ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年01月29日 :: 「うちのタマ知りませんか」 |
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正月、実家に長居したので、テレビに飽きて、居候、雌猫のタマを被写体にした。でも、「ふん、御勝手に。」といった感じで、そっぽを向くばかり。女王様のご機嫌を伺う下僕の爺やの心境。向こうの方が絶対に偉そうである。 私がこの家で子ども時代を送っていた頃、猫を飼ったことがある。勝手に紛れ込んできた三毛猫を、絶対飼うんだとぐずって飼うことにしたのではなかったかと思う。本人は一所懸命、可愛がっていたつもりだが、猫の毛でじんま疹が出たのを心配した親が、こっそり遠地に捨てた。親は知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、ちょっと前に、夜中、猫をなんとかせねばという家族会議の声を漏れ聞いていたので、犯人は分かっていた。子供心に大人のお節介を恨んだものである。あの猫、三毛猫だったので、確かミケと呼んでいたような覚えがあるが、正確なところは忘れてしまった。 長じて、タマがやってきた。「うちのタマ知りませんか」というキャラクターが流行っていて、そのファンシーグッズをちょっと持っていたので、あっさり、それに命名した。命名者は、だから私である。弟は、この初代タマと共に子供時代を過ごした。海水浴に行って、思わず大漁だったアサリのバケツを、物欲しそうに覗き込んでいる写真が、我が家では、タマの肖像として家族限定で有名である。 そのタマ、コールタール缶に体を突っ込み、ペロペロ舐めて汚れをとろうとして毒がまわり、ほどなく亡くなった。入院した犬猫病院に見舞いに行った時、サヨナラと声をかけると 尾っぽをか弱く振っていたという。それが家族の知っている最後の姿。悲しい別れである。 弟は、ほんとはいけないかもしれないが、亡骸を河原に埋めにいったそううだ。 今、実家にいるタマは二代目である。同じくシャム猫雑種で、見た目がそっくりだったので、そのままタマと呼ばれることになった。 でも、性格が全然違う。初代は好奇心旺盛で、人間を恐れなかったが、二代目は、人見知りをし、引っ込み思案の内弁慶タイプ。同じ体格、同じ毛並みで名前も同じにしたのに、一匹一匹、人間のように違う。犬猫は、種類や体格、性別で、だいたいの傾向があるものだと思っていたので、そんな変な分類学(?)を超えた大きな違いに、当初、びっくりしたものだった。 何年か前、長期的にいなくなり、大怪我をして戻ってきた。母親によると、それ以来、性格がガラリと変わったという。おそらく猫社会でひどい目にあったのだろう。 もう十二歳、立派なオバチャン、もしかしたらお婆ちゃんである。動作も多少緩慢になった。ノラに較べて家猫は長生きする。ノラは四、五年の寿命の場合が多いと聞く。あとどのくらい長生きするものやら。 実家に立ち寄ると、大抵、ストーブの前の炬燵布団の上に鎮座ましましている。猫は、家で一番快適な場所を見つける天才である。確かに、下はフカフカ、体は輻射熱で暖かい。 大昔の夏、タマがどこにいるかを探して、そこで過ごしたら涼しいと思いつき、彼女のお尻を追っかけたことがある。長々同じ場所にはいないようで、時々、すっくと立って移動したが、行く場所行く場所、確かに涼しいところばかりだった。 でも、ああして、時々、所場(しょば)をかえるのはなぜなんだろう?
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この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。
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