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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2007年07月29日
  青年劇場公演『銃口ー教師・北森竜太の青春ー』を観る

(観劇感想文です。「かあてんこおる」の項にもアップしました。)

 

真っ直ぐな芝居 

   青年劇場公演『銃口ー教師・北森竜太の青春ー』第267回例会

 

 真面目で真っ直ぐな芝居であった。それが清々しい。
 希望に燃えて小学校教員となった主人公(船津基)が、北海道生活綴り方教育連盟に参加していたため、アカと間違われ特高の拷問を受け、退職せざるを得なくなるというのが前半の展開。
 職員室内の、皇国教育を推進する校長と子供中心に考える教員たちとの温度差がうまく描かれ、当時を知らぬ私も、さもありなんと思わせるに充分であった。
 後半は、九死に一生を得た主人公が、戦後、帰国し、教職復帰の自信のなさを吐露するものの、遺書を届けた故上官の母から感謝されることで、再び教育者として生きることを決意するまでを描く。
 原作は三浦綾子。最後の小説から一部を切り取った芝居だという。戦前、何の疑問もなく教え子に軍国教育を施してしまった体験と反省がこの物語の展開に深く反映していることはいうまでもない。悔いて教育者として戻らなかった作者が、この話で、かくあれかしと思った人物像を造型し、理想を託したと考えるは自然なことだ。そうした視座がはっきりしているので、観ていてストレートにメーッセージが伝わった。
 登場人物は、彼を慕う恋人はあくまでも純心で、特高はあくまでも憎たらしく、人のいい刑事さんはあくまでもこの家族思いというように、あまりに雛型通りなのだが、それが、逆に見ていて安定感につながっていたように思う。
 出演者も二十二名と、最近の芝居ではたっぷり使っているほうで、職員室、下宿、実家、ロシア戦線、東北の農地など場面数が多いのも印象的だった。抗日に射殺されそうになるシーンの緊迫感、ラストの東北の風景のひろびろ感とのコントラストなど、各場毎に雰囲気が違っていて、飽きさせない。その都度、裏方は大変だろうが、労力をかけているだけの効果ははっきり感じられた。
 お説教臭いところがある青年劇場として、今回は作品メッセージの強靱さの下、下手な主張をしゃべくり散らすことがなかったのも好印象で、これまでの中で出色の出来であった。
 戦後何十年か、戦時の異常さを描く文学や劇などが沢山世に出た。作者も受け手もすぐ過去に実経験があったればこそである。それが、戦後六十年を経過し、当事者もほとんどいなくなり、大戦は「歴史上の出来事」となってきた。この種の体験談を身近に見聞きすることも本当に少なくなった。
 この舞台、少々類型的展開だが、このストレートさは、今の時代にこそ貴重のような気がした。
 以上、評価としては、主人公が同業者の芝居だったので、ちょっと点が甘くなったかもしれない……。
         (父親でさえ戦争に行っていない世代の馬鹿息子より)                                   (2007.7)

 2007年07月28日
  電気シェーバーを買い替える

 サブで使用していた電気髭剃りが充電されぬようになり、AC電源に切りかえても動かなくなった。量販店で修理を依頼したら、新しいのをお求め下さいと、きっぱり断られた。中には単三型二次電池が二本が入っていることは判っていて、自分で分解しようかと思ったが、ネジに盲板が被っていて分解しにくいように作ってある。それ以上あがくのは止めにして、大人しく買い換えることにした。
 今回、サブ使用ということで、旧型特売品を買った。人生何本目の電気髭剃りだろうと数えたが、結局、よく判らなかった。七、八本目というところだろうか。
 高校時代も何か使っていたはずだが全然覚えがなく、大学時代から覚えている。乾電池式の超安物を使っていた。ちゃんとしたものが買えたのは給料を貰うようになってからである。
 後、四十歳前になって、どうせ買うならうんと良いものを買って、それでも剃り残すなら、それは現代の技術の限界なのだから諦めもつくという理屈をつけ、初めて専業メーカーの高級品を買った。途中一度電池交換はしたが、今でもそれは現役メインである。
 それにしても、髭剃りは「男生活」に欠かせないもの。大の男は誰でも髭剃りを語らしたら一家言ある。今回、どれにしようとネットで調べる中、蘊蓄を語るブログが多数ヒットした。どれどれと読むと、剃る方式がメーカーによって違うらしく、それと自分の肌との相性が重要事らしい。
 老父が、手術後ほどなく髭剃りがいると言い出した。回復室にいる身、伸びも遅く身内以外誰も顔を見ることもない。しばらく剃らなくても格段の不便はないはずなのだが、剃りたいという。なんだか気になるのだろう。
 慌ただしい毎朝の髭剃り。壮年にとっては、ただただ面倒なだけだが、男は、その作業をして「公の顔」になる。父のように仕事をリタイアして「公」を気にしなくてもよくなった人間にとって、髭剃りは毎日しなくても困らない行動なのだが、それでも、男の矜持、大事な朝の儀礼として必要なのかもしれない。
 さて、新しいシェーバーはロータリー式(日立RM-SX100)。四半世紀前、就職して初めて買ったものと同じメーカー、同じ方式、同じ振動、同じ音。洒落たデザインで水洗い対応と多少の進歩も感じたが、それより、髭剃りって昔と変わってないなあという印象が強かった。
 それに、何と、新品が届いた頃になって、古い方がAC電源でなら動くようになった。捨てられると思って急に頑張りだしたのだろう。誠に健気、哀れを誘う。ちょっと捨てられなくなって、今は、あれで剃りこれで剃りしている。

