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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2006年03月31日
  新たな展開 

 明日から新年度。この職場で十五回目の仕切り直しである。
 しょぼくれて、時間が止まった一年を過ごすのは嫌である。先の日記の通り、来年、お情けでどこかの職場に引き受けてもらうのではなく、元気に、「普通に」異動したいもの。
 人生に新しい展開をということで、秋に買おうと思っていたデジタル一眼レフボディを衝動的に買ってしまう。以前も書いたが、私は、機械ものなどポンと買ってしまって、外側から新しいことに挑戦する形で、展開をはかるタイプである。
 ここのところ、銀塩一眼レフを使うことがなく、レンズが死んでいた。どうせ、高級ボディを買ってもすぐ古びる。一番安いボディ(ペンタックス*istーDL2)で、まず、この世界に参入するという発想で選んだ。
 一年間、コンパクトデジカメを使っていたので、デジタルならではの操作には慣れている。また、銀塩と同じ会社なので、使い方に共通点が多い。機械の動きからして、共通の内部パーツもいくつかありそうだ。その二つの流れがあるので、説明書を見なくても操作できる。ちょっと、あいそもないくらい(金沢弁。「あっけないくらい」の意)。
 入門機種なのでオート中心の操作感。それが、カメラ趣味再開後、初めて買ったフルオート銀塩一眼(Zー20P)とそっくりなのである。もう十五年近く前の機種なのに……。
 銀塩がデジタルになっても、ずっしりとしたカメラで撮す感覚は変わらない。一眼ならではのガシャというシャッター音が耳に心地よい。
 買ったその夜、偶然、某高校の吹奏楽部定期演奏会に行くことにしていたので、お試しでコンサートの模様を撮った。高校生がステージで踊っているのをフレームに収める。みんないい顔している。昔は行事記録係として、大車輪で右に左に場所を変えてシャッター切っていた。この感覚、なんだか懐かしくて仕方がない。
 新たな展開と思って買ったのだけれど、全然、新しくないのが、ちょっと予想外。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(撮影愚妻)

 2006年03月28日
  来年……。

 内示の日、授業以外は席を空けることなく待ったが、異動の連絡はなかった。身辺整理は終わっている。親しい人へのお別れの品まで購入済みだったので、意外なことで困惑した。毎年、今年こそ異動だ異動だと漏らしているので、ほとんど、職場の中で私は「オオカミと少年」状態である。
 ここのところ、置いてもらっている感が強い。手術をしたが痛みが残り、以前ほどテキパキと仕事ができなくなった。その私を、また居残して、一体、何をせよというのだと虚しい気持ちが湧いた。人生の展開が後ろに後ろにずれて、時が止まっているかのようである。
 短年で異動をした人の中には、ようやくこの職場に慣れ、これからと思っていたのに残念であると、はっきり離任式で述べた人もいた。ちょっぴり胸が痛む。
 帰宅後、異動はなかったと老父に連絡すると、まあ、つまりは、お前の引き受け手がなかったのだろうよとのこと。
 ああ、そうか。制限のある者を喜んで引き受ける職場があるわけはない。進学校だから、パワーの落ちた者は去るのが当然だと思っていた。でも、それは、放出側の理屈でしかない。
 来年度は、出来るだけ、元気だよ、問題ないよとアピールすることにするよと答えると、そんなカラ元気をみせても、その嘘を人は見ているよ、名実共に病気を軽減させて、元気になるしかないよとのこと。それもまた、その通りである。いくつになっても子は親に教えられる。
 来年、元気に、普通に異動する。どうも、そう自分を持っていくのが新しい年度の目標になった。
 愚妻が、「貴方、痛い痛いと家に籠もってばかりいないで、これから、季節もよくなったし、どんどん外に出ましょうね。」と勧める。
 もう二年以上、市周辺より遠くに出たことはない。出なきゃねと何回もこの日記に書いたけれど、実行しているとは言い難い。
 そうだね、そのとおりだ。
 そうしよう。

 

    居残りの心を知るや早桜  俊 建

 2006年03月25日
  弓道場落成式

 県内の教育現場に弓道場が整備されつつある。勤務校の学校から一番近い高校に弓道場が出来たのが数年前。この学校は、年を追うごとに強くなってきている。
 今日、次に近い別の高校にも弓道場ができ、落成式があった。正顧問の代参ということで、数名の生徒を引率して臨席した。
 弓道の道場開きには、「天地祓いの儀」という儀式がおこなわれる。道場を開く時だけにする儀式なので、私も十年ほど前、勤務校改築の際、見たのが最初。今回で二度目である。
 神官装束の射手が、天と地に向かって射る恰好をする。射はしないが、その際、大声で恫喝の発声をする。弓矢の威力によって、邪を天高く追い払い、また地に封じ、場を清める意味があるそうである。
 普通、地鎮祭などの儀式は、御霊を鎮める祈りを捧げるものだから、初めて見た時、乾坤を脅かし揺り動かしてどうするのだ、神霊が怒って災いがあるではないかと訝った。後で、意味するところを聞いて納得した。
 つまり、「鬼は外、福は内」の、「鬼は外」のほうだけをやっているのである。弓矢は「武」の道。「祓う」役目が儀式化したのは、よく考えると自然である。
 いくつもの儀式が続く。基本的には弓を射ることしかないのだけれど、日頃の所作にはない特別な動きが入る。やり慣れない難しい動きを、数名の射手が同じ間合いでする。シンクロナイズドスイミングやスケートフィギュアペアなどと似た協調の美しさがある。儀式にいう言葉ではないかもしれないが、私は堪能した。生徒はどんな思いで見ていただろう。
 帰り、案内看板のところで生徒と記念写真を撮った。先生、観光旅行じゃないんですからいらないですよと言われたが、いや、今日の記憶は一生残っている。あと何十年かたったら、あの時の記憶の唯一の証拠として、この写真は意味を持つことだろう。
 まあまあ、そう言わんと、撮ろうよ撮ろうよと、こちら主導でシャッターを切ったが、私の気持ちをわかってくれる日は、おそらく最後までこないかもしれない。でも、まあ、それでよい。
 写真が一枚あるという事実が残る。

