ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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昨日の日記を書き終わってからも、少し気になったので、「春の小川」について調べてみた。 歌われた景色は、田舎の情景のようだが、モデルとなった小川は、実は、東京渋谷の、当時の高野辰之宅近くの河骨川(こうぼねがわ)という川で、今や暗渠になっているという話は、以前、テレビで紹介されていて知っていた。ネットで見ると、毎年、「春の小川まつり」なる企画もあって、ゴミ拾いイベントなどをしているようである。 問題の歌詞では、二番の「日なたに出でて」が「日なたで泳ぎ」に改変されている。これも、ダ行下二段活用の動詞「出づ」が、文語ということで敬遠されたからだろう。しかし、前後の文脈からみて、そこで「泳ぎ」という行動を示してしまうと、次の「遊べ遊べと」にぶつかってしまって、座りが悪くなっている。日なたに出て、「泳」ぐことイコール「遊」ぶことのはずで、これでは同じ意味である。 1番の末尾「ささやく如く」も、「ささやきながら」になっている。これも、比況の助動詞「如し」が嫌われた。それに、これでは、ホントに囁いたことになってしまい、意味が違ってくる。 ただし、一時期、「咲いているねと」と直されたようだが、私が習った四半世紀前には、原詞の「咲けよ咲けよと」に戻されている。一部にこうした回帰現象も起こっているようである。 この歌詞の改作は、昭和17年、林柳波という人によってなされている。てっきり戦後の改竄かと思っていた。どうやら、すでに戦前から文語は嫌われていたようである。 ちなみに、高野辰之は、昭和22年まで生存している。当時、すでに功成り名遂げた斯界の泰斗である。許可なく勝手に直して尋常小学校の教科書に載せたとは考えにくい。余りに彼が関係者故に、唱歌改作に柔軟な態度をとらざるを得なかったというのが真相なのではなかろうか。上田万年に習い、『日本歌謡史』『江戸文学史』『日本演劇史』の著者である文学博士が、この改悪を、悦ばしいものと思っていたとは到底考えにくい。 実際のところはどうなのだろう。
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