 

 2007年07月26日
   ここのところ

 三週間程前に老父の手術があった。朝から午後までかかる手術を、クッションの悪い椅子で待つしんどさを覚悟していたら、家族控室というのがあって、畳敷きで横になることができ、助かった。すべてが終わって、患者が術後専用棟に移されてから家族が呼ばれた。
 手術室の前に長椅子があって、家族がじっとそこで待ち、手術中のランプが消えて手術着姿の医師が出てくると、駆け寄って成否を聞くというような光景が、テレビドラマなどではよく出てくるが、あれは最早フィクションなのかもしれない。
 仕事が終わって見舞いに直行すると、勤務終了の職員さんや、私と同じ仕事帰りの家族見舞い客で、夕刻にもかかわらず駐車場ゲートが混雑している。ここでは、こうしたことが毎日繰り返されているのだろう。大病院ならではの光景。私もしばらくこの混雑の一員となる。
 前の病院と色々システムが違う。患者は、まず集中治療室に入るのではなく、術後専用棟があり、その特別観察室のようなところからスタートし、その後、同じ棟の扉つき個室、そして疾患別の一般病室へと段階を踏んで部屋を移動していく。専用棟は、自動扉で仕切られ、入棟確認があるなど物々しい。駐車割引の仕方なども違っていた。
 入院経験のある人から景色がよいことを教えられ、最上階に行って市内の景色を俯瞰したり、コンビニ風売店の売り物をチェックしたり、食堂に入ったりもした。
 こうした、へえ、ここはこうなんだという一連の違いやお初の体験が、見舞い家族の気持ちとして、少しは明るさを添えているように思った。
 そろそろ退院の話が出るようになった。今行くと、我々家族は病棟内足腰鍛錬散歩の介助要員である。

 

