ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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阿川弘之の作品は、ここのところ、まとまったものは、すべて単行本で買って読んでいる。ご老体故、矢継ぎ早に新作がでるという訳ではないが、時々、地味あふれるエッセイが上梓されたのを見つけると、嬉しくて、早速、買って帰る。新刊の単行本で読みたい作家というのはそう多くはない。あと何冊出してくれるのだろう。ご健康を祈念するばかりだ。 八十をとうに超えた作者にとって、最後に確かめて置きたかったことは、遠い自分の懐かしい記憶を、事実として確定することであり、兄嫁と自分が死ねば、誰も知らなくなる亡き親の人となりを描いておくことである。そのことで、自分の短気な性格が母親からそもままきているのだということを同定したい。その願望だけでこの話は出来ているように書かれている。つまり、彼なりの死出の旅路の前のルーツ探しといったニュアンスである。作者は、冒頭で「広島あばあさんのことを子供たちに書き残して置いてやらう」というのが、モチーフであると述べる。子供とは、もちろん、テレビなどで活躍中の阿川佐和子さんのことである。
それにしても、彼の本を見つけることさえ、ここ金沢では難しくなった。最近、何軒か本屋を回ったが、阿川さんの本は、文庫本を含め1冊もなかった。置いてある「阿川」姓の本は、すべて佐和子さんのほうであった。この現実をこの老作家はご存じだろうか。 久しぶりに行った隣町の量販店は、日本作家のコーナー自体が大幅縮小されていて、以前、家庭の本棚にして6本分の幅をとっていたものが、3本分になっていた。村上春樹でさえ、数冊しか置いてない。 この本、昨年5月新刊だったのを、どうやら見逃していて、そのまま、職場の近くの書店の単行本コーナーに、1冊だけつっこまれていたものを、入院中の試験外泊の日、たまたま見つけて救い出したもの。旧仮名で書かれた、しっかりした日本語の文章を読めたことだけでも今や僥倖である。
ただ、少々、調査が遅すぎたという印象は否めない。多くの関係者がもはや故人で、広島ということで原爆で壊滅していることもあり、ほとんど事実に行き着いていない。そこで、その調査自体がこの小説の結構とならざるを得なくなってしまった。 小説家の多くが、自己の父や母をテーマに小説を書き上げている。名作も多いのだが、残念ながら、この作品は、「分からなかった」が連発され、ちょっと中途半端な作品になってしまったというのが正直なところだ。
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