 

 2006年03月24日
  学校、この不思議な場所

 今日は、終業式。全ての行事が終わり、掃除をし終えた生徒たちにご苦労様と声をかける。生徒が去って静寂が訪れる。一年終わったという軽い脱力感に似たものを感じる。窓の外を眺めてコーヒーを飲む。

 

 学校とは不思議なところである。学校ってなんだろうと考えると、タマネギの皮むきのような気分を味わう。どんどん剥いていったら、なんにもなくなる。
 学校の中心は生徒である。それは間違いない。でも、たった三年間しかいない。一年で三分の一がいなくなる。新陳代謝が激しく、四年前のことはもう誰も分からない。去年、先輩がしたことは、今年もせねばなりません、それが伝統だと思っている。いいや、それは去年特別にしたことだよというと、怪訝な顔をする。同じ制服着ている同じ人数の集団というだけで、「今」のことしか分かっていない。
 では、教員だろうか。常に方向を決めているという意味では、いかにもそれらしいが、それでも、長くいて十年。勤続何十年という人はいない。企業だって、最近は横から入った人も多くなってきたご時世だが、未だに入社以来いる人のほうが圧倒的に多いはずである。
 管理職にいたっては、数年で全員交代。その都度、あっちを指し示したりこっちを指し示したりする。それには「社会の要請」という名分がつくので、我々はそれに従って右往左往。結局、大人も、前のことなど何も知らずに、自分が在籍している「今」の感覚で仕事をしているだけのことである。
 結果、十年前に否定された方向性が、新しい顔をして、麗々しくまた出てきたりする。まさに歴史は繰り返す。理屈など、百八十度中身が違っても、どうとでもつくもの。
 それでは、校舎が中心なのかと思った時期もあった。誰でも自分が学んだ校舎への思い入れは強い。でも、この職場で校舎の建て替えを体験して思うのは、どんなに臨時の建物でも、この学校はこの学校であったということである。
 こうして、学校を解体していくと、今ある「もの」「人」ではないという結論になって、なんにもなくなる。 
 どうやら、学校を学校たらしめているのは、「校風」「カラー」などというような実体のないもののようだ。この学校はこういうところだという大枠のイメージである。ランクの輪切りで振り分けられてくるにせよ、一応、生徒はこれに共感して集まってくるのだから、そうした要素は、現職教員陣の目先の教育方針より余程確かなものであるように思える。
 そもそも、世間のその学校のイメージも、ぬきさしならぬほど強固で変わりにくい。受験にシフトして、ここのところ部活動を重視してこなかった学校が、たまたま、ある競技で全国出場を勝ち取った折り、マスコミが「文武両道の伝統」と紹介していたのを聞いて、一層その感を強くした。
 私たちは、こうしたイメージに左右されながら仕事をしているようなのだが、でも、それが一番間違いないのではないかという気もしている。世間もそう思い、卒業生もそう思い、親も、在籍している子供たちもそうであれかしと思っている。そこに向かって仕事していくのが本来の我々の仕事ではないか。
 はっきりとしない世間のイメージを重視して何になるのかという意見があることは知っているし、時代遅れの看板にすがってどうするという意見があることも知っている。
 でも、私は、時流を受け入れつつ、時には疑問も呈そう。どこの職場であれ、その学校の伝統に最大の敬意をはらって仕事をして、それでおかしいのだったら、そっちのほうがおかしいのである。

 

 少々、愚痴っぽくなってしまったか。
 話を、「今の中の人」に戻そう。
 教員は、学校のもろもろのなかで、意味の薄い存在だと思ってはいるものの、それでも、学校という場所に一番長くいる人間は、やはり教員である。生徒のいない時でも日々出勤する。現在、生徒の実質出席日は年々減少を続け、二百日を切っている。一年の三分の一は学校に来なくてよい。補習などで縛って登校させるようにして、在校時間を確保してはいるが、実は思ったほど学校に来ていない。
 それに、いても、その大半は教室で座っている。一時間のうち十分だけ、わっと廊下に散って騒がしくなるが、それも一時。基本的には、この大きな建物で千人規模の人間が本当にいるのかなと思うぐらい、いつも静寂に包まれている。
 生徒が知っている教室以外の学校とは、だから、放課後のほんの短時間や休日の部活など、限られた時間、限られた場所での景色でしかない。
 教員は、大勢の気配は感ずるが、でも、かすかな声しか聞こえない日中の静寂な時間に、雑務をこなしに校舎を横断したりする。屋根のある中庭に斜めの光が差し、甃(いしだたみ)に自分の影が映る。跫音が驚くほど空間に響く。
 「学校、この不思議な場所」と思うのはそんな時である。

 