 2007年07月23日
   持っていく本を間違った?
 持病である内蔵疾患の定期的な検査ため病院へ。今回は自分のための病院行きである。検尿、採血、エコーと時々呼ばれながら、半日がかりで医師の問診に辿りつく。超音波エコー室ではいつになく長々と検査され、途中で担当者がベテランと交替、撮影後も二人で画像を見ながらこそこそ相談などしているため、仰向けにお腹を晒している私は、急に不安を覚えた。何か悪い病巣でも発見されたのだろうか? しかし、後の医師からの話には別段変わったこともなく、いつものように淡々と終わった。あれは、どうやら若い係が不慣れなだけだったようだ。
 中で働いている人は忙しそうだが、患者にとって、病院で流れる時間はゆったりしている。こうした場所では読書に限る。ただ、難しい本を持っていっても読むまい。定番さくらももこがいいと、図書館から『ももこの世界あっちこっちめぐり』(集英社)を借りて来た。新聞の四コマ連載も始まり、夫婦共々、今日のは面白かったねなどと言い合っていて、我が家は、最近、まる子と親しい。
 内容は、女性誌に載せた、夫や父と行った世界各地への観光旅行記。突拍子もない事件のようなものはなく、内容は、現地ガイドがついた、食事と買い物と有名どころのサイトシーイングという至極真っ当な旅行なのだが、ももこ的発想の突っ込みやボケたコメントが面白く、楽しく読ませる。
 呑気に読んでいたのだが、エコーの後は、次呼ばれたら何か告知があるのではないか、その時は動揺しないようにしよう、いい歳なのだから静かに受け止めようなどという気持ちがぐるぐると巡って、心が波立った。
 そんな気分のまま、再びこの本を手にとったのだが、もちろん、中身は変わらぬお気楽話。これで死病を宣告されたら、今日のことは、我が人生の重大岐路として、まる子のズッコケと一緒になって記憶されるのだろうと思うと、それはそれは、まことに珍妙そのもの、奇妙キテレツ、複雑怪奇、何とも「トホホホホ……。」な心境であった。
  教訓。
 そんな時のために、病院に持っていく本は、しみじみしたエッセイあたりが無難なようです。
 2007年07月21日
  濱田琢司監修「あたらしい教科書 民芸」(プチグラパブリッシング)を読む
 定番にしている現代文の教材に、川田順三「手作り幻想」というエッセイがある。手作りイコール手間のかかったよいものというのは今や幻想であるという内容で、その中に、ちらりと民藝運動の功罪めいた指摘が入っている。「用の美」「雑器の美」という定番の言葉で解説はするのだが、そのたびに、もう少し民藝について理解を深めたいと思っていた。
 この本、民藝研究家を監修者にして、前半は、民藝運動の考え方や歴史を平易に解説、これを総論とし、後半は、現代に生きる民藝的センスの品々を紹介する。勉強もでき、女性誌あたりを読む気分で気軽に「もの」ガイドを楽しむこともできるというところが戦略的に上手く、堅苦しくない入門書である。他に、この「あたしい教科書」シリーズとして「雑貨」「本」「ことば」「住まい」などが出ている。
 読むと、案の定、民藝の概念は、運動参加者各々多様で曖昧な概念のようだ。この本によって全体像は把握できたが、自分なりに、つまりはこういうことだという確固たるイメージのまとめはできなかった。
 反面、後半の、色々な人が「新しい民芸」としてチョイスしている品々を見ていて、自分なりに発見があった。土瓶、曲げもの、竹カゴなど、従来の民藝のイメージで括れるものも多く紹介されているが、洗剤のポリタンクやステンレスとゴムでできた灰皿なども選ばれている。それらは、おそらく、これまでの概念と対立する大量生産の工業製品である。しかし、シンプルなデザインの美があり実用にも適する。これも、現代では民藝の概念に入れてもいいのではないかという提案的な考えで選ばれたのだろう。
 そう広く考えると、民藝は戦前の藝術運動、あるいは、戦後一時期到来した民藝ブームといった過去のイメージで捉えるのではなく、現代にも脈々と流れている精神のように思えてきた。例えば、西武系生活ブランド「無印良品」の虚飾廃止デザイン、昨今の和のブームやアジアンブーム、それに、定番のモダンリビングの思想、初期の「ユニクロ」のシンプルさまでその視野に入るのではないか。
 工業製品に囲まれた現代に生きる我々、ストイックに手作りに拘泥する必要はない。長く愛着を持って使える手作りの良品を中心に据えつつ、気に入った工業製品も積極的に取り入れていく。つまりは、何事も無頓着にならず、自分の生活や意識を、身の回りの「もの」に押し広げ反映させていく持続的な態度こそ大事だということなのだろう。そうしたメッセージをこの本から私は受け取った。
 おそらく当時の民藝運動の人々は、日本やアジアの生活文化を根底に、北欧のデザイン感覚なども包含した美意識で考えていた。現代のシンプルライフの思想などと一緒に括るには多少無理もあるかもしれないが、広い意味で、この運動の精神はライフスタイルの問題に帰着する。そうした意味では、現代人は立派に民藝の精神を受け継いでいるような気がしてならなかった。
 おそらく出版の意図もそこだろう。現代の生活スタイルを民藝という概念で捉え直す。実によくできた企画である。
 2007年07月16日
  文明の正しさ NHKスペシャル「マチュピチュ 天空に続く道」を観る
 八日(日)夜九時、何気なくつけたテレビ番組に釘付けになった。NHKスペシャル「失われた文明インカ・マヤ第2集ーマチュピチュ 天空に続く道ー」。 
 中学時代、サイモンとガーファンクルのヒット曲「コンドルは飛んでいく」の素朴なメロディに魅せられて、フォルクローレに興味を持ち、一枚だけだがお金を貯めてLPを買った。ポール・サイモン自身、南米音楽への関心を深め、ソロになった後もロス・インカスのメンバーをバックにつけたアルバム「ライブ・ライミン」を発表している。これも大愛聴盤になった。ポップスだロックだとまわりが熱をあげている中にあって、今から思うと、ちょっと変わった子だったかもしれない。
 そうやって、南米に親近感を持ち、空中都市マチュピチュの美しさにも憧れてはいたが、それ以上、詳しいことは知らないまま大人になった。その後、繁栄していたインカ文明が、一五三二年、ピサロ率いるスペイン軍によって、あっけなく滅び去る詳しいいきさつを、民放テレビ番組で知ったが、一応、文系人間の矜持、昔から知っていたことにしようと思ったのを覚えている。我ながら実に姑息である(笑)。
 それにしても、高校で南米の古い歴史を習った記憶が全然ないのは、あの時、寝ていたからだろうか。
 閑話休題。
 今日の番組を観て、あのころから思っていた漠然とした疑問がすべて氷解した。なぜ、あのように孤立的な山岳地に、王のいまそがる都市を築いたのか、そんな場所から、なぜ広大な国土を支配できたのか、そうした疑問が、次々説明されていった。
 インカ道と呼ばれる道路網の整備が統一に不可欠だったこと。峻険な山肌に石積みのアンデネスなる段々畑を作って食糧を確保したこと。王は太陽神の御子とされ、太陽を観測することで農作物を植える時期を示し、権威を高めていったこと。力による奪取ではなく、民にあまねく与えることで信頼をかち得ていったことなど。
  無文字社会を論ずる際、よく引き合いに出されるキープ(結縄)もこの文明の風習だったのだと、この番組で初めてつながった。画面に出てきた放射円状に飾られた実物の美しさに目を見張る。
 CGで遺跡に茅葺きの屋根をのせて家並みを復元し、アニメで王の治世や生活ぶりを紹介していたのも判りやすく、映像技術の進歩の恩恵を感ずる。
 神と生活が融和した高度かつ平和な文明。太陽に感謝しその恵みをいただく。地球に暮らす生命体として正しい行動をもっとも洗練された形で発展させた文明だったのだと思った。
 以後の人間はその道を選ばず、自然を無視して人工技術を磨くことを文明と名付け、殺戮による統一への道を善しとした。この番組を見ながら、人間は「大航海時代」あたりから間違ってしまったのではないかという気がしてならなかった。
 以前、どこにあるのか知らないままに行きたいと思っていたのがコルコバードの丘だという話を書いた。マチュピチュにも行きたいが、あんな山岳地帯、南米リゾート大都会行きの比ではなかろう。これもかなわぬ夢に終わりそうだが、せめてもと、遺跡全景写真をWEB上から探してきてコンピューターの壁紙にした。今はそれを毎日眺めている。

