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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2005年07月19日
  格物致知

 「晏子之御」も、昨日の「阜」が出てきた「三年不飛不鳴」も、史書のダイジェスト本「十八史略」から。今日、引き続き「先従隗始」をやった。1年生の「漢文入門」シリーズである。その中で、郭隗が昭王に言う言葉に「今王必欲致士(今王必ず士を致さんと欲せば)、」という箇所があった。「致」には、脚注がついており、「招く」の意とある。だから、現代語訳は、「今、王が是非とも賢者を招きたいとお思いならば、」となる。
 漢文が専門でない私は、漢文を教える度に、いつも新鮮な「へぇ〜」がある。この歳になって、且つ、入門教材でさえも。
 「致す」が「招く」の意味だから、2012年のオリンピック、ロンドンに来て下さいと「誘致」やら「招致」するのだ。
 漢和辞典によると、「至」が自動詞なのに対して「致」は他動詞。「致」の原義は「足で歩いて目標まで届くこと」。だから、漢字の十近くある意味の多くが、届けるとか、招き寄せるとか、こちらまで来させるとか、移動を伴う意味である。
 日本人が使う熟語では「致命的・致命傷」「致死量・過失致死」「致仕(官職を辞める)」などがある。逆に言えば、それ以外の熟語は、正直、あまり馴染みがなかった。例えば、「致効」「致詰」「致意」など。普段、使わない。
 ただ、ちょっと中国思想に教養のある人は、儒学の「格物致知(かくぶつちち)」を思い出すかもしれない。私も、言葉だけはすぐに出てきた。
 いやあ、これ、大学で習って以来、教科書の指導書などで、時々見る言葉ではある。私の出身大学は、元々、漢学の私塾が前身で、漢文の教授の陣容は素晴らしかった。あの時、この言葉の説明を受けたけど、イマイチ、よく分からなかったし、今も、全然、身についていないので、まともに生徒に解説した覚えがない。分かっている言葉を、面白可笑しくパラフレーズするのは、結構、得意なのだが、自信のない言葉では、そんな芸当もできない。
 今回、折角だから、語彙を増やそうと、調べはじめたが、ますますもって分からなかった。漢文の解説自体が漢字だらけで、漢字が持つ意味に依存しているだけに映る。煙に巻かれている気になってしまうのだ。
 「格物致知」とは、『大学』に出てくる言葉で、八条目の最初の二つ。後の六つ「誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」は、ちゃんと本文で解説してあるにもかかわらず、肝心の二つは解説がない。そのため、儒学者の間で異論百出、学問的な焦点となっているのだという。この八つの順番でやっていくと、最後に平和になる(「平天下」)という理屈で、その最初の概念である。つまりは心臓部。それの説明がないなんて、『大学』って、えらくお騒がせな本である。

 

 代表的な解説は、時代がかなり下って、宋の朱子による次の考え方。

 

   「格」とは「至る」ということ。草木一本に至るまで、万物には「理」が備わってい る。その理をひとつひとつ窮めていくこと、つまり、後天的に知を拡充することで、最 終的に万物の本質、宇宙普遍の真理を理解すること。

 

 もう一つは、王陽明の次の考え方。

 

   「格」とは「正す」ということ。事を正し、心を正すことで、先天的に備わっている 自己の良知を発揮し、物事に正しく処していくこと。

 

 結局、如何にも朱子学らしい、如何にも陽明学らしい考え方であるとは思ったけど、それ以上、私の思考は発展しない。どうも、この手の下地がないのである。
 高校時代、まだ、そんなに時代感覚が身についていなかった頃は、朱子学だって、古い、黴の生えた思想だとしか思わなかったが、考えてみれば、たかだか宋である。中国三千年の思想家の中では、ペイペイの新参者の理屈こきでしかない。王陽明もしかり。硬直した朱子学派を批判して出てきた明代の人なんだから、もっと新しい。
 後世の人の理屈は、えらく小難しくなって、微妙に本質とは違ってきて、理屈の理屈、自説の牽強付会になってしまっているなんてことは、よくあること。これもその類のような気がしないでもない。もっと古い、素朴な古注あたりが正鵠を射ているなんてこともありそうだ。
 でも、もう調べるのはよす。なぜなら、たった数行の学説の要約だけで、ウンウン唸ってしまったのだから。一日一文の短エッセイで、そんなことして深更に及ぶと、明日、疲れて仕事にならない。それに、ちょっと難しそうだ。
 そこで、話は方向転換して、お茶濁しで終わる。

 

 大和言葉の「いたす」のほうは、「広辞苑」で、八つの意味が載っていた。よく使うのは、ご存じ「〜いたします。」という言い方。例の「する」の謙譲語・丁寧語である。
 そこで、授業では、「英語でいうと、「いたす」は「do」みたいなもんで、その敬語だよ。「do」って色々意味があるだろ、それと同じ。こんなのが、一番訳すとき困るよねえ。その場に合わせて考えよう、例えば、「思いを致す」ってのは、つまり、「思いがdo」ってことだよね。つまり、「思う」と一緒だ。恰好つけているだけだよね〜。どぉ?」なんて、エェ加減に教えている。
 こんな説明でいいんでしょうか? 専門業の方。
 いつもちょっと不安なんですけど……。

 

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