 2006年03月22日
   中山康樹『エヴァンスを聴け!』(ロコモーション・パブリッシング)を読む。

 モダンジャズピアノの巨匠ビル・エバンスの、発売されたすべての録音盤を解説してある完全制覇本。秋に紹介した郊外書店の専門書コーナー「音楽〜ジャズ」棚で見つけた。できて初めて行った時、「ジャズ」と書かれた挟み板を見つけて嬉しかった覚えがある。
 若い頃は、興味のある本はどんどん買っていたのだが、本が生活空間を脅かすようになるにつれて、手元にないと困る本かという基準が、まず、心のストッパーになって、こうした趣味の本を買う機会がぐっと減った。でも、そうしたら、なんだか自分で自分を制限しているみたいで、よくないなという葛藤もあって、棚の前で十分近く逡巡して、ようやく買ってきた。
 なにせ、お気に入りのピアニストである。LP・CD合わせてかなりの枚数持っているし、今も、期間限定の廉価盤が出る度に買い足して増殖中。最近買うのは、発売時、評価の低かったものが多い。当時の評価が今も通用するとは限らないので、今聞くと、意外な発見があったりする。それを楽しみに……。だから、そうした穴狙いの手引き書として重宝だった。これから、どの盤を買い足せばいいか、よくわかる。
 ビルには、非公式に録られた音源を、後になってレコード会社が正式に発売するといった形で世に出たものが大量にあり、ブートレク(海賊盤)を除いても膨大なレコードがある。死後、発掘ブームになって、毎月のようにライブ録音が発売されたが、正直、玉石混淆の感が強く、聴くに堪えない粗悪盤も混ざるようになった。
 その上、同じコンサートツアーの音源でも、最初様子見で、二枚組で出て、好評だったので、次に八枚組、最後に全曲網羅のコンプリート盤が出る。その逆に、網羅盤が出て、後にダイジェスト盤が出るとか、あるいは、いくつかの盤に分かれて収録されていたものをまとめたものなど、複雑怪奇な変遷を辿る。こうして、よほどの偏愛家でもない限り、エバンス全盤の掌握が不可能な事態になっていた。JAZZはどのCD買えばいいのかわからず、敷居が高いと言われるわけである。好盤・駄盤仲良くCD店の棚に並ぶ。それが、この本では録音順に並べられて、異同などを簡単に説明してあるので、すっきり分かる。
 また、本人名義以外のサイドメンとしてクレジットされているものも網羅されていて参考になった。これで、有名になる前に、お仕事として、かなりのセッションに参加していることが分かった。これは発見だった。これまで、私は、処女リーダー作「ニュー・ジャズ・コンセプションズ」(リバーサイド)からしか彼を考えていなかった。ちらりとソロが出てくる程度のマイナー盤までフォローしている愛好家はよほどの少数のはずなので、この点、さすが専門家、ご苦労様といったところ。
 ただ、エバンスほどの巨人である。ジャズ史を飾るような超名盤については、ほぼ、見開き一、二枚で書くという枚数の制限もあり、少々物足りなく思う人も多いのではないか。そこだけ、抽き出して論ぜよと言われれば、もっと卓見を書く素人衆はゴマンといるはずである(同作者に、代表盤のみを解説した別の本があるらしい。その辺はその本でということらしい)。
 解説の文章も、分かりやすい語調で、小難しさを出さないように意識して書かれているのは分かるのだが、例えば、名曲「ナルディス」のあの有名なメロディを、平気で「タタン、タタタタ、タタン」なんて調子で書いてあるのにはマイッタ。これなぞ、心の中でメロディが鳴っている人でないと、分かるわけがない。書かないのと一緒である。楽理というほどのことでもないが、ビルの全盤解説本を買おうという読者である、結構、ジャズに造詣が深いと想定されるのだから、もうちょっと、音楽批評家らしくカッコいいところ見せてほしかった気がする。音楽専門用語をちょっぴり入れるとか、コード進行がどうのとか、ソロのコーラス数がどうとか、せめて……ねえ。
 もしかしたら、そうした簡単な楽理にさえまったく疎い人なのかも知れない。確かに、全然知らなくても、思想からとか、社会背景からなど、論ずべきことは沢山あるし、それで評論家としての看板はあげていられる。
 しかし、ラジオのパーソナリティーとしても活躍した故本多俊夫さんの書かれたLPのライナーノーツなどを読むと、彼は元ベーシストだったので、簡単なコード進行などを示しつつ、曲の構造を説明してくれたりして、理屈で音楽を聴いている多くの頭でっかちたちには、逆に参考になったものである。そんな視点が、この本には、ほんのもうちょっとほしかった気がする。
 因みに、私の大好きなビルの愛奏曲は、「タンタンタンタン、タタ、タタタタター」です。
 どうです、さっぱりわからないでしょう?

 