 2007年07月13日
  (つづき)

  この作品、三年前の芸術祭大賞作だという。台本自体は色々配慮された悪くないものだと思ったが、その時その時で空間を造り上げていくのが舞台。役者の高齢化、金沢という物静かなお国柄など、色々な要素が絡んで、今回、笑いの渦にもっていけなかったのだろう。雰囲気の出来上がった会場でもう一度観たら、印象が全然違ってみえる芝居のような気がする。ちょっと残念だった。
 気になったのは、お金の工面が中心のこの話で、出てくる金融制度が古めかしいこと。これは七十年前の話だから、こういうことが当時は大事だったのだろうと、いちいち頭の中で時代に配慮しなければならなかった。こうした、こちらが側の変換意識も、打てば響く反応にならなかった一因かもしれない。ただ、これは勝手に原作を崩せないところで、どうしようもない。
 さて、先頃、文学座の重鎮北村和夫が亡くなった。近年、劇団を背負ってきた看板俳優が、どんどん鬼籍に入られている。
 では、次やその次の世代に、名前だけで人が呼べる大看板が育っているかといったら、答は否である。昔はテレビなどで、舞台出身の堅実な若手・中堅が飛躍するチャンスがあったが、今はほとんどない。芝居好きの間で実力が認められているだけで、広く名が行き渡らない。その上、不況で劇にお金を落とす人口自体が減っている。いい脚本にも恵まれていない。素人考えながら、新劇の置かれた状況はかなり厳しそうだ。下手をすると、芸能人寄せ集め興行ばかりが生き残るのではないか。
 御大北村の死亡記事が思いのほか小さかったのに驚いたが、それが、今の新劇の状況を表しているかのようで、心痛んだ。
 昭和が終わって二十年。あの頃を支えた人たちが舞台から降りようとしている。それを観ている私も、つまりは、否応なく齢を重ねている。今回、お元気なお姿をチラリと拝見できて、安心した反面、一抹の淋しさも感じた一夜だった。
 以下、オマケ。
 この文章を書いていて、「物知り博士」を見ている子供の頃の自分をまざまざと思い出した。白黒テレビに齧り付いて楽しみにしていたものだ。
 あの時、確か、「
サンタクロースは本当にいるの?」という質問に、あれは大人の作ったものだと博士は答えて、「へえ、そうなんだ。」と驚いた覚えがある。後に、子供の夢をこわすと視聴者から批判が集まったはずである。我ながら、細かいことを本当によく覚えている。
 今から考えてみると、あれで初めて知ったのではなく、うすうすわかっていたことを、物知り博士が断言してしまって、「やっぱりそうなんだ!」と確信したのが、あの時だったのだろう。
 私達の世代は、博士に色々なことを教えてもらった。だから、我々は、皆、熊倉さんのユーモラスなお声が大好きである。
                        (2007.5)

