ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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3月31日、最後の病気療養日。午前のジムから帰ってきて、昼食を作りながら、TV「笑っていいとも」を観ていたら、タモリが、年とってくると時間がたつのが早いと感じるという話をよく聞くけれど、あれは、身体的能力が落ちてきて、昔なら1時間でできたことが倍近くかかってしまう、このため、たったこれだけのことしかしていないのに、もうこんな時間になっていると思って「なんて時間がたつのが早いんだろう」ということになるのだと話していた。 それで思い出したのは、入院中の時間の感覚のこと。3月29日付の「入院経過」にも少し書いたことなのだが、病院の時間はゆったり流れる。ところが、暇で暇で困ったなんて全然感じないのが不思議でならなかった。 起床朝6時から食事までですることといえば、洗面、お湯汲み、ニュースを観ること。8時台は朝食とリハビリ行きの準備、9時台、一所懸命リハビリ。10時台、点滴か昼寝。これで昼食。一休みの後、午後のリハビリプールと昼寝。6時から夕飯、7時、見舞いにきた配偶者と雑談し、8時台は、洗面、寝る準備で大忙し。9時にはしっかり消灯。 さっさとすれば、全体としてたいした作業でもないのに、それがけっこう忙しいと感じてしまう。 このタモリの解説を聞いて、合点がいった。不思議でもなんでもない。身体的能力が低下しているから、すべてがのろく時間がかかるのだ。そのため時間的にも気持ち的にも余裕がなくなり、忙しく感じてしまうのだ。リハビリの運動の後は疲れ果て、仮眠が必要。その睡眠も含めて一セットの作業といったことになるのだ。 腰を痛めて、動作が鈍くなったため、例えば、試験監督に遅れたなどの弊害がでたと以前書いたが、運動能力の低下という物理的障害が、こうした時間の把握という精神的なものにも大きな影響を与えるものなのだということに今回気がづいた。
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