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ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。

 内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。

 

・XP終了に伴い、この日誌の更新ができなくなりました。この日誌の部分は、別のブログに移動します。アドレスは下記です。

 

エキサイトブログ 「金沢日和下駄〜ものぐさ〜」
           
http://hiyorigeta.exblog.jp/

 2007年03月31日
  村上春樹『村上ラヂオ』(マガジンハウス)を読む
 六年ほど前に女性誌に連載されたエッセイ。大橋歩の画つき。
 気軽に頁を開いたら、「「さあ、今日から変わろう!」と強く決心したところで、(中略)おおかたの場合、まるで形状記憶合金みたいに(中略)ずるずるともとのかたちに戻ってしまう。」「決心なんて所詮、人生のエネルギーの無駄遣いでしかない。」といきなり書いてあった。
 愚妻から変革を強要されている身としては、ちょっとその気になって、変わらなきゃモードだったんだけれど、あれあれ、村上さんはそう断言している、そうだよなあ、そう都合よく変わりなどしないものだと、急に脱力モードに戻ってしまった。なんて間がいいんでしょう。
 私は、『風の歌を聴け』に呆れ、『蛍・納屋を焼く』でちょっと感心し、ソニー・クリス(as)のライナーノートで大笑いした程度の読者。『風の〜』が賛否両論あって、出版社のエラ様にかなり問題のある小説だと批評された話や、『国境の南、太陽の西』が、外国の高名な文芸評論家からこき下ろされた話を読んでも、まあ、そうだろうなと思ってしまう傍観者でしかない。
 ただ、彼は元ジャズ喫茶のオヤジである。作品のタイトルを見ても洋楽好きとすぐ判る。趣味が重なっているから、エッセイは楽しかろう、一度読んでみたいものだと思っていた。今回、はじめて読んで、世界各地に行っても、観光そっちのけで中古レコード屋巡りをしているようなので、やっぱり、そんな人だったと親近感を持った。庄司薫描く大学紛争世代のノンポリ学生をもっとノンシャランとさせ、アメリカを中心とした外国文化の教養をまぶし、そのまま年をとったような人だ。日本の伝統文化や古典の教養といったバックボーンをほんとんど感じさせない(ない?)のが、どうやら、この人の特徴で、あの世代の、戦後日本の文化受容の典型的雛型の人ではあるまいか。
 このエッセイ、なかなか、うまい。女性誌ということもあってか、押しつけ的要素を神経質なまでに排除している。もちろん、神経質と思われないような優しい言い方で。誰にも嫌われない文章である。文章も易しく、丸谷才一のエッセイのようなおかしみがうまく配置されている。
 本の中に、嫌われない嘘はついてもいいというようなことが書いてあったが、その通り、あちこちで嘘が書いてある。それが、小説家らしい想像をきかした嘘なので、読んでいて、見事に騙されて楽しい。いい読者ではないので、見当違いかもしれれないが、この「嘘つき」というのは、村上文学のキーワードではないだろうか。亡くなったジョージ川口(ds)さんも大ホラ吹きだったし、ジャズ屋サンは、嘘がとびきり上手いのだ。
 2007年03月30日
  ワイシャツを買う

 今年も異動がなく、引き続き同じ職場で仕事を続けることとなった。もはや引き受け手のない独居老人状態である。内示の宵、老父に電話して、「動かないよ」と言ったら、「今日、こっちに顔を出さないということだね」と言われた。違う違う。異動の話だよ。親にまで忘れられているんだから。まったく、もう……。
 愚妻は、しょぼくれにならないように、まず、着るものからバチッと決めよう。古ぼけた服は捨ててしまえ。新年度のテーマは「イケてるおじさん」にしようと、さっさと私の人生目標を決めてしまった。
 ということで、先の休日、新しいワイシャツを買うのに実物見本がいると、商社主催の巨大なフェア会場を引き回される羽目に……。


