ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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昨日と結論が一緒の話を……。 森鴎外『舞姫』の小論文を提出させた。八百字。今、せっせと読んでいる。 主人公豊太郎の視点から書かれているので、授業はどうしても、明治の男性の生き方中心となるが、女生徒は、エリスに対しての論が多くなる。 例年、我が校の女生徒は、エリスに冷たい。愛に生きる彼女について、「愛にすがって生きている。」「自立心がない。」と評判が悪い。 男尊女卑の時代である。固定化された社会、下層階級に生まれ、文字さえ碌に書けない教育レベル。且つ、周りのダンサー仲間は、売春で生計を助けている。そんな状況で、一体、彼女に何ができるというのだろう。世間の枠組みがガチガチに彼女を縛ってるのに……。そのことを、何度も授業で押さえたにも拘わらずである。 中には、「共感はできないが、そんな時代に生まれてしまったことに関して、彼女は可哀想だと思う。」と書いている者がいた。これならばいい。 しかし、「自分で生活の手段を見つければいいだけ。」「男に頼る嫌な女。」などと書いてある作文を読むと、なんて想像力のない子だと思ってしまう。身動きがとれずにいることを、自分が動かないからとしか理解できないのである。もちろん、それは、そんな思いをしたことがないから。 ある女生徒は、「豊太郎は、エリスを日本に連れて行って一緒に暮らせばいい、堂々と日本で彼女を紹介すればいいだけなのに……」と、なぜしないのか不思議がっていた。 そんなことしたら、世間で大恥かくだけである。大前提が分かっていない。 人生に何の障害もない。あっけらかんとして、実に平和な時代である。
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