ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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これで、タイトルが「the magi (マギ)」になっている理由ははっきりした。が、私は、三賢王の一人の名に目がいった。 「ガスパール(gaspard)」 音楽好きは、この言葉を聞くと、モーリス・ラヴェルの「夜のガスパール(Gaspard de la Nuit)」(1908)を想起する。この曲、アロイジウス・ベルトランの詩集「夜のガスパール」(1842)にインスパイアされて、そのうち三編「オンディーヌ」「絞首台」「スカルボ」の音楽化を図ったもの。ピアノの難曲として有名である。 ここでちょっと、フランス文学史のおさらい。 ベルトランには「夜のガスパール」以外に作品はなく、出版も死後のことだったという。いわば埋もれた詩人だった。後に、『パリの憂愁』でボードレールが推賞して、復活する。ボードレールは、「散文詩」というベルトランの表現手段に、新しい文学ジャンルの可能性を感じたのである。以後、彼は、ボードレール、マラメル、ランボーに至るフランス散文詩成立の端緒の人物として、評価されるに至る。 この詩集では、ガスパールは、作者が会った男(=悪魔)の名前として出てくる。例の三博士の一人が「昼のガスパール」なら、自分は「夜のガスパール」だという意味だそうである。それで、何故「夜の」とわざわざ断り書きがついているのか合点がいった。 一時、岩波文庫で日本語訳「夜のガスパール―レンブラント、カロー風の幻想曲」(及川茂訳)が出ていたが、今は絶版。ラヴェルがらみで、三編の詩だけは、ネットですぐに閲覧できたが、象徴的な言い回しで、何を言っているのやら、解説を読まない限りは難しそうである。 そこで、私に出来るのは、久しぶりにレコード棚から古いLPを取り出して、ターンテーブルに載せること。「カスゥ、カスゥ」というスクラッチノイズの中、何十年ぶりかで、この曲を聴いた。陰鬱な、水の揺らめきを感ずる曲である。
妻が偽物掴まされたけれど、そのカメラを愛用しようという、夫婦愛溢れる掲示板の小話から、O・ヘンリーの短編を思い出し、紀元年のエルサレム、キリストの誕生に飛び、二十世紀初頭のラベルの曲を想起し、フランス文学史を温習(おさらい)し、日本のオトボケ手品師の芸名由来に感心したこの思念は、実に、三週間がかりの巡行であった。 この曲を聞きながら、私のMagiをめぐる旅を終わりにしようと思う。
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