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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

  2006年06月22日 ::  半藤一利 『昭和史 戦後編』(平凡社)を読む
 その昔、『漱石先生ぞな、もし』(文藝春秋社)で初めて名を知った。だから、私は、漱石の孫を嫁さんにした人というイメージが先で、あとから、「文藝春秋」の名うての編集長(後に取締役)で、『日本で一番長い日』(文藝春秋社)などの著書があるという認識がついてきた。   
 この本、日本の降伏から七十年代初頭までを語りおろした戦後史である。特に、降伏以降の国体護持への模索、GHQの占領政策とその後の大転換などが詳細に語られている。反面、昭和三十年代以降は、「超」がつくくらい駆け足で進む。
 終戦直後の話については、若い頃、色々、戦後秘話を読んだので、知っている事実も多かった。特にこの本では書名を明記していないが、連合軍側で活躍し、後、同志社大の教師となったオーティス・ケーリの著作などが思い出された。
 しかし、沖縄を基地にすることで安全保障の解決をはかるという案を天皇が連合軍に伝え、それがそのまま通ってしまったので、天皇の沖縄に対する思いが、単に銃撃戦の場となって迷惑をかけたということ以上のものがあったのだという話は完全に初耳で、政治に介入したかのごとき動きが意外だった。
 また、保守政治を、吉田茂・池田勇人流の「軽武装、経済第一」派と、岸信介らの「改憲、再軍備」派とに交通整理して、保守指導者層の振り子的な揺り戻し政治の状況を上手く説明してあって、すっきり判った。吉田茂から鳩山一郎へと続く保守の離散集合劇は、これまで年表で知るばかりで、あまり詳しくなかったので、勉強になった。
 逆に、昭和三十年代中盤以降の話は、同時代を経験しているためか、全然、物足りなかった。全般的に、政府・与党の動きばかりで、野党の記述があまりに簡略にすぎる。ベトナム戦争との関係も、少し触れた程度で、もっと分析してほしかった。総じて、全共闘世代、後の団塊の世代については、半藤はもっと上の世代なので、文化の差を感じ、大まかに祖述しただけで終わっているように思える。
 この本を読んで、自分の戦後史の知識が、知っている時期と知らない時期、結構、ムラがあることに気づいた。記述が「編年体」だったので、穴が埋まって知識が平準化したことが、私にとってこの読書の利点であった。
 作者は、史実を押さえた上で、その時の文学者やインテリの受け止め方を紹介したり、国民の最大公約数的な受け止め方、国全体を覆う「気分」に立ち戻る。つまり、常に大衆の感情から遊離しないように配慮した書き方がしてあるので、特定の主義主張に誘導されるのではないかという、この種の本にありがちなビクビク感を感ずる必要がなかった。文体も喋り口調で、親しみやすく、安心して読み進めることができた。
 しかし、歴史に無色透明などあり得ない。彼の立場は、敬語や言葉遣いの軽重などから推察して、現天皇制擁護派である。読み進めながら、マスコミの論調的に言えば、なんだか「文藝春秋」路線だなあと思ったけれど、よく考えれば、彼はまさに「文春」の中の人である。途中でそれに心づき、ちょっと笑ってしまった。
 彼は、最後の章で、短く、日本の「今」と「その後」に言及する。今の日本は、経済第一主義の「吉田ドクトリンの分解」がはじまっているという。今後、このまま、従来の「平和的発展路線」「国際協調的非軍事国家」を続けるべく努力するか、「平和主義の不決断と惰弱を精算し、責任ある主体」になる、すなわち、軍事力を持つことで世界に発言力を増し、その分、しっかりと国際的役割を果たす「普通の国」になるかの二者択一に迫られていると結論づけている。
  読書の最後に思う。半藤がいみじくも指摘しているように、日本は国際連盟脱退以来、まともな外交などしたことはない。イニシアティブどころか近隣国の感情お構いなしでやっている鈍感者だ。だからといって、今後もずっとアメリカにオンブにだっこも情けないだろう。そもそも、向こうも、最近は相応の負担をしろと強く言ってきている。ではと、軍事力は持ったが、国際的な駆け引きなどは下手くそのまま。だから、いつまでたっても国際的地位は上がらない。かといって、早々経済のほうもうまくはいかない。結局、どっちつかずで、方向性を失って、たまりにたまったものが、どこかで大爆発するという、いつものパターンの「第三の道」に、性懲りもなく陥る可能性だって低くはないように思う。
 半藤自身は、今の日本に必要なのは、軍事力ではなく、「努力と智恵」を発揮する「マジメさを取り戻せるか」だと言っているのだが……。
 
 

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