 2007年07月12日
  テアトルエコー公演『ルームサービス』を観る 

(まとめるのに時間がかかり、5月下旬に観た芝居の感想文を今頃アップします。「私のかあてんこおる」の項にもアップする予定です)

 

ベテラン俳優さんたち 

        第266回例会 テアトルエコー公演『ルームサービス』

 
 職場を出るのが遅くなった上、道の選択を誤ってラッシュに紛れ込み、当然、駐車は会場から一番遠くになりと、一度出遅れるとどんどん悪い方向に歯車がまわってしまうパターンに陥って、大遅刻をした。
 二階に着席すると、だいぶ物語は進んでいる。状況が判りはじめるまで、話している意味内容ではなく、純粋に俳優たちの体の動き・しゃべり方を客観的に眺める視点で舞台を観ることとなった。まるでゲネプロで演技の最終チェックをしている演出家のような気分である。しかし、そんな十数分が逆にちょっと新鮮だった。
 私が座った時、この劇団の屋台骨を支えているお一人、沖恂一郎が出番中だった。にわか鬼演出家は、演技の切れが悪いなと感じたが、パンフレットを見ると御歳七十七歳とのこと。無理もない。
 同様に、銭形警部、納谷五朗も七十七歳。物知り博士、熊倉一雄は八十歳。ベテラン陣は、ほとんど顔見せ的な短い出演となっていた。彼らが出てこないとテアトルエコーではないので、最初から年齢に配慮した演出・訳(酒井洋子)がなされたのだろう。熊倉さんにいたっては、もう出てこないのかと思った最後の最後にチラリと出てきて、妙に安心した。お元気そうであった。
 ブロードウェイのホテルに住みついて、芝居の幕を開けようとする役者たちと、彼らを追い出そうとするホテル側との丁々発止が続くコメディ。七十年前の作品のリメイクだという。私は途中からだったので、長くも感じず、疑問もなく楽しんだが、後から聞くと、厳しい評価を下している方もおられた。どうやら私が観ていない序盤はほとんど笑いがなかったらしい。
 喜劇は「おもろうてやがて哀しき」が一番だとする人から見ると、この作品は、「やがて哀しき」がなく、最後までドタバタに終始するのも物足りなく思えたかもしれない。もちろん、それはそれで、作品に突っ切る力があるのなら問題はないのだが、後半、かなり笑いが出てきたものの、全体的には、乗せ切ったとまではいえなかった。(つづく)