 2007年03月27日
   連絡がつかない……能登半島地震

 二十四日朝十時前に起こった能登半島地震の時、私は鶴来武道館にて合宿引率中だった。縦揺れが長く、最初、私を含めそこにいた誰もが、裏を通る金名線の電車の振動と思ったようだ。暫くして大きな横揺れが来た。かがむことも出来ず、全員、立ちすくんだままおさまるのを不安げに待った。
 実家は古い木造、倒壊が心配である。間髪を容れず自宅に安否の連絡を入れた人はつながったようだが、すぐに回線がパンクして不通に。何度もケータイを借りてトライするがつながらない。昔なら必ず公共施設にあった公衆電話が今や激減していて、この武道館にもなく、事務室の電話を借りることにする。実家はダメだったが、自宅にはつながったので、愚妻に実家まで安否確認に出向くように頼む。同じ市内でも局番によってパンク度が違うようだ。結局、老父母、実家ともども問題がないことが確認できたのは、お昼前だった。
 ケータイよりも有線、ケータイでもいろいろ付いてる最新機種より古い単純な機種がつながりやすく、メーカー間の差もあった。ウィークエンドでこれである。平日、皆が働きに出ていた時だったらどうなっていただろう。現代ケータイ文化の脆さを実感した出来事だった。
 ネットなども含めメディアのない環境にいたので、概要を知ったのは宿舎の部屋で見た夜のテレビニュース。関係がなかった地域の人と何ら変わらない。実際にかなりの揺れを体験しても、情報から遠いと、ほとんどなにも知らないままだったし、受け止めた情報も、被害の度合いや遠近、必要性とは関係がない均一なもの。自分が知りたい情報が、身近に、すぐに手に入らないもどかしさを感じた一日だった。「ユビキタス」という言葉があるが、全然である。「いざとなった時」と限定すると、白黒テレビが入り電話が普及しはじめた半世紀近く前とたいして変わらないことを実感する。
  震源地は志賀原子力発電所の真横である。県民はすぐに、原発が停止中だったのが不幸中の幸いだと感じた。私の周囲でも、会う人ごとその話題をしていた。臨界事故隠蔽問題はここのところ全国的な大ニュース。しかし、今回、マスコミでは、ほとんどこれに絡めた報道をしていない。東京のレポーターが被災地に舞い降りてきて、倒壊現場をリポートしているが、数日後には、こうした人達はいなくなって、それで終わりなのだろう。それはそれ、これはこれの態度を感じ、原発立地県の県民の不安感を全然掬いとれていない報道に上っ面感を感じざるを得なかった。
 今日、職場に戻ったが、能登のご実家が大変なことになってる方がいるなど、身辺でも色々な影響が出てきている。ここ金沢は、能登に爺婆残して来られている方が多い。今後、どこでどう一家が生きていくか、問題を突きつけられたご家族も多いだろう。また、私的なことばかりでなく、一県直撃は、今後の県の動きに陰に陽に長く影響する。県民としてはそれなりに覚悟が必要だと、二日だった今、そちらに意識がいくようになった。

 

 2007年03月24日
  赤瀬川原平『目玉の学校』(筑摩書房)を読む

 「ちくまプリマー新書」の一冊。英和辞書によると、プリマー(Primer)とは、入門書・手引きのこと。ネットで調べると、お化粧の下地のこともいうようだ。若者向けの本としてなかなかいいネーミングである。「岩波ジュニア新書」は、私が若かった頃、華々しくスタートしたが、当時、生意気盛りだったから、最初から「ジュニア」向けと断っている本など、絶対、読むもんかと思っていた。
 このシリーズ、クラフト・エヴィンク商会の装幀もお洒落である。岩波より字が大きく情報量は少ないが、その分、一冊読む負担は少ない。この本もあっという間に読了した。
 子供の頃の「見る」という行為の話からスタートし、錯覚やステレオ写真の目の合わせ方について話は展開していく。ステレオ写真の立体視は、私自身、うまくいく時といかない時がある。これまでは、立体に見えること自体に努力してきたが、目の動かし方のほうを意識の中心にしながらというのは初めての経験だった。
 この本を読んで、いろいろやってみた。眼鏡を外し、脱力して目を働かさないようにして鼻先に本をもってくる。すこしずつ離していくと、ぼけていた像がはっきりと見えはじめ、途中からまたぼけてくる。ピントがくる距離がえらく顔に近い。確かに、ド近眼はド近眼だと実感する。書かれているように、目はカメラと同じで、ピントの山がある。実際にやってみてなるほどと思う。
 彼によると、目は常にフォーカスを会わせ続けようとするので、人はボケ画像を見ることが出来ない、実際、周辺部はぼけていているのだが、焦点のあったところしか見ていないから意識されず、常にパンフォーカス状態で見ている。ぼけというのは、だから、写真が出来てから初めて意識された概念ではないかという。いわれてみれば、確かに、目はカメラでいう「コンティニアスAFモード(常時ピント合わせモード)」だ。他に、目は銀塩カメラよりデジタルカメラに近いという指摘も、カメラ好きならではである。
 目を語るということは、ものの見方を語ることである。自然に、自分が若き前衛芸術家から、なぜ、今の立場にいるようになったかの話が入ってきて、自分の芸術観を語っているようで面白かった。
 文中、カメラが目にあたるなら、悲劇の現場で、レンズから涙が出たらすごいという突拍子もない記述があったが、さすが精神が軽やかな芸術の人だと感心する。