 2006年03月20日
  夫婦もののグルメレポーター
 先月六日の日記に書いたように、今年にはいって、インターネットの情報を参考にしながら、犀川以南の入ったことのない飲食店を巡っている。普段の夕食で、どうせその日外食なら、新しいところを開拓しようという程度の志である。せっかくだから、でてきた料理もせっせと撮っている。
 先日、ちょっと遅れた私の誕生祝いということで、御新規のトンカツ屋さんで、豪勢にメニューの一番高いものを注文した。ヒレカツ、海老フライ、コロッケの三点盛り。といっても、二千円でお釣りがくる……(笑)。
 揚げたてが出てきたのを、まず何枚も接写してから、ようやく食べ始める。そのちょっとした間で、熱々という美味しさをかなり逃すので、ちょっとジレンマを感じる行動である。
 さて、美味しくいただいて、最後に愚妻がお金を払おうとしたら、向こうのほうから「領収書はご入り用ですか?」と聞いてきたらしい。家計簿用にレシートをもらう主義なので、愚妻が略式のものをイメージして、お願いしますといったところ、ちゃんとした領収書を書き始め、お名前はどうしますかと聞かれたという。どうも、グルメ雑誌かなにかの隠密取材と間違えられたようだと気がついて、慌てて、「家用ですから、上様でいいです。」と答えたそうだ。写真撮っておいて、領収書まで要求しているのに、家用もないもんだと思われたに違いない。道理で、お茶のお代わり二回も注ぎに来てくれたりしてサービスがちょっとよかった。
 うーん、今後、この手でいくのもありかも? 夫婦(めおと)レポーター。
 ところで、食欲を刺激する料理のアップ写真がどんどん貯まっているのだけれど、一体、これをどうしよう。
 この日記、グルメレポートログに鞍替え?
 誰だ! その方が世のタメだなんて思ったヤツは?
 2006年03月19日
  椿まつり
 愚妻の職場があるので、問わず語りにお隣の野々市町の情報が入ってくる。今日は「椿まつり」のお茶席券を買ったので、薄茶を飲んでくるという。それならと連れだっていく。
 夏の「野々市じょんがら踊り」は有名で見に行ったことがあるが、春にこんなフェスティバルをしているなんて知らなかった。椿を町花にしていることさえ、昨年、この町在住の方のブログで知ったくらいである。それによると「野々市」という品種さえあるという。
 会場は、いつもの野々市文化会館フォルテ。駐車場にテントを連ねて、売店や食堂も営業中。雰囲気としては、公民館の文化祭、習いごと発表会に限りなく近い。ただ、椿の品評会があるのがやはり珍しい。砺波のチューリップフェアに行くと、色々な品種があるのに驚くが、それと同様の驚きがある。 地元高校生のお手前を受けた後、地元のアマチュアジャズコンボが出演中だったので、ゆっくりと楽しんだ。さすがジャズに力を入れている町である。
 野々市町は、平成の大合併騒ぎの時、金沢市からの高飛車な吸収合併の要請を断り、南隣りの白山市にも入らなかった。そのため、地図を見ると、オマケのように金沢市にくっついている恰好になった。でも、こうした文化発信の核となるモチーフもあるし、立派な発表場所もある。鶏口牛後の喩えのごとく、都会の末端地域に成り下がるより、独自路線を歩むほうが正解である。やって来るこちらとしても、ちょっと違うところに来たというお出かけ感が出る。こうした文化の差別化は、人の動き、物流、色々なことに意外に大きな影響を及ぼしているのではないか。
  最近の動きを見ていると、どうやら、金沢市は「芸術発信都市」を目指しているようである。当然、市民はそれを享受する。その上に、近隣の町の違う文化も享受する。べたっと一律では、生むものは少ない。その比較の中で、人の文化意識は一層深まるのではないだろうか。
 春にしては肌寒い一日だったが、このくらいの外出だったら腰の負担もない。近くにどんどん文化を発信してくれるところがあることに感謝。
 2006年03月18日
   図書室とパソコン 
 急遽、予算がついたので、今日は、繁華街の書店で、生徒と一緒に図書室に入る本選びをする。貸し出しソフトも買ってあたるそうで、課としては大バンザイである。
 ただ、それにしては、図書室のパソコンが異常に遅い。国内大手メーカー製である。調べると、メモリが128MBしかない。WindowsXP推奨が258MB以上だから遅いはずである。導入された最初から遅くありませんでしたか? と、使っている司書さんに聞く。メモリが抜本的に足りないことを告げると、そんな、最初から足りないようなものを売っているんですかと逆に質問された。まったくその通りである。
 事務方にいってメモリボードを買ってもらい、さて、ソケットに刺そうと、取り扱い説明書をみたら、本機は、空きスロットはありますが、増設には、中の電源部やコードを外さねばならないので、サービスをご利用下さい。有償です。と書いてあった。やり方など一切書かれていない。
 たかだかメモリ刺すだけで有料とは! ボディは箱型。中はがらがらである。こんなこと、DELL社やHP社のパソコンでやったら非難囂々(ごうごう)である。国内大手ならではの殿様商売。「立場上の優位を利用して」というフレーズが脳裏に浮かぶ。
 自分でやる時は自己責任でということらしい。仕方がない。即、情報機器担当の同僚に頼むことにする。それにしても、職場にパソコン担当部署があるということ自体、それだけ大事な人手がとられている勘定だ。
 さて、二人で中を開く。スロットがコードの束の奥に見える。とんでもない所にあるのでもない。電源部をネジ一つはずしてとるだけで、スロットが現れた。作業はものの二分で完了。こんなの、メモリ増設作業として普通である。一体、これで幾らとるつもりなのだろう。
 コンピュータのコードも、IEEEやらUSBやら何やら。職場では未だに旧式の機械が動いているので、パラレルも健在。今、一番メジャーなUSB規格にしても差し込みが何種類かある。もちろん、デジカメのメディアがバラバラなのはご存じの通り。そんなバラバラ規格で、メーカーはユーザーに出費を強いて儲けている。
 一社が提唱し、規格を立ち上げて、数種の製品出して、そのまま尻つぼみなんてことも、この業界では日常茶飯事。統一規格に成り上がったらめっけものという程度の投機的なレベルでしか「規格」を考えていないからである。つまり、自己主張的規格の乱立。魑魅魍魎跋扈するパソコン業界というイメージを誰もが持つのは当然である。
 そんな業界ご都合主義で複雑化したシステムを、いちいちユーザーが覚えるのは知の浪費である。避けて通りたいと思うけれど、遅れた人になるのも癪だし、そのあたり、どうも痛し痒しである。
 さて、実は、これからが短い本論。
 インターネット上のブログも文学ではないかという、先日の主張をトクトクと司書さんに喋っていたら、図書室も変質するという話題になった。
 こうしたブログも文学の変種だとして、今後、ネット配信も増えるだろうし、今は、管理用パソコンと、検索用の利用者向けノートパソコン二台だけだが、いずれ、ずらっとパソコン並べなきゃならないことになりそうだということになった。図書室は、パソコン情報検索室みたいになりそうである。
 業務内容も変わる。その図書室に、どんな本があるか、何を調べればいいかという従来型のレファレンスでは、司書さんの独壇場だが、コンピュータ上ということになると、情報処理そのものとなって、それでは、その分野に詳しい生徒さんの実力のほうが上だったりする。ウェブ上にどんな専門のサイトがあるかを知っていることも大事な職務になってくるかもしれない。
 司書さんによると、最近は、図書館業務の委託業者が存在し、地方自治体向けなどに、標準選定パックというのを作って、本選びをしなくても、まず間違いない選択をしてくれるのだそうである。図書館法の分類や、カバーかけも全部してくれて、司書はそれ以外の寄贈本だけその種の作業をしているというところも出てきたそうである。このため、規模の小さいところでは、人件費節減で職場を逐われる司書も出てくるだろうとのことだった。
 話を聞いていると、知の蔵として図書室と水先案内人としての司書さんの未来がどうなっていくのか、私のような素人が考えても、先行きの不透明さはいっぱいである。
 2006年03月17日
  塩野米松さんの文章
  今年の我が勤務校の入試小論文は、木の仕事について書かれた塩野米松の文章(『木の教え』草思社)からの出題であった。
 現代は能率主義に侵されていて、これを優先すると、頑丈で長く持つという建物本来の目的が見失われ、法律内に入っていればいいという発想になるという箇所。
 姉歯建築士による耐震強度偽装事件、東横インの身障者施設撤去・建坪率違反事件、そして、それらの責任者の無責任な言動の数々を、今年度後半、嫌ほど見せつけられた。法律ギリギリで勝負しているということは、全然いいものを作ろうという意識がないということである。見つからなかったら、違反に踏み込む。そこに何のストッパーもない。
 現代がどういう時代になってしまったのか、今回の事件ではっきりと判った。少なくとも普通の日本人は、みんな暗い気持ちになっていた。そんな時、法隆寺が千二百年平然と建っていることを例に、何が大切かを明快に説明してくれた文章だったので、「その通り!」と快哉を叫びたくなった。
 昨日、事務方のボスが、我々の小部屋にやってきて、「いやあ、今年の小論文、よかった。なんていい文章出してくれたんだと思って、嬉しくて仕方がない。」と感に堪えないように話された。
 この方、名棟梁故西岡常一、その弟子小川三夫、そうした方への聞き書きで有名な塩野米松の愛読者だという。
 ああ、そうですか。私も、小川さんの講演会聞きに行ったことがあります。よかったですよ。と穂を継ぐ。
 意外なところで、意外な同好の士がいるものである。直接、予算や営繕に携わる方がそうした意識を根っこにしっかり持っておられる。これほど、心強いことはない。
 2006年03月16日
   悲喜こもごも

