ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年01月28日 :: 亡くなった従兄弟の一周忌法要 |
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早いものであれから一年たつ。叔母も五年前に亡くなっていて、その葬儀や法事の喪主を勤めていた彼が、今は鬼籍に入り、今度は奥さんが喪主となって法事をとり仕切る。同じメンバーが毎年のように何度も集まる。一つ家に不幸が続くと、こういうことになる。 料亭での会食は、最初の一品だけ精進料理で、さっと、器とお箸が替えられて、以後は、「精進落とし」ですといって、生臭物が出た。お坊さんの話では、関西では、最初から刺身などが平気で出て、面食らったという。私は、お箸を替えることで、切り替えたとする形式的なやり方が精神的な感じで、ちょっと面白かった。変に精進にこだわる必要はない。これでいい。 席上、亡くなった従兄弟の話はあまり出なかった。静かに進行。料理の合間に、郊外が発展しましたねというような話がぽつぽつ出る程度。 その家の娘さんは、数日後に、高校入試が控えているそうだ。東京の同い年の子もそうで、だから、今回は欠席。二人とも、確か、お祖母ちゃんが亡くなった時は、小学生だったはずである。月日の経つのは早い。 大人は、みんな歳をとっていくだけだけど、子供は成長する。子供というものは、はっきりベクトルが逆の存在なのだと実感される瞬間である。 法事の時、しかし、そんな存在が混じっていることがどんなに必要なことか。こっちは、ちょっと教員ぶって、「ちゃんと受験勉強していますか?」とお母さんに聞く。 現世に生きる我々。子の成長を見守るだけで、死の悲しみは大きく減ずるものである。
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