 

 2007年03月22日
  除籍作業
 職場は、戦前の図書を引き継いでいるので、古ぼけた蔵書がかなりある。これまで手つかずだった、これら本の「除籍」をすることとなった。簡単に言うと、廃棄である。時間的な基準を設けて、古いものを棚から下ろし、リサイクルマーケット宜しくブルーシートに並べる。それを検分し、入り用のものはまた元に戻す。
 それにしても、立派な専門書ばかり。大学図書館レベルである。哲学書も目立つ。国語関係では、橋本進吉、時枝誠記、山田孝雄……。本当に当時の高校生はこんな本を読んでいたのだろうかと訝しく思ったが、時には書き込みがあったりして、決してお飾りでなかったことが判る。エライものだ。「昔、高校生といえば、ごく一部の人。エリートだったからねえ。」とはベテランの先生。毎日付き合っている今の子とは隔世の感がある。
 図書購入費に、この「蔵書数」が関係しているらしい。何事も数字の世の中、この業界の視聴率「図書貸出数」を上げねばならぬ。そのためには、生徒が借りてくれる本を多く置きたい。予算削減は致命的、予算獲得のためにまずスリム化という考え。数字は文化を駆逐するという言葉が脳裏をよぎる。
 ずらっと並んだ古本ひとつひとつに「廃棄」のハンコを押しながら思う。ここに「知」の塊がある。書き手は、その当時、一生懸命考え考えて、一冊の本を著す。時がたち、その「知」は古びる。著者もこの世から去る。残った本も茶けていき、捨てられる。一瞬輝いた「知」のほとんどは、こうしてゆっくり退場し、最初からなにもなかったかのようになる。
 大昔の、名も知らぬ著者の口絵ポートレート写真を見ながら、この人はどんな人生を歩んで、どんな時期に、どんな気持ちでこの本を上梓したのだろう。書いたときは意気軒昂だっただろうなと勝手に思い込みをした。
 作業も終了した。廃棄する前、欲しいものがあったら持っていって下さいと声をかけたところ、何冊も救出された方がいた。勉学意欲がないと出来ないねえと、係一同感心したが、私はこうも付け足した。
「お住まいに余裕のある方なんでしょうね。そっちが、断然、羨ましい。」
 そうそう、「また、こんなゴミみたいなもの拾ってきてと鬼嫁にどやされそうだなあ。」とブツブツ言いながら持っていった人もいましたよ。それは誰かというと……。 
 2007年03月18日
  連絡受け係
 金曜日、大勢の人に応対する仕事についた。翌日、体調がすぐれないことに気づいたが、出張があり、午前中、少々無理をして町に出た。午後、帰宅した時には、風邪の症状が出ていて、午後と翌日曜日は終日寝て過ごした。微熱と鼻水を常備薬で誤魔化して静まるのを待つ。
 今冬、不特定多数の人がいるところに行くと、決まって風邪をひく。免疫力が低下しているのだろう。
 昼、大阪出張順調の旨、愚妻から電話が入る。続いて大会引率で遠方へ出張中の同僚からも結果の連絡が入る。両名とも本日中に帰沢するという。ハイ、道中、お気をつけてと返事をする。私だけが一歩も外へ出ず、みんなの様子を受話器ごしに聞く。
 午前中は雪、午後は太陽をリビングの窓越しに見る。北陸らしいクルクル変わるお天気である。
 夜、愚妻が帰り、土産話を聞く。ついさっき金沢駅まで送っていったように思ったが、もう一泊二日、大車輪で都会を動き回り帰ってきている。我が二日間の無為を思ったが、そんな人生を腰を悪くしてからずっと過ごしている。家に居ることにも飽いているが、かといって、外へ出ても、痛みが気になって早く帰りたくなるので、新しいことをする気力が出ない。
 日がな、じっとJAZZを聴いてやり過ごす。
 2007年03月15日
   年男の誕生日