 昼、高校入試の合格発表があった。毎年繰り広げられる悲喜こもごもの風景。教員は遠巻きにその様子を眺める。そろそろ年度も終わる、一年たったとの感慨を抱いて……。
 合格番号が書いてある板を運んでいる最中に、受験生が群がってきて危険なので、ダミーの板持ちを登場させ、そちらにひきつけておいて、その間に、反対方向から正規の板をさっと貼った時もあった。昔、そのダミー板持ちをやったことがあって、陽動作戦などという仕事は、我々の業務にはまずあり得ないことなので、そんなお先棒を担ぐのが、すごく楽しかった覚えがある。こんなのは、いつも若いもんの仕事である。
 数年前、合格発表で喜ぶ様子を階上から見ていた在校生から、自然発生的に拍手が湧いたことがあった。あれは見ていて温かいものを感じて、いいなあと思い、今でもよく覚えている。
 試験の時、あんなに端正で田舎臭いといえるくらいな髪型をしていてた中学生たちが、もうここで、髪留めをはずして髪をいじくっていたり、微妙に雰囲気違っているそうである。さすが生徒指導の女先生。
 入ったもの勝ちとはよく言ったもので、入学後、あっという間に「今時娘」になるのが信じられないという話がよく出る。面接の時の様子をビデオで残して置いて、何かあったら、そのビデオを見せて、お前、あの時、こんなに初々しく決意表明していたではないかといってやりたいものだというのは、仲間うちでは定番の話題である。

 

 2006年03月15日
  吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス)を読む

 昨年話題になった漫画本。平成十七年度(第九回)文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞作である。愚妻が知人から借りてきて読み、そのおこぼれに預かって読んだ。装幀とタイトルから、てっきり字の本だと思っていた。
 作者の吾妻ひでおは、ロリータ・ギャグ・SFといったキーワードで括れる人で、特に個人的には、昔々、「オリンポスのポロン」を連載中から楽しく読んだ。ギリシャ神話の神々がえらく人間くさい連中として出てくるのが楽しかった。お色気うっふん路線のアフロディーテを母、グータラなアポロンを父にもつのが可愛い主人公のポロンちゃんという設定だった。
 なぜ、そんなの読んでいたのか……? 
 そうそう、思い出した。あのころは、漫画なんて買えず、友人が買っていた少女コミック誌も借りて、隅から隅までしっかり目を通していたのだった。もう手当たり次第という感じなのが、いかにもあの頃の年齢らしい。
 本当に久しぶりに読んだ彼の漫画、失踪、林の中でのホームレス、第二の失踪、配管工生活、入院と続く凄惨な下降体験を、自分を主人公に戯画化しつつ、客観的に描いている。
  文中に「鬱と不安と妄想が襲いかかってきて」とある。最初が自殺未遂、続くホームレス生活も人に会わないようにする単独行であるなどの行動から、基本的には中年性の鬱病に罹ったといえる。また、「頭から何やら湧いてきた」と幻覚の症状も出ている。途中、人に交じって肉体労働していた時期もあるので、彼の場合、一つの病気と一概には言えない気がする。
 そうした病の上に、漫画家という閉ざされた世界で社会性に乏しい生活を続けていたこと、創作者としてイマジネーションの枯渇への不安などが重なって、アルコール依存症による保護(家族による強制)入院まで突き進んでしまったということのようだ。
 精神的な病は、素人が考えている以上に生物的なものらしく、今は薬が発達して驚くほど改善される。仕事柄、いくつかの症例を見た実感としてそう思う。彼の場合、初期治療を施せなかったのが長期化した原因という感じである。
 漫画では、捕まった警察署員に彼のファンがいて、色紙に「夢」とかかされて、なんだかなあと思ったという話など、終始、面白可笑しく描いてあるが、悲惨な自己の体験でどれだけ読者に楽しんでもらえるか、そうした態度で描かれていることに、表現者としての業を感じた人が、ブログの感想などを読むと多いようである。
 他に、実体験としてのホームレス生活の知恵や機微に対する感想、配管工仲間やアル中仲間の人物がよく描かれていることに対するコメントも多く見受けられた。私もその三点が特に印象的だった。
 漫画のタッチは、あのころと全然変わっていない。手塚治虫やトキワ荘世代の漫画の影響が顕著な三頭身の人物たちで、劇画の影響下にない作風なので、我々にとっては懐かしい思いがする。タッチに刺激感がないので見やすく、漫画から遠ざかっている中年の我々でもつっかからずに読める。おそらく、まあるい線が多用されていることが、直線と鋭角が多用される劇画との違いなのだろうだということに今回気がついた。
 意識的にしたのだろう、全編、四段割になっている。一部、大カットも二段抜き・三段抜きときっちり切ってあって、斜めコマ切りはない。そのスクエアで小さなコマ割りの中で、登場人物の全身を詰め込んでいる。
 また、吹き出しで多くの言葉を入れている他に、四角で囲って状況を説明している文がコマに多く付随していて、一見、字だらけな漫画本であることが印象的である。こうした特色のため、漫画として一冊の情報量は大変多くなっている。
 ということで、最近の私の分類でいけば、これも、絵と文のコラボレーション作品の一つなのではないかと感じた。今までの感覚なら日記やエッセイとして書かれたであろう内容を、彼は漫画家だから漫画で書いた。そのため、文章が画中に沢山残ったのである。
 読後、この本を出版した編集者へのインタビュー記事(「担当編集者は知っている」)を見つけて読んだ。せっかく本一冊分の原稿が出来ていても、もう過去の人というイメージと最近年の売り上げデータを元に、人気のない作家と判断されて、出版の引き受け手がなかったのだそうである。それを、この編集者が読んで感動し、「過去のデータより、とにかくこの作品を読んでほしい。ここでこの本を出さなかったら、一生後悔することになる」と社内を説き伏せて出版にこぎつけたそうである。気がついた人だけにと裏カバーにもインタビュー記事が載っていたりと、編集手腕もなかなかである。
 過去のデータでは、安全な仕事が出来るかもしれないが尻つぼみにしかならない。本当の成功は、自分のアンテナを信じるしかない。これは、どんな世界にも言えることである。