 2007年07月07日
  父再入院
 老父が去年に続き入院、手術となった。今度の病院は台地一つ向こう。自分の病気を診て貰うために行って以来、数年ぶりで中に入った。現在、新築建て替え中で、辛い思いで何時間も堅い椅子で待った古い診療棟もいずれ壊されるようだ。長い廊下を通って新病棟の病室にいたる。
  昨日、医者による丁寧な事前説明を受け、同意書にサインをする。来週、手術。小さな人工物を体内に埋め込むだけでも、細菌に感染しやすかったり、縫合部の異常など、時にすんなりとはいかないらしい。SFでは当たり前のサイボーグなど、夢のまた夢である。老齢のため、昨年同様、手術自体の回復の他に、運動能力の回復具合も心配である。
 本当に、近年、病院と親しくなった。人生というのは、ずっとベクトルが平行のまま生きてきて、最後にストンと終わるのでなく、徐々にベクトルが下に向いて、最後に水面にどぶんと浸かるもの。お互い確実にその途中を歩んでいるねえという話を老父と病室で交わした。
 二人の間には三十歳の年の差があるが、老父は、私の若い時から、人生、どっちが長く生きるかわからんよと私を脅かし続け、長生きに意欲満々だった。普通に考えれば、父の方が先だろうけれど、私がプラス三十年長生きするのはどうも無理そうだ。従兄弟は四年後に親を追っかけた。まあ、何事も順番、父より後には死ぬつもりだが、結構早めに、あの世で再会するかもしれないよ、なんてたわいない話をした。
 今度の病院の面会時間は夜八時まで。前の病院は八時半だった。この三十分は大きい。仕事場から直行することになりそうだ。この日記も当分滞りがちになりそうである。
 さて、今夜は七夕。薄曇りだが、夜空の向こうではしっかり再会できたかな? 
 2007年07月05日
   「バロック音楽の愉しみZ」を聴く
 2日、県立音楽堂邦楽ホールにて、上記バロックコンサートを聴いた。オールバロックプログラムは久しぶりである。バロック振りの延原武春の指揮、オケはオーケストラアンサンブル金沢(OEK)のピックアップメンバー。
 もっとバロック音楽に親しんでもらうというコンサートの趣旨が隅々まで行き届き、私のような門外漢も本当に楽しく聴くことができた。歌の時には左右に電光掲示板字幕スーパーがつくという親切さ。延原の指揮も、表情豊かな手さばきで、観ていて飽きなかった。
 彼は、その都度、作曲家や曲について解説をしてくれた。その大阪弁のおしゃべりは大変面白く、且つためになった。邦楽ホールにあまた下がっている提灯に触れ、「バロックは日本では元禄時代にあたる。日本の町民が音楽やお芝居で愉しんでいたように、当時のヨーロッパでは貴族がこんな音楽を聴いて愉しんでいたのですよ。」という説明は、バロック音楽の性格の一端をよく言い当てていて、我々観客の堅苦しい気持ちをさっと取り除いてくれた。
 今回、有名な曲ばかりだったが、生で聴くのは初めて。色々な発見があった。
 例えば、一曲目、ヘンデルの「水上の音楽」は、所々にイギリス色の強い旋律が混ざることに気づいた。イギリスに渡り、熱狂的に受け入れられ、市民権まで得た人ならではのご当地への「くすぐり」も入っているのかと思ったが、素人考え、正確なことは判らない。
 第一組曲は、十人ほどの編成、第二組曲は、トランペットなどが入り二十人ほどの編成に拡大する。合奏風の曲調が華やかで、これまでBGMとして聴いている時には、全体を漠然と捉えていただけだったが、生で聴くと、各々のパートの動きがはっきり判り、それが私でもよく理解できる動きをしているので聴いていて楽しかった。
 クラシックは好きな作曲家だけつまみ食いしているような私のレベルでは、どう聴けばいいのか判らず、仕事の疲れも手伝って、眠たくなるのではないかと心配していたので、ああ、判る判る、楽しくウキウキした音楽だと、この曲一曲で、ひどく安心した。
 二曲目は、バッハ「バイオリン協奏曲第二番」。十人程の小編成。ソロは西沢和江(金沢出身・ロン=ティボー国際コンクール三位)。愛らしいメロディが何度も何度も繰り返され、ますます楽しくなってくる。ただ、彼女のソロは堅実な現代的演奏だったが、少々地味で、もっと華がほしかったように思う。
  三曲目は、バッハ「カンタータ第一四七番」。ソプラノからバスまで独唱を中心に短い曲が続き、最後、コラール合唱(OEK合唱団ピックアップメンバー二十人ほど)に至る。これは、「主よ、人の望みの喜びよ」で、その有名旋律に、ゆったりと合唱の旋律が入るところが特に素晴らしく、引き込まれた。
 ラストのアンコールは「G線上のアリア」。本当に初心者に至れり尽くせりの選曲であった。
  小編成ゆえ、力強さはないが、客席右最前列で聴いていたこともあり、眼前のチェロ1、コントラバス1の最小編成が、かえって楽器本来の音を響かせて、大編成にはない魅力を感じた。
  大人二千円、子供千円という値段設定も実に教育的良心的。心から楽しめた音楽会であった。
 2007年07月03日
  劇団昴公演「台湾の大地を潤した男ー八田與一の生涯ー」を観る