 今年は年男である。新年話題で、亥年は中国などでは豚を指し、今年、丁亥(テイガイ・ひのとい)(二十四番目)は、亥年の中でも最も目出度い金運の年とされているのだそうである。自分の年なのに、この歳になるまで知らなかった。
 先月も、地元女性アナウンサーが、「百年に一度」といって、この話をしていた。あとで聴いていた人から指摘があったようで「六十年に一度」と訂正していた。若い子なので「どっちでもいいじゃん。」みたいな軽いノリで言い直していたが、どうやら「十干十二支」を知らないようだ。高校で習ったはずだが、身についていないのだろう。
 今、干支の原則をちゃんと判っている人はどのくらいにいるのだろう。以前よりぐっと低下しているのは間違いない。しかし、戊辰戦争(ボシン・つちのえたつ)(五番目)、壬申の乱(ジンシン・みずのえさる)(九番目)、庚申塚(コウシン・かのえさる)(五十七番目)など、いろいろ残っている。
 と言って、国語教員をやっていても、「五行十干」のほうはかなり怪しい。例えば「庚」を「かのえ」と読むとはすぐには出てこない。紙に「木火土金水」と書いて、兄(エ)弟(ト)と書き、その下に「甲乙丙丁」と書いて、当てはめて判る。ただ、それ以後の「戊己庚辛壬癸(ボキコウシンジンキ)」がさっさと出てこないので、結局、「国語便覧」の干支表のやっかいにならねばならぬという体たらくなのである。
 もちろん、すっと読めるのもある。甲子園は「きのえね」(一番目)の年に出来たとか、「ひのえうま」を「丙午」と書くから、「丙」を「ひのえ」(四十三番目)と読むとか。
 大昔、女子校で古典を教えていた時、この丙午の話をし、この年生まれの女性は男を喰い殺すとコメントした時、教室の空気が急に冷ややかになった。あっと思ったが後の祭り。彼女たちこそ丙午生まれだったのである。何ともフォローのしようがなく、這々の体で職員室に逃げ帰った。後で聞くと、彼女たちは小さい頃から何度も何度も聞かされてウンザリなのだという。この事件以来、否が応でも一九六六年が丙午だと身についた。私は、だから、干支が判らなくなると、この一九六六年から数え直すことにしている。
 これが隠すことなき現代の教員の実力である。恥ずべきことなのか、今の世では仕方がないことなのか、そのあたりはよく判らない(一応、古典は専門ではありませんからと小声で言い訳はしておこう……)。
 還暦は、言葉も風習もしっかり残っている。でも、この六十年周期という感覚は現代では希薄になっている。寿命が八十五歳(女性)の世の中、百年周期が合理主義からも生理的な部分からもしっくりくるのだろう。アナウンサーの間違いもあながち故なしとはしないようだ。

 

 半月ほど前、イタリアンレストランで誕生日のランチをした。実際の誕生日は仕事が忙しい日なので、ちょっと早めの夫婦二人の誕生会。予約特典で、コース最後のケーキの皿に「ハッピーバースデー」とチョコレートクリームで書いてくれた。書いたシェフは若いカップルを想像していたのかもしれないが、いやいや、二人合わせると百歳直前のオジサンオバサンである。ケーキに花火が刺さっていてパチパチいって、派手なこと派手なこと。周りの注目を浴びて、結構、恥ずかしかった。ただ、慣れぬイタリアン。帰ってから、案の定、お腹がもたれた。やっぱり、若者行動すると、かなり無理が出るなあ。

 2007年03月13日
  お水取り
 昨日は東大寺お水取り。本格的な春を告げる風物詩である。東大寺創建以来、一度も途絶えたことがないそうで、今年、一二五六回目だという。週一回で二千回を超えた長寿番組「笑点」の比ではない(そんなもんと較べるなと怒られそうだ)。年一回の行事でこの数は、日本の歴史そのものを表しているかのようで、ちょっとクラクラした。
 大昔、二月堂・三月堂を時間をかけて見て回ったことがあった。夫婦で本当にゆったりとした時を過ごした。三月堂では、お坊さんが説明のため懐中電灯で仏像の顔を照らし、仏様は眩しくないのか、失礼ではないかと心配したりした。その後、大湯屋に続く、ほとんど人通りのない裏参道を巡ったが、二月堂をバックにした階段道の景色に感激し、なんて美しい場所だろうと日本の美を発見したかのような気持ちになったものだ。あとから、写真や絵などでとびきり有名なスポットだと知って、ちょっとガッカリしたのもいい思い出。
 今でも、この時の旅行のことはよく覚えている。「お互いよく覚えているね。新婚当初だったから、なにかと新鮮だったのだろうねえ。」と、今、この文章を書きながら、夫婦で思い出し合いをした。あの時、お土産を買わなかったけれど、今思えば買っとけばよかった。若くてお金の余裕がなかったから我慢したのだろうね、などと、しまいには、迷ってついに買わなかった土産物のことまで思い出してしまった。
 あの時も、今度は是非お水取りの時に来てみたいねと話し合ったものだ。でも、私の仕事は三月が繁忙期。行きたい行きたいと思いながら、ここまできた。
 早いもので、我々もいい中年になり、若い頃を懐かしく思い起こすことが多くなった。まだまだ追憶にふけるには早いようにも思うけれど、この辺りの年齢で、ちょっとそんな心境になるのかもしれない。もっと歳をとったら、いや、まだまだオレは若いぞ、などとと言い始めるかも知れないけれど……。
  他のご家庭の、五十歳前後の夫婦の会話って、どんなのだろう?
 2007年03月11日
  (つづき)

