ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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4日の話題に続ける。 病院では、ラジオ、テレビ音声問わず携帯ラジオを専ら聞いていた。日常生活では、漫然と聞いているラジオ。その意味などということは、こうしたゆったりした時間進行の中ではじめて考えをめぐらすことができる。 聞きながら思ったのは、音声を聞くことは、文字を人に読んでもらっているということと同義で、つまりは、読書と非常に近しい行為なのだということである。 提出された言葉で、イメージを頭で膨らませたり、論理を追っかけたり。これら2点はまったく同じだ。しっかり頭を使うこともできるし、文字を読むよりも、ぼんやり聞いていることも出来る。そうした強弱があって、一生懸命文字を追わなければならない読書よりも便利だったりもする。 違うのは、音だけなので、頭の中で漢字などの文字に変換する作業がどうしてもおざなりになる点である。字として、形として迫ってくる本に比べ、聞き慣れない言葉や同音異義語が多い漢語が出てきた時以外、そう文字を意識することは少ない。そのため、あまり「字」の鍛錬にはならない。 もう一つは、本を置いて、しばしイメージに遊ぶというような、こちら側のペースで進んでいかない点である。どんどん話題が次にいってしまい、イメージを膨らませている暇がない。主導権はあくまで放送局側が握っている。 そうした、劣る点は多少あるけれど、映像より、いわば知的な媒体であることは明らかだ。逆に言うと、読書の主体に及ぼす知的影響は、やはりもっとも重要なものであると再認識した。入院中手当たり次第本を読んだが、心に残る加減が、テレビなどとは根本的に違う。 ノートルダム清心女子大学教授、脇明子氏は「視点論点」(4月5日 NHK教育)の中で、読書は映像の前に滅びゆくものなのか。否、そうではないとして、3つの観点を挙げていた。 1、想像力(イマジネーション) 2、書き言葉レベルのことばを使う力 3、全体を見渡して論理的に考える これらの点で、読書は映像に対して優位性を保つと擁護していた。 まったくその通りだと思う。今の子供達に毎日接していて、不足していると感じることは、そっくりこの3つに当てはまることばかりである。
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