ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年12月01日 :: 半藤一利 『昭和史』(平凡社)を読む |
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半年前に読んだ『昭和史』の戦前篇。もちろん、こちらのほうが先に出ている。 まず、冒頭、昭和に到る大正の流れを、「統帥権干犯」と「天皇口出しせずの態度」の確立の二点で押さえることで、以後の動きを判りやすく説明している。このため、一つ一つ「点」でしか知らなかった事件・事変の背景が流れとなってつながって、よく理解できた。 読んでいて、時局が切迫するにつれ、暗澹とした気持ちになっていく。軍部が陰謀につぐ陰謀によって政治を掌握していくさまは、今で言うとテロそのもので、日本が見事なまでにテロリズム支配国家化していったことが判る。 しかし、半藤は軍部の独走だけにその責をかぶせてはいない。軍部と結託して、好戦思想を煽りまくった日本の新聞界にも言及しているし、それを喜んで受け入れていった国民にも言及している。確かに、指導者、マスコミ、国民、この三者のいずれかに冷静な視線があったならは、どこかでブレーキがかかったはずである。国際情勢の無知、西洋の手練手管に較べて無垢の赤子の如き外交オンチ、上層部の長期的展望のなさ、責任の所在をはっきりさせないナアナア主義、場当たり的対処療法的政策、集団熱狂好き。読んでいて、結局、あの戦争は日本人全体の責任であり、日本民族が生来持っている弱点の発露だったのだという感を強くする。 日本人の海外侵略に対する楽天的肯定論は、島国住民の大陸願望とでもいうべきもので、血として潜在的に太古の昔から受け継いでいる。近代社会の中で許されざるこの志向を、皇国の発展を大義名分として国民に示すことで、その血を刺激させ、且つ、長年続いた「お上には逆らえぬ」的発想が染みついている日本人気質がそれを後押しする。おそらくそんな精神構造だったのではないだろうか。 現代日本人稼業(?)を長くやっていると、ああ、この動きは、見事なまでに日本的だと思う時がある。明らかに恣意的な方向性作りが行われ、多くの者がそれに内心疑問を感じているにかかわらず、「世の中の流れ」だからと、唯々諾々として従うばかりか、一部には積極的にそれに乗ろうとする輩も出てくる。この構図は現代の組織の中でもそんなに珍しいことではない。 そうした日本人の陥穽が、戦後、そんなに問題にならなかったのは、ただただ平和で、戦争という大事が眼前にぶら下がっていなかったからで、一旦緩急あらばどうなるかは火を見るよりも明らかである。日本人は戦前と何も変わっていない。(つづく)
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