 この逆転の印象は、開田展を見はじめてほどなく感じたのだが、それは、なにもここだけに限った話ではない。すでに終わった議論なのだということにもすぐ気づいた。おそらく、そうした現象が今のアートシーンの逞しさを支えている。
 昔々の、アートが上で消費されるデザインは下という階級化は、今や完全に相対化され、何をもって芸術性が高いかなどという問い自体が無意味になっている。現代を映しているものこそ現代芸術という前提なら、昔流行ったポップアートの果たした役割の一つである、難解から開放し大衆のもとへという精神の、増幅された「今」の行き着く先は、おそらく、孤独に「リアル・ユートピア」を夢見るほうではなく、皆と一緒に懐かしい「怪獣と二十世紀の夢」を紡ぐほうだ。
 現代の生活の中に、アートの要素は、以前に比べて大幅に入り込んできている。物があればよいという時代から、デザイン性の高いものを選ぶという時代へ。あらゆるものの洗練度はぐっと上がってきているし、消費者の審美眼も高くなっている。そうした美術の裾野の広範な拡大と受容者との密接な関係性にこそ「今」という時代の特徴がある。
 だとすれば、現代アートの表現行為に個の世界の淋しさを感じ、パッケージングやフィギィア、製品デザインなどに未来性や逞しさを感じるのは、まったくもってそれ自身がもつ性質なのであり、当たり前のことを思ったにすぎないと納得した。
 かたや中心部の特別展示室を何部屋も使った中心展示、かたや狭い小部屋一室での展示というあたりに、階級制の残滓があるようにも感ずる。公の美術館が「スターウォーズ展」をする時代、確か、昨年、政府も欧州で「オタク」「アキバ」をキーワードにしたジャパニーズ・コミック・カルチャー展をやったはずである。今後、特別展での思い切った展開を期待したい。
 今冬、オーソドックスな日本画・現代アート・商業イラストと、三者三様、多様な表現を観た。表現者は、一つの作品にこめる意味に止まらず、常にその形で表現をすること自体の意味も心に問わなければならないはずで、そんなことを突きつけられる今の時代、美術とは、楽しいけれど苦しい仕事だろうなと思わずにいられなかった。

 