 

 2006年03月14日
  志賀直哉「灰色の月」に感心する

 この受験期、沢山の出題を読んだが、振り返って、一番印象に残ったのは、志賀直哉の「灰色の月」(「世界」昭和二一・一)だった。原稿用紙八枚程度の短編。その巧さに舌を巻いた。大学時代に一度読んでいるはずだが、あまり印象に残っていない。終戦直後を描いたスナップといった印象でしかなかったのだろう。
  冒頭の東京駅の描写から戦争の混乱期であることはわかるが、終戦を跨いでいるかで意味合いが大きく異なる。そこはしっかり読みとらねばという気持ちで読んでいくと、すぐに、電車内で様子がおかしい若者が描写される。
 次に、乗客の二人が会話する部分がくる。その遠慮しあったやりとりに、老作家その人である主人公は温かい気持ちになる。しかし、座っている若者は栄養失調で餓死寸前だということが明らかになるにつれ、今度は、どうすることもできないという暗澹たる気持ちに陥っていく。
 小説は、最後の行で、この話は昭和二十年十月のことだと明かして終わる。
 つまり、敗戦二か月後の省線の一コマ。戦後復興の明るい側面と、餓死せず冬が越せるかという切迫した事態が貼り合わせたように提出されている。構成が巧みで、短編のお手本のような作品だと思った。今頃、さすが小説の神様は小説が巧いなあと感心しているみたいで、呆れた感想であるが……。
 さて、この設問では、この若者の緩慢で捨て鉢な様子が栄養失調によると分かるかがポイントになっている。それがわからないと見事に間違い選択肢にひっかかる。
 当時の状況を推察する能力さえあれば、敗戦直後の食糧危機とすぐわかりそうなものだが、一部の生徒は押さえられなかった。生徒によっては、想像がぱっと広がる子と、いつまでたっても、「今」の発想や自分の立場からでしか考えられない子がいる。他の教科では見えてこない部分である。
 授業を終わっての素朴な感想。
 志賀自身、自分の外出時に見聞したことをアレンジした小品に、これは何を描いた小説かなんて、いちいち発問されているとは思いもよらないであろう。「みんなは飢えたことないから判らないだろうけど、正解のポイントは、栄養失調です。」だなんて授業、六十年後にしていると知ったら、かなり情けなく思うだろうなあ。日本は大丈夫かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(志賀直哉第一作品集「留女」箱) 

 

 2006年03月13日
  「ブログ文学」を提唱する!!

