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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2005年04月13日
  杏よ燃えよ

  9日(土)、金沢ではフェーン現象で気温が二十八度にも達し、一気に桜が咲いた。10日(日)には、一番手近な桜の名所(?)である住まいの前の小公園の桜をバックに、妻と記念撮影をする。デジカメなので、印刷して、その日のうちに写真アルバムに納めることができる。アルバムを開いて何頁か遡ると、同じ場所で撮った桜の下の写真がある。桜写真から次の桜写真までが一年間の出来事なのだなという気持ちで観ていることに気づいた。桜から桜が一年。日本人は、自然とそうした区切りをしているのではないか。この美しい桜を、来年は無事観ることが出来るだろうかという詩歌は、日本では枚挙のいとまがない。
 11日から花冷えの日が続いて、満開が続いている。寒くて花見には不適だが、その分、花は長く生きる。このアンビバレンツな感情を日本人は常に味わってきているのだろう。

 今年の入学式(8日)の時は、桜はまだだった。校門近くに白い花が付いた木があって、それが、お祝いの日らしさをたたえていたのだが、私はすぐには何の花かわからなかった。その識標に「あんず」と書かれているということを小部屋で同室の同僚から教えられた。私が前日に観た職場の横の歩道に咲く花も同じような咲き具合だったので、ということは、あれも杏だったのではないだろうか。無教養のせいで、HPに間違いを書いて、とんだ恥をかいたのかもしれないと、慌てた。
 私は、そこで、杏について調べはじめた。だから、ここ数日、一つの花にこだわって過ごしたことになる。

 

 【杏の花】からももの花 花杏 杏花村(きょうかそん) 
 梅に似た落葉高木で晩春に白色または淡紅色の五弁の花を開く。一重咲きは果樹として栽培されるが、八重咲きは実をつけないので花の観賞用である。東北や信州が主栽培地であるが花の時期には一面花色に埋まり素晴らしい景観となる。 有名な句に『一村は杏の花に眠るなり 星野立子』がある。(PC俳句会「歳時記」)

 

 杏の木は、桃と梅、梅と杏の接木で、桜の少し前に咲き、花びらは桜より丸いが、やはり、非常によく似ているそうで、インターネットの投書にも、「梅のような桜のような綺麗な花ですね。教えてもらわなければ判断がつかないと思います。」といった趣旨の書き込みが多くあった。見まごうたのは自分だけでないようで、少し安心もした。ちょうど、長年の友人から見舞いの電話があったので、この間違えたという話を持ち出したら、桜とは幹の肌あいが違うよと教えられた。
 杏といえば、犀星の「小景異情」その六を思い出す。金沢の人は、犀星碑に刻まれている(一部省略あり)ので、ほとんどの人が知っている詩である。

 

  あんずよ花着け
  地ぞ早やに輝やけ
  あんずよ花着け
  あんずよ燃えよ
  ああ あんずよ花着け

 

「小景異情」は各連色のイメージがついていて、その一は「黒き瞳」と「白魚」でモノクローム、つまり色のない世界からはじまって、その二は「夕暮れ」、その三「銀の時計」その四「緑」その五「すももの蒼さ」と続く。
  最後の連、その六は「あんずよ燃えよ」とあるので、私は、頭の中で赤い色をイメージしていた。白や薄紅色では「燃えよ」の感覚がでないせいである。それに、その六は、その五で一度挫折しかけた詩への心を、杏の花に託して自ら奮え立たせる自分への励ましがテーマの連、どうも白やピンクでは感じがでないのである。
 その解決策として、杏の額が桜より真っ赤なので、その部分で言っているのかもと理屈をつけてみたけれど、やはり無理がある。
  色々調べてみると、「杏の里」のサイトで、「最近は実が大きい品種が多くなって、ピンクが強い在来の品種が切られてしまって、薄桃色に染まるといった風情が少なくなった」という記述を見つけた。どうやら、杏仁採取が目的で品種が変わり、杏の花はどんどん白化してきているようなのであった。
 昔はどうだったのか。中唐の詩人、白居易の詩を見つけた。

 

  「遊趙村杏花」(趙村の杏花に遊ぶ)        白居易

 

 趙村紅杏毎年開  趙村の紅杏、毎年、開く。
 十五年来看幾廻  十五年来、看ること幾廻ぞ。
 七十三人難再到  七十三の人、再びは到り難し。
 今春来是別花来  今春来るは、是れ花に別れんとして来る。

 

 白居易は七十五歳で亡くなるので、亡くなる二年前の作である。この花を来年観られるだろうかという老いの感慨を、白居易は「杏花」に託して詠っている訳で、同じ季節に、同じような花を観て、思う感慨に和漢の違いはないようである。あるいは想像するに、あれだけ、平安びとが愛した詩人である。桜を愛でる習慣は、時代が下ってからのものだから、もしかしたら、白居易の杏にたいする美意識を、日本人が、似た花、桜に託して述べるようになったのかもしれない。
 洛陽の近くの趙村は杏の名所だそうで、「紅杏」というからには、一面の赤色だったのだろう。それが、村全体を包んでいる。確かに「燃える」ようであったはずである。
 だから、犀星の頭の中では、今 我々が思っている杏の花の色よりも、おそらく、かなり赤い色調で、杏の花を捉えていたとしてもそんなに不思議でないことが知れたのである。

 

 12日、校門近くの杏は花が終わって、赤い芽を枝中につけて真っ赤に見えた。ところが、建物横の木はそういうことがなかったのである。
 どうやら、最初に梅だと思っていた木は、やっぱり梅だったのである。ぐるっとまわって、元に戻っただけ。でも、色々勉強になった数日であった。杏に感謝。
 

 

[1] 

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