 2007年03月10日
  (つづき)
 このうち、「怪獣と二十世紀の夢」と題された開田裕治展は、怪獣やロボットのプラモデルや映像ソフトのパッケージを描くイラストレーターの仕事展。パソコンを使って作られた原画のほかに、実際の箱やフィギュアが置いてあって、大人も子供に戻って楽しめる。
 作家の解説プレートを読むと、この仕事、マニアの購入欲を刺激するするような絵でなければならぬという大前提の上に(対消費者)、商品ロゴが入るスペースを考慮せねばならなかったり、プラモの完成予想図でもあるので、商品とのかねあいを考えて細密度を決定せねばならないなど、商業デザインとして様々な制約があり(対発注者)、もちろん、自らの創造性の発露も大事で(対制作者)、絵柄決定の落としどころが難しい仕事だと感じた。
 箱絵というのは、典型的な消費される作品であるが、なんだか、こうしたきつい制約の中で、リアリティ豊かに、映像ソフトでロボットを描いていくことのほうに、よりクリエイティビティを感じ、現代らしさを感じた。享受者とのコミュニケーションの敷居が低く、シンパシティを感じやすい。日本のカルチャーとして世界に発信されたオタク文化とダイレクトに地続きの仕事である。
 反対に、一切の制約がない中で、現代芸術らしい驚きを与えたいがために、現代美術のアーティストが制作の現場ですることといえば、手縫いの縫いものだったり、単調な根気の要る板の張り合わせだったりと、昔ながらのアナログな手仕事の世界である。その上、そうした作品は、芸術は芸術家の自己表現であるという、旧来の作品観を無批判に呑み込んだ既定の世界の中で作られているような、一種の「あぐら」感を感じる。そこに現代文明批評性がたっぷり含まれていても、それは個人の表現としての思想という枠組みから抜け出てはいない。アクティブな現代社会とのリークが希薄な、孤独な個の表現世界というふうに感じる。
 そうした精神と制作手段の印象から、制限のない現代アートのほうがなにやら古典的なものに感じられ、アニメや特撮でお馴染みのキャラクターを描いていく、消費される無記名性の強いのイラストのほうに作品としての強さを感じることとなったようだ。(つづく)
 2007年03月09日
  美術展めぐり
  この冬、二つの美術展を見た。一つは、石川県立美術館にて、金沢で生まれ、京都で活躍した日本画家石川義(ただし)の回顧展。ほとんどが全国各地で写生した作品で、説明板に写生地が明記されているのが通常の展覧会と違っている。現地での下絵には日付、時刻、色の記録などの情報が記入されており、描いている作家の様子が彷彿とされた。構図的には、日本画特有の省略の美を効かしているものも多いが、あくまでも、その土地土地で凝視した風景の表現、具象画の世界である。
  体を後に引いて大判の絵を眺めると、一枚一枚に基調となる色があることに気づく。全体に赤っぽいもの、緑っぽいもの。そのモチーフを描くのに、どんなトーンを選ぶのか。美術家はまずそこから絵のイメージをスタートするのかもしなれない。空間構成も手堅い。大ベテランらしい絵柄で、素直にいい絵だと感じる作品が並び、心落ち着く展覧会だった。
 もう一つは、金沢二十一世紀美術館の「リアル・ユートピア展」なる四人展。
 イ・ブルは、サイバー系アニメの発想を現代アートに仕立てた感じ。草間弥生・木村太郎は、ギミックの楽しさが命の作品で、それぞれ面白かった。ただ、故岸本清子のものは、漫画チックな長尺な絵画で、戦前(昭和十四年)生まれ世代として、当時は斬新な表現だったのだろうが、今や高校美術部部員の半数は、こうしたアニメもどきの絵を描く。高文連美術部展や高校の文化祭でよく見かける絵柄の大作版というイメージしか受けず、もう乗り超えられた作品と理解した。展全体として、作品量が少なく、あっけなかったというのが正直なところ。
 しかし、再訪となる「コレクションU」展、これも再訪となる奈良美智の大きな女の子の頭がついた家の展示や別棟の公開アトリエ、小部屋一室ながら楽しめた開田裕治展などの併設展や、ミュージアムショップを見てまわると、充分に楽しく満足感を得ることが出来た。幾つもの企画が同時並行で実施されている複合型美術館ならでは愉しみである。(つづく)
 2007年03月06日
  春の夜

 歓送迎会の当番幹事が私だという。早く企画をせねばならぬ。料理店も混むシーズンである。自分が自分で作る自分のための送別会案内になる可能性絶大。ちょっと考えて、文案は春の夜の漢詩から始めることにした。

 

           歓送迎会のご案内
                                              幹事(私の名)

 

  春宵一刻値千金:春の夜は、みじかい時間でも千金の価値がある
 花有C香月有陰:花は清らかな香りがあるし、月は闇の雲に陰っている
 歌管樓臺聲細細:宴の歌声と楽器の音色が楼台から微かに聞こえてくる
 鞦韆院落夜沈沈:昼間は宮女が乗ってにぎやかだったブランコの

         ある中庭も、今、夜となって人影はなく、静かに更けていく
                     (蘇軾「春夜」 拙訳)

 

 春の夜の心の揺れには、待ちわびた春の訪れの歓楽も、また、人が去った後の寂寞をも含んでいるのでしょう。去る者有れば来たる者有り。この度、○名の先生が異動されることとなりました。(私の名)先生は十五年、……(以下複数対応)の長きにわたり本校で教鞭をとられました。この間、本校の教育に、どうたらこうたら、なんたらかんたら。そして、新たに△先生(複数対応)をお迎えいたします。春の宵、ふさわしき処を得て、名残を惜しみ、新しい抱負を分かち合いましょう。皆様方のご参集をお願い申し上げます。


                            記


  日  時  平成丁亥歳四月×日×曜日 午後七時より
    場  所   ○×楼 (石川県金沢市○×町)
    会  費   ○千円

 

