毎週火曜日、NHK教育テレビで、池波正太郎の生き方について、山本一力なる作家が解説してくれる番組(「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝ー池波正太郎、人生の職人に学ぶ」)があって、楽しみに観ている。30分の話が一つのエッセイのようで、彼の池波への尊敬具合が伝わってくる好番組だ。 ただ、「では、来週は、池波正太郎のダンディズムについてお話させていただきます。」と言っているのを聞いて、何か、そこだけ気になった。 今回は、そこで、この「させていただく」について考えてみたい。
私は、「させていただく」という言葉が大嫌いなのである。敬語が二つ連なっていて、よほど相手が高貴な人の時以外は使わなくてもよい、かなり過剰な言い方だと思っている。現代で、高貴な人なんて、そう大層にいるわけはない。実際は、料亭や高級デパートなどの接客言葉として、それこそ「おビール」なみに、一部で使われていたに過ぎない。 ところが、この言葉、ここ十年くらいの間に急成長。あちこちで聞かれるようになった。丁寧にすればいいというもんでもないのに、大安売りである。 いくつかは書き取ってある。
例1 あるテレビのニュースでの場面。ある経営者が犯罪を犯したため、青年会議所のトップが会見した時に言った言葉。「○○会員は、不祥事を起こしたため、本青年会議所より除名させていただきました。」 なに遠慮しているんだ。誰に気遣いしているんだと、突っ込みたくなる。これは、「除名いたしました」「除名しました」で充分である。
例2 あるファミレスでの張り紙。「当レストランでは、お煙草はご遠慮させていただきます」これは誤用というべきだ。「させていただく」は、自分の行為についていう言葉だから、これでは、食堂の職員は、客は期待しているかも知れないが、煙草は遠慮して吸いませんよという意味になってしまう。
こんな変なのは、まあ、仕方がないとしても、例えば、三菱自動車がリコール隠し問題で揺れに揺れた時、新聞一面に陳謝広告がでた。その冒頭の言葉。 「我が社の車のことについてお話しさせていただきます。」 これ、間違った言い方ではないが、なぜか引っかかる。「自分で悪いことやっていて、言いたいのだったら勝手に言えばいいさ。どうぞ御勝手に。」と言いたくなるのであった。 そこで、表現についての解説が特色の「明鏡国語辞典」(大修館書店)で調べてみた。
「させていただくー(連語)自分の行為が相手の許容の内にあるという、へりくだった遠慮がちな気持ちを表す。しばしば相手に配慮しながら、自分の一方的な行動や意向を伝えるのに使われる」
特に後半が、如何にもこの辞書の説明らしい。一方的に伝えるという点に、この言葉のズケズケとした性格がよく説明されている。辞書は続けて、
(表現)「「させてもらう」の謙譲語で、「致す」をさらに丁重にいう言い方。「させてもらう」は、相手の配慮が軽くなり、自分の意向を伝える側面が大きくなる。」
とある。確かに、偉そうな人に「〜させてもらうよ。」と言われたら、敬語は入っているけど、「〜するぞ、わかったか。」という命令調と同じと感じてしまう。それが、「〜させていただくよ。」になったからといって、そうニュアンスは変わらない。 そもそも、辞書の説明の中にあった「いたす」は、「する」の謙譲語である。「努力をいたす所存です。」などと使う。この「いたす」、辞書のB番目の意味に、「「する」の古風で尊大な言い方」というのがある。例えば、「なにをぐずぐずいたしておる」(この用例、ほとんどテレビの時代劇の台詞だ。えらくわかりやすい。)。 どうも、もとの言葉からして、尊大さをたっぷり含んだ言葉なのである。 結局、この「させていただく」は、二つの敬語が重なっている、本来的には、丁寧極まりない言葉だったのだが、馬鹿丁寧な態度をとられると、尊大に映り、人は馬鹿にされたと思うという原理(慇懃無礼など)と同様なことが起こって、時代がさがるにつれて、偉そうなニュアンスが出てきたのだろう。 だから、講演などの冒頭で、話し手が、「今日は〜について、お話しさせていただきます」と、丁寧に言われると、言葉的には何の問題もないにも拘わらず、私は違和感ばかりが残るのである。もともと、立派な人だから、その人の講演を聴こうと思って集まっているのだから、そんなに卑近にへりくだる必要はないではないか。「今日は〜についてお話します」で充分であると思ってしまうのだ。 過ぎたるは及ばざるがごとし。
この「させていただく」大安売りには、もう一つの問題がある。 例の「さ入れ」表現である。 スーパーのおねーちゃんが、「このお総菜、10円引かさせていただきます」なんていう。これ、もし言うのだったら「引かせていただきます」が正しい。 五段活用の動詞は「せる」、一段活用は「させる」をつける。「引く」は、五段活用の動詞だから、「せる」のほうがつく。同様に、「やらさせていただく」ではなく「やらせていただく」が正しい。 若者は、「させていただく」をつければ、すべて丁寧な敬語表現になると考えているところがあるようで、怖い先輩なんかに酒を強要されて、「飲まさせていただきます」なんて言っている。相手に対して、自分の行動をへりくだった意志の表現として言ったつもりなのである。本来、使役表現に「いただく」という敬語がつながっていたものであったものが、「さ」を入れることで、「させていだだく」というまとまった連語と合流してしまい、混合されて使われてしまったのである。 結局、これは、「ら抜き言葉」が、「ら」を抜くことで、「れる」「られる」が統合されつつあるのと同様、こっちは、いらないものに「さ」を入れることで、「せる」「させる」が統合されつつある現象なのである。 言葉は、どんどん単純化に向かっている。 ただ、こっちのほうは、すでに「させていただく」という言葉が存在していた上に、言葉を付け足しているので、違和感のない人が多いという調査結果があるくらいで、「ら抜き言葉」に比べて、世間的に知っている人は少ないようだ。 明日、生徒に「やらさせていただきます」ってヘンと思うかどうか、聞いてみよう。
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