫陽花、花開く。 |
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(いかにも以前からわかっていたような口ぶりですが)、真っ赤に咲き誇っていたサツキも盛りをすぎ、枯れ出したものも出てきた。太陽に熱を帯びてきたので、それに耐えきれなくなるかのような風情で凋む。 通勤は、同じ経路なので、同じ道、同じ建物で、そうした無機的な部分は、何の変わりばえもないが、植物だけは毎日微妙に違っていて楽しい。その小さな変化を発見する15分の旅だと思いながら歩いている。 あるお宅は、玄関先に色々な花が植えられていて、今が盛りに家を飾っている。変哲のない家が華やぐ。丹精込めているのだろうと思っていたら、昨朝、老婦人が水やりをしているところに出くわした。自分の余りの花の名前の知らなさに、ちょっと呆れていたところだったので、勇気を出して声をかける。 あの、ちょっとお伺いしますが、この朝顔に似た白い花は何という名前なのでしょうか。 ちょっと怪訝な顔をされる。無理もない。物騒な世の中である。 話のやりとりの中で、彼女は警戒を解いてくれて、鉢の大きさとかを教えてくれた。「ペチュニア」(ナス科)という花らしい。これもカタカナ名前で、覚えきれるか怪しいなと思いながら、礼を言い、歩みを続けた。ちょっと、引退して暇を持て余している「じっちゃん」みたいな行動である。
今度は、額紫陽花が咲いているのに出会う。西洋アジサイは一部に咲いているものを見かけていたが、額紫陽花はまだだった。6月10日、金沢で開花確認である。 元々、アジサイは好きな花だった。花色が変化するのが、やはり、なんと言っても楽しい。一時期、ボロアパートのベランダで育てていた時期もある。生命力の強い低木で、今のマンションに引っ越す時に、株分けして、粘土質の敷地に植えてきた。あんな悪い土でも、今ではこんもりとそれなりの花勢である。もう一つは、愚妻の職場に植えた。これも細々ながら育っているらしい。 若い頃、派手なアジサイに比べ、額紫陽花は周りしか花をつけず、何てみすぼらしい花なのだろうと思っていた。それが、いつ頃からか、額紫陽花のほうが好きになった。 古い校舎時代、小職員室の眼下にアジサイが咲いていて、それで、今はとうに退職された先生に、この話をしたところ、今頃気づいたのですか、みたいに言われたのをはっきり覚えているので、もう十年は昔の話だ。その時、周りの同僚もこれに同意した方が多かったので、日本人は、加齢に従い、清楚でシンプルなものへの愛着を深めるものなのかもしれないと思ったことも、覚えている。 咲き誇るアジサイは西洋種で、額紫陽花こそ在来種。古典で紫陽花が出てきたら額紫陽花のことという知識もその頃仕入れた。道理で、という感じである。 今、例えば、パンジーを見ると、そのくっきりした色味に驚くが、全体の花の中に入れると、どことなく異質である。自己主張が強すぎるように思う。後からやってきた余所者といった感じに映る。 そんなことに気づいたのも、徒歩だからである。
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