 宴では、下座の私が司会をして、私に話を振り、私がタッタと上座に走っていってお別れの挨拶をするという図を思い描いて、一人で笑った。
 せっかく、頭が「春の夜」イメージになったので、即興で作った古歌風一首。もちろん、藤原定家の本歌とりである。

 

   春の夜の夢の浮き橋わたりつつ雲居に隠る月のまだ先

  

(三月も中旬以降になると生臭くなる話題。笑い話の今のうちにアップ。)

 2007年03月05日
   真ん中がない

 話題を続ける。もう何度もこの話題には触れていて、最早、繰り返しの世界だが、しばらくお付き合い願いたい。
 愚妻は手藝が趣味。日々作るというわけではないが、時に、縫い物や編み物をする。彼女からの受け売りによると、以前、繁華街に古くからある服地屋さんや高級毛糸屋さんがあって、ショーウインドウには、素人向けながら、ブランド服地や輸入毛糸が並んでいたという。そんなお店がなくなって、今は、県外資本の郊外型大店舗の手藝店が主力になっているそうだ。だが、彼女に言わせると、そういうお店は、初心者向けのものは色々置いてあるが、上級者向けのものがあまりないのだという。女の子が彼氏に手編みをプレゼントする時などには充分対応するが、腰を入れてやっているベテラン層はターゲットにしていないというのである。
 昔は、多くの主婦が縫い物や編み物をしていた。だから、ご近所に手藝の達人が何名もいらっしゃった。手の込んだ洋服さえもさっさと作る腕前。レベルが高かったのである。そんなベテラン主婦文化は完全に廃れた。うまい人の絶対数が激減した。そこで、商売として素人向けにシフトするのは致し方ないことなのだろう。
  この話を聞いて、オーディオの世界も同じだと愚妻に話した。レコードプレーヤー購入の時にも実感した話である。
 デジタル化して、お手軽にいい音で聞けるようになった結果、ミニコンポで充分となり、数万円程度のセットものが主力となった。この結果、フルサイズ単品オーディオの需要が激減した。一つ何十万円の超高級市場は未だ健在だが、勤め人がちょっとピュア・オーディオに触れてみたいレベルの層がぐっと薄い。
 プロや高級は生き残る。真ん中がなくて入門向けが生き残る。分布表でいうと二瘤というのが現代の状況なのだろう。しかし、何事も正規分布が望ましい。本当に文化を支えているのは熟達のデレッタントなのだから。そこがなくなると、これはプロの世界だから当たり前、こっちは素人、出来る範囲ですればいいやで終わってしまって、文化全体の底上げにならない。
 この話でもっとも恐いのは、子供たちの学力も今やそうなりつつあること。
 なにをどうしたら直るのだろう? と心の中で問題提起してみるのだが、そこから先は、それ、ご存じのボンクラ頭。さっぱり思い浮かばないまま終わるのであった。

 

 2007年03月04日
  老父用ラジオを買ったけど

 以前、BCLラジオの話を書いた。その実家のラジオ(ナショナル・GXワールドボーイRF-858)のスイッチの接触が悪くなったと父から連絡があった。私が子供の頃に買った三十五年間現役の三バンドラジオ。調子が悪くなって当然である。愛着があるので、我が家で引き取ることにし、年寄り向きだとネットで評判のいい機種(ソニー・ICF-M770V)を買った。
 確かに、大きな日本語表示で、高齢者を念頭においた製品ということは一目で判る。スピーカーも大きく聞きやすい。局もプリセットされていて、チューニングダイアルをまわす必要もなく、操作も最低限ですむ。目の悪い老父にもまず間違いないと、実家に行って、父に操作方法の説明をしたのだが、どうも、すっきり、「文句なし。」とはならなかった。
 まず、バンド切り替えボタンと局別のプリセットボタンとが同じ形で、並びも同列なので間違えやすい。また、晴眼者だったら、今、中波かFMかテレビ音声か、デジタル表示でわかるが、視覚障害者にとっては、このタッチ式というのはわかりにくいらしい。バンド切り替えは、スライドスイッチのように、物理的に動いて、触って場所が判るものがよいということだった。
 言われてみれば、その通りで、どれだけ健常者がおもんばかっても、実際に使う人からみるとやっぱり不都合がある。慣れの問題もあるから、一応、使ってみようということになった。
  さて、久しぶりに自分のものになったワールドボーイ。私は、このラジオを聴いて大きくなったようなものだ。前面パネルの「IC」という字が誇らしい。ICが使われていること自体が自慢だった時代である。ポータブルながらスチール製でずっしり重く剛性感がある。積年の汚れを落としてやると接触もいくらか改善した。今、少しリフレッシュした面持ちで我が家の棚の上に鎮座ましましている。
  昨年、卓上ラジオ(パナソニックRF-U700)を買って、我が鉄筋マンションは磁場ノイズだらけということが判った。FMはいいが、中波はブーンというハム音が入って聞きづらい。ところが、この古いラジオはそれがしっかりカットされている。その上、部屋の奥に持っていっても感度が落ちない。出てくる音の耳あたりもいい。なんと素晴らしい。
 今回、父用に買った機種も同様の実験をしたが、これは悪くはないというレベルだった。結局、このオールドボーイ(?)が一番高性能だということが一聴瞭然だった。
 今、出ているもので、こうした基本性能がしっかりしていて、何十年と長く使えそうな機種はほとんどない。ラジオに高性能を求める人がいなくなったからと言えばそれで終わる話だが、一体、いつ頃からこうなったのだろう。世の中、それで不便している人もいるというのに……。