 広範囲に外出できなくなって、仕事後、インターネット三昧の日々を送るようになって、もう二年たつ。
 お気に入りのサイトを覗くのが日課になった。カメラ好きが撮す愛娘のあどけない写真を掲載するサイト、愛犬自慢のサイト、金沢情報発信のサイトなど、それぞれ、特色を持って運営されている。テーマが決まっているほうが、漫然とその日の印象を綴っているところより、読み(見?)応えがあって楽しい。
 写真だけがアップされているところもあるが、これは、奇麗だなとは思うけれど、ブログ作成者の気持ちが伝わらないし、反対に、妙に理屈っぽい文章が長々続いているところも、読む気が失せてダメである(え? この日記のことかだって?)。
 絵心のあるイラストや写真に、ブログのテーマに沿った、作成者の人となりが感じられる生き生きとした日常報告が、適度な分量で載せられているところが、なんともいい感じである。
 金沢在住初心者が、雪国生活での初めての経験を、素直な感動と共に紹介してあるサイトが、私は特にお気に入り。こちらが当たり前だと思っていたことが、そうした人には新鮮なことなんだと、発見を発見したりする。写真と文章がぴったりはまって、女性らしい視点と落ち着いた表現で書かれていて、上質のエッセイを日々届けてくれているような気にさせられる。
 「ブログ本」というと、ブログで人気のサイトを書籍化することをさすが、こんなサイトを読んでいると、そうではなくて、「ブログ文学」というジャンルがそろそろ出来てもいいのではないかという気持ちになってくる。
  このブログ文学、私が言っているのは、各プロバイダがやっている人気投票で上位にくるような面白タイプのものとは違う。そのウェブログ全体が鑑賞や評価に堪える上質の作品として、ということである。
 旧来の分類としては、間違いなく「日記文学」の範疇である。そもそも、日記は我が国の伝統的文学形式。「○○日記」なんていうタイトルが古典には沢山ある。その流れを汲むものとして考えればよいのではないか。紙の文学と違うのは、電子上で公表され、万人が「即時」的に見るか、分量がある程度纏まってから綴じて、保存された「過去」の話として読むかという点である。
 それに、文章だけでなく、絵(写真)や動画、背景やレイアウトといったビジュアル面でのコラボレーションも大事で、ある種の「総合芸術」として捉えられないだろうか。
 先般、さくらももこの本のところでも感じたイラストと文とのいい感じの相乗効果は、今、読んでいる夏目房之介『孫が読む漱石』(実業之日本社)にも感じられて、今は、紙の上でも、そうしたスタイルのほうが、すっと読者の心に入ってくる。まあ、二人とも、漫画が本職(元職?)だから、そのあたりが巧いのは当然といえば当然なのだけれど……。
 そして、この、絵と文章と両面からイメージを膨らませるやり方も、古くは「源氏物語絵巻」など、絵巻物として長い伝統がある。江戸時代に入ると、印刷術の発達によって、この手法は全盛を迎える。為永春水の「春色梅児誉美」あたりを引き合いに出すとよく判るが、多色刷りの美しい美人画の余白に筋をつけているといっていいほど絵が目立っていて、絵と文は見事なコラボレーションをしている。
(この場合、識字率の低かった時代なので、みんなこうしたテクニックで読者層を引っ張っていたという事情がある。ただ、ほとんどの人が草書体を読めなくなった今となっては、当時の無学層が楽しむようにしか、今の読者も楽しめないので、そうした意味で、これらの古典も、我々は実に正統的(?)な読み方をしているといえる。)
 こう考えると、ブログは、日本人にとって、昔から馴染んだ文学形式の変種にすぎないことが判る。そんなに目新しいことをしているわけではない。
 この文章の冒頭タイトルで、「ブログ文学を!」なんて、声高に叫んでいるが、もちろん、強力に推進しようというのではない。「もはや、紙だけが文学ではありません。いずれ、そんな方向にいくのではないですか?」と予測しているだけである。
 ちょっと、考えてもご覧なさい。もし、写真も文章も素晴らしいからといって、そのブログを書籍化したら、総カラー刷りになって、一体、一冊いくらかかるとお思いですか。紙に百パーセント再現できない以上、そこで定位させるしかないではありませんか。どう考えても、モニター画面上の優位は明らかです。

 

 2006年03月12日
  なんとか
 常時痛みを感じている現在の腰で、ここのところの長時間座り仕事がこなせるか、だいぶ前から不安だった。一番腰に優しい職場の椅子を調達して座り、痛み止めを連日飲んで臨んだ。これでダメだったら、「もう職場放棄して帰ります。」の世界である。健常者でも結構負担な業務。況や私をや。
 だが、結果的には、昨年に較べて作業が順調で腰に支障はなかった。土曜日は午睡をたっぷりとって疲労回復につとめ、今日は雨中の大会引率業務。
 情報公開とやらで仕事がどんどん馬鹿丁寧になってきた。歳をとって、どんどん仕事がきつくなると、もういい、やめた。なんて思う日がいつかくるかもしれない。
 定年まで元気で働いているだろうか。いや、その前に、まず生きているだろうか。確率は、人生なんでも五分五分である。
 まあ、誰でもそうだと思って、やっていくしかないのだけれど……。
 2006年03月06日
  繁忙期
 私の商売、この一週間ほどが一年で一番慌ただしい。ある仕事なぞ、深夜に及ぶことも。去年は、その仕事が終わったのが朝だったそうで、そのまま睡眠時間なしで次の日の業務に入ったらしい。
 だから、「ものぐさ」は、今週、お休み。
 2006年03月05日
  受験小論文に付き合っての断感