 高文連文化教室で、台湾の治水に尽力した郷土の偉人八田與一の人生を描く劇団昴公演を観た。於金沢厚生年金会館。
 物語は、結婚から始まり、計画段階、現地との摩擦、事故、完成、そして戦時中の死までを、各々場面に区切りながら見せる。彼の人生がこの物語を観ればおおよそ判るという「略歴年譜」を思い浮かべることができる直線的な展開で、地元民として勉強になった。市内の文化施設「ふるさと偉人館」で勉強したような気分だと思ったら、脚本家(松田章一)は、現在、その偉人館館長の職にあるそうだ。地元脚本だけに、時に、金沢話題や方言が無理のない程度に出てきたが、嫌味がなく、効果的だったように思う。
 地元新聞などで、よく「八田技師」という言い方を目にするので、もっと個人的な立場から努力をした人かと思っていたら、植民地民と融和的に統治を進める後藤新平率いる台湾総督府の意向を踏まえた政策的一大プロジェクトのリーダーというような立場だったことに意外の感を持った。
 物語は破綻なく纏まっており、感動的なシーンも用意されていたが、特に感激すべきものではなかった。一緒に観た人も同様のことを述べていたが、色々盛り込みすぎて、一つ一つを深める作業がなく焦点がぼけている憾みがある。以下、改善のために、お節介な指摘をいくつかしたい。

 

 前半、現地台湾人の反発が描かれ、自宅に押しかけてくる。どう展開するのかと思っていたら、部下に任せると言ったまま暗転になり、次からは、関東大震災で工事が中止された苦悩の話に移る。途中からは、最近は現地民も協力的だという話になって、このモチーフは終わっている。同様に、八田は常に日本人スタッフを相手にしているだけで、現地の人とのコミュニケーションがほとんどない。これでは、現地の人が彼に恩義を感じているということの実感が観客に湧かない。
 トンネル事故の場面も、現場ではなくあくまでも室内。楽な設定だが、ダイナミクスに欠ける。せめて一カ所くらい大きな舞台転換があってもよかったのではないか。

 また、主人公は多数の死傷者で悩んでいるが、死んだ者たちとのコミュニケーションを伏線として前半に描いていないので、彼の悲しみに感情移入しづらい。
 八田は、戦争中、乗っていた船が沈められ、死体が山口県沖で操業中の漁船の網にかかるという死に方をした。すると、ラストの場面では、反戦のモチーフがさっと現れる。
 つまり、全体として、その場面場面だけでモチーフを配して描いているので、散漫な印象となるようだ。
  これに対して、全体通したテーマとして「夫婦愛」がある。特に中盤部、彼が悩むところで、精神的に彼を支える内助の功が発揮されている。ただ、最初から彼は猪突猛進タイプとして描かれているので、悩みと立ち直りが、お定まりの作劇法のように感じられた。中盤部の夫婦のイチャイチャも観ていて恥ずかしかったが、他の人は如何だっただろう? 夫唱婦随タイプの愛が、これを観た若者にすっと入ってきたかも聞いてみたい気がする。
 ラストの残された妻の投身自殺に至る独白も冗漫という意見が多かった。「貴方はダム」という台詞など少々説明調である。

 

 最初から最後まで、この主人公は意欲的なリーダーシップのある偉い人であった。妻も、冒頭、十六歳の嫁入りから台湾行きを決心する立派な人。人間的に弱い人のほうが芝居には向いている。そのあたり、崩しようがなかったのだろう。「ふるさとの偉人」を描く脚本は大変な苦労があったと思う。
 後日、観劇感想文を読んだ。人のためという高い志に向かって、力強く前進していく彼の生き方に多くの高校生は率直に感激しているようだった。そうした主人公自身が持つ精神の在りようの魅力は何ものにも代え難いパワーがある。このストレートさこそこの劇の美点だと思う。妄言多謝。(2007.6.25)


(「かあてんこおる」の項にもアップしてあります。)

 

 

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