ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年11月21日 :: ディベートの授業を観る |
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研修でディベートの授業を参観してきた。高校国語の単元として取り組んだものを観たのは初めて。一時期、小中学校で大流行して、猫も杓子もディベート、ディベートと叫んでいた時期があったが、今は盛りも過ぎたようで、後で、三年生の教室で聞いたところ、ほぼ全員やった経験があるのに対して、一年生は過半数といった感じだった。どうやら、数年前に下火になったようだ。 ディベートという言葉には「攻撃する」という意味がある。小学校と違って、高校生になると、「立論」「第一反駁」「第二反駁」などという堅い言葉が行き交い、思った以上に、相手を論破して勝つという「やっつける」ことを重視するのに驚いた。ある種、言葉のスポーツである。 「安楽死は是か非か」というのが今回のテーマだったが、最後のジャッジは、五対〇で賛成の勝ちとなった。私は最初、たったこれだけの論議で安楽死に賛成していいのかとあっけにとられたが、違った。どっちの班が勝ったかの判定であって、中身の判断とは関係ないのであった。 何事にもいい点と悪い点がある。一、言い負かされるので、自分で調べる態度が身につく。二、論理立てて説明する態度が身につく。三、しっかりと声を出して話すことができる。四、公平な立場で、問題を整理しながらスムーズに司会進行することができる。などの力がつく反面、問題も多いように思った。 自分の意見とは無関係に、仮にどちらかのグループに入って理屈を考えるという方法は、極論すれば、「心にもないことでも理屈をこねて突っ切れば勝ち」という心性を育てかねない。また、中身あっての議論でなければ意味がないように思うのだが、議論の外形にとらわれて、形式的なものになってしまうのではないだろうか。その上、ジャッジという行為自体も馴染まない。多くの場合、議論というのは認識が深まったことにこそ意義がある場合が多い。 何だか、私は、このやりとりを聞いていて、一部ではあるが確実に多くなってきている、他人を見下すような態度の子供たちを、鋭意、育成した犯人は、このディベートだったのではないかという妄想が湧いたのだが、いくらなんでも、ちょっと短絡にすぎるかもしれない。(つづく)
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