 センター試験以降、今度は、小論文の添削に大忙しだった。前期にも小論文を課す大学が増えているようで、早くから作文を読まされた。それも、そろそろ終わり。
 今年、東京の超難関某大学の小論文を連続的に読んでみて、なるほどと思ったことがある。
 通常、一、課題文の読解力があり、二、その社会現象に対する知識と分析力があり、三、しっかりとした表現力(文章力)があれば、完全に合格である。しかし、インテリや為政者が輩出するこの大学では、その上に、自分がトップの座にいた場合、どう判断するか、どう世の中を導くかという「決断力」と、その決断にいたる明確な理由づけが求められているのである。指導者的発想といえばいいのかもしれない。ああ、これは、国語的能力だけではどうにもならないレベルで、この学校として、実に的確な出題傾向であると感心したのである。
 こうして、毎日、生徒が持ってきた過去問の課題文や統計資料を読んでいると、今の日本の実情がわかって、こっちもなかなか勉強になる。
 長寿者で高い生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を維持している人を調査したところ、一、運動習慣、二、身体機能としての視力の保持、三、普通のかたさの食事、四、定時の目覚め、五、同居の家族が関与していることの五つが重要だとわかったという。(尾崎章子他「日本公衆衛生学会誌」二〇〇三年)(富山医科薬科大二〇〇五年小論文)
 生徒さんの作文には、「若者なら気にもされないほど普通なことが要因となっている」というフレーズがあって、若い彼女たちならそういう感覚なのだろうなと思った。
  でも、年寄りにとっては切実で、実によく分かることばかり。人と交わり、適度な運動をし、視力と歯を維持し、規則正しい生活を心掛けること。つまり、元気に長生きするには、体をいたわる、つまり「養生」の考えが必要、若いうちからその意識を導入せよという趣旨が読みとれる。
 この生徒さんの作文、高齢者もファーストフードばかり食べずに色々気をつけようと結んでいるが、おいおい、年寄りがなんとかバーガーばかり食べているわけがないでしょう。それは貴方世代のほう。端々に「自分とは全然関係がないけれど、年寄りは頑張ってね。」といったニュアンスが出てしまっている。
 ということで、これでは不可という判定をした。
 人の立場に立ってものを考えるということは自然に身につくことではない。こうした機会を掴まえて、そうしたところが足りないよと根気よく指導するしかないのだろう。おそらく、彼女、周囲に年寄りがいないのだ。不自由している年寄りを見ていたら、感じるところもあったはずである。
 別の生徒が持ってきた小論。
 問「自殺者の年齢別の推移表を読みとり、論じなさい。」
  ぱっと見た目、中高年の自殺が近年急増しているのがわかる。当然これを論じなければならない。その生徒さん、一所懸命理屈つけているのだけれど、世の中に出てもいない子供に、不況による会社勤めの辛さなどを分析させても、どうも現実感が伴わない。これなぞは、ちょっと仕方がないといった感じである。
  それにしても、小論文は、生徒より我々中高年に身につまされる話ばかり。受験生でなくて、中年サラリーマンに出題したら、すごくいい作文、山のようにでてくるだろうな。

 

 2006年03月03日
  あちこち修理だらけ

 このところ、ものが壊れて、修理に出したり取りに行ったり、東奔西走。累々たる修理品の数々をご紹介したい。
 学校の弓道場が新築された八年前、時計がなく、不便していたところ、卒業記念品として、部員たちが振り子時計を寄付してくれた。それ以来、三十分おきにボンボンと昔ながらの鐘を鳴らしてくれていた。生徒は背中を向けて弓を引いているので、いちいち振り返らないでも時間が分かり、重宝していた。
 その時計が、先日、落ちた。プラスチックのフックの先が折れ、三メートルの高さから落下したのである。接着面が剥がれたのではなく、経年劣化で爪が折れのだが、ちょっと劣化が早すぎはしないか。
 ガラスが割れ、駆動部も傷んだ。見積りは一万円。最新式を買ったほうが安いのだけれど、「卒業生一同」というのプレートがついている。悩んだ末、修理に出した。新たに鉄の柱につけなおしたフックは、一度重しをつけて耐荷重テストをするように指示した。
 ほぼ同時期、自宅のミニコンポのスピーカーから音が出なくなった。端子を強く押さえると音は鳴るので、内部の接触不良が考えられる。電気店に持ち込むと、修理サービスに出す基本料(手数料)だけで六千円という。結局、ハンダが一カ所外れていただけのことで、九千円弱とられた。
 銀塩カメラ(ペンタックスMZ3)のストロボポップアップのバネも壊れている。前回直してすぐにまた外れた。ネットでは、みんなこの機種の構造的欠陥だと言っている。バネのはめ直しだけで一万円強かかる。もうデジタルの時代、これはどうしたものかと、現在、思案中。
 そして、なんといっても最大の修理は、去年の愚妻の誕生日プレゼント品。一生ものということで、大枚はたいて買ったR社のブランド腕時計である。買ってたった二か月で、落下させ、ガラスが割れてムーブメントも動かなくなった。かなりの重傷で、一ヶ月以上入院加療の上、先日戻ってきた。もしかしたら香港あたりへ海外旅行していたのかもしれない。修理代は国産高級時計が買えてしまうくらいであった。
 「やっぱり、分不相応なもの買うからこんなことになるんや。」ときっぱり言ったら、絶対、そう言われると思ったと愚妻。
  「あの時計も、もっと大事にしてくれる御主人様のところに行きかったと思っているだろうねえ。」とさらの突っ込んでも、そうも言うだろうと思ってたという。こっちの嫌みなどとっくに織り込み済みといった風情で受け流してくる。
 彼女、落とした当初はちょっと動揺していたが、今、クレジットの保険が出ないか画策中で、何か、それで免罪符になるかのような心情のようである。まあ、いいけど……。
 それより、誰か、私の壊れた腰を修理してくれないものか。

 

 

 

 

 

 

 

(我が家の雛人形)

 2006年03月01日
  あれから一年

 昨年の今日、入院した。新米の若者ノリの看護士さんから入院心得を習った。あれから、ちょうど一年たつ。
 一か月の入院が終わって、四月一日から正式に職場に復帰したが、すでに新年度。人員や配置が変わって、仕切り直しに忙しく、いない間、職場がどんな様子だったかは、ほとんど知らなかった。そんなこと、ゆったり聞いている暇はない。
 ところが、今年に入って、学年末の諸行事の要項が出るようになり、昨年度はどうだったかという話が交わされるようになった。でも、私は、「不在だったのでわからない。」と答えるしかなかった。
 あの時、季節が春へ変わったのを実感した以外は、同じ職場に戻っただけで、そんなに大きな違和感は感じなかったが、こうして、一年たった今頃になって、いなかったということを突きつけられる。
 そんなものといえば、そんなものだが、これまでに経験したことのない空白に対する所在なさ感というか、何かちょっと変な感じなのであった。

 

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お願い

 この日記には教育についてのコメントが出てきます。時に辛口のことも多いのですが、これは、あくまでも個人的な感想であり、よりよい教育への提言でもあります。守秘義務や中傷にならないよう配慮しているつもりです。 もし、問題になりそうな部分がありましたら、メールにてお知らせください。

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