ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2006年06月18日 :: おうちでまったり人肉を |
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週五日制になってだいぶたつが、土日とも「おうちでのんびり」ということはほとんどない。六月も、総体県予選引率、部活動の通常練習、昨日今日は北信越大会の係業務、来週は定期テスト採点業務など、全週なんらかの仕事が入っている。 ……と、愚痴を書くのが本日の趣旨ではない。「おうちでのんびり」を何というかという話である。 多くの人のブログに、今日は「おうちでまったりしていた」と書いてあるのだけれど、どうも、この「まったり」というのは、具体的に、どう過ごしたのだろうといつも不思議に思う。 「まったり」は「味がまろやかでこくがあるさま」という意味しか辞書に載っていない。「こく」は「濃く」である。そこで、これは、文字通り読むと、自宅で「濃い」一日をすごしたという意味になるのだが、何が濃かったのだろう。 もともと、この言葉、私が大人になる頃まで、ほとんど聞いたことがなかった。それが、二十年ほど昔、人肉を食って逮捕された佐川君なる御仁が、人肉の味にこの言葉を使って一躍有名になった。流行語っぽく、何かというと「まったりした味」と使って、こってり味を表現した。ちょっと声を低くしてゆっくりと「まったりしていますね」なんて使うと、不気味な猟奇的なイメージがして、格好のお茶化しになった。 ちよっと脂肪が舌にまとわりつく感じ。おそらく、「ねっとり」「こってり」などと語感的には近いはずである。 だから、私は、「おうちでまったり」なんて言われると、家で舌なめずりして人肉喰っているイメージが湧いてきて、おぞましさ限りなしなのである。 そこで、「おうちでまったり」と入れてネット検索すると、約三万件もヒットした。もちろん、のんびりの意味で使っているのだろうが、どこで、いつの間に、日本中、そんな意味になったのだろう。つながりがよく判らない。 他に、「おうちではんなり」というもあった。京言葉でやさしい感じである。「まったり」よりは余程いい。でも、これも、ちょっと疑問の使いかたかもしれない。 「はんなり」は「華なり」からきた言葉だそうで、「落ち着いた華やかさ」「上品な明るさ」のことをいうそうだ。これも、味によく使う。「はんなりした味」。 自宅で落ち着きながらも「華やかに」暮らしたという意味になるが、この人もお家でくつろいでいただけだろう。なにが「華やか」なのかよく判らない。ただ、これ、京都では日常使う言い方なのかもしれず、そのあたり、自信はない。 両方とも味がらみで、何か関連があるのだろうか。「のんびり」があまりにも常套だから、味覚表現を使って、新奇な言い方をしていたものが、通常の言い方として定着したものとも考えられる……。 だが、おそらく、そうではないだろう。現代若者文化の特質、もともとの意味を考えず、発音のフィーリングだけで理解してしまう「語感至上主義」の正統なる代表例的成果(!)なのではなかろうか。 そういえば、先日、隣の国語の先生が『山月記』で虎になった主人公李徴をエンサン、友人の袁慘をリチョウと読む生徒が続出したと嘆いていた。漢字の音訓などお構いなし、名前として音を丸覚えしただけだから起こった倒錯で、事態は同じである。 意味や字訓に行き着かなかったら、言葉なんてニュアンスさえ伝わればいいじゃないかという世界になる。そんなのでいいのだろうか。
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