 

 2007年03月03日
  金属泥棒

 金属の高騰を受けて、盗難が多発しているそうだ。電線が盗まれ電気を送れずというのはいい方で、電車のレールもなくなったという。ヘタをすると大惨事である。今朝のNHKニュースでは、それに続けて、高い塔の上の火事を知らせる鐘までも盗られたという。
 私の耳は、そのフレーズでとまった。中身より、言い方が気になったのである。そのことを、普通、「火の見櫓の半鐘」というのではないか。「火の見櫓」がまず判らない。「半鐘」はもっと判らない。そこで、こういう言い方になったのだろう。両語とも死語扱いされたわけである。
 土曜夕方、NHKの「週刊こどもニュース」は、難しい政治・経済の言葉を判りやすく言いかえてあって、ああ、子供にはこう説明するのだと、その言いまわしが面白くて、時々チャンネルを合わせる。なんだか、今朝のニュースを聞いて、それと同じ扱いを大人にやられたようで、ちょっとお子様気分だった。

 なんでも、気象庁は「宵のうち」という言い方を廃して、「夜のはじめごろ」と言うことにしたらしい。「宵」が何時頃か判らない人が多くなったからとのこと。これも同じ話。間の抜けた言い方だなあ。

 ところで、その時、疑問に思ったのは、なぜ、半分の鐘と書くのかということ。国語辞書レベルでは説明されてなくて、今も判らない。すっきりこなかったが、その下の項目に「半鐘泥棒」というのがあるのではないか。まったくもって、今のニュースの話である。へえ、昔からよく盗まれたのだと思って、説明を読むと、全然、違っていた。
 「背の高い人をあざけっていう語」
 なあるほど。上手い。江戸ッ子らしいユーモア。
 よし、この言葉を覚えとこうと思ったけど、ちょっと待て。いったい何時使うんだ? 他人の身体的特徴を云々するのは、今、過敏なほどタブーである。おそらく、こっちは使用不適切語。
 なんだ、どっちにしろ、もう死語だ。

 2007年03月01日
  暖冬の正統的余波
  二月の初めに、ほんの数センチの積雪があっただけで、今年の冬は終わるのだろうか。二月も好天が多く、底冷えするほどの日はほとんどなかった。コートを着ずとも何とかなる。この前なぞ、十六度を超えて四月上旬並の気温だったという。北陸人はそれを幸運としながらも、温暖化を実感して、地球、大丈夫かねえと心配を口にする。愚妻にかかると、「この年から北陸では雪が降らなくなった、その異常気象一年目として後に歴史に刻まれることとなった」となるんじゃない? とブラックな言い方になる。
 昔、人間ドッグで、花粉アレルギーと診断された。春スキーで杉花粉が粉雪のように落ちる中、平気でリフトに乗っていた私は、指摘されても実感が湧かず、「へえ?」という感じであった。
 ところが、ある年を境に、やっぱり、花粉症になった。不思議なことに、毎年発症するわけでもなく、問題のない年もあって、ここのところ「当たるも八卦当たらぬも八卦」のような春を過ごしていた。
 半月程前、ちょっと目がしょぼしょぼした。眼精疲労だろうと気にもとめないでいたが、プールで一緒に歩いていたオバサンが、「今年は異常に早いね、もう花粉症になっちゃった。」と言うのを聞いて、はたと気がついた。この目の痒さ、間違いなく花粉症だ。
 夏の水不足、農業への影響と、春以降、色々なところで問題がおこるのではないかと心配していたが、何のことはない、そんな大所高所を心配する前に、自分の方がさっさとその影響に見舞われていたのであった。
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