ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年04月10日 :: 「かぜさそふ〜」手術に行くときに詠む歌?(入院話題4) |
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大部屋病室には、色々な人が入院してくる。Kさん(72歳)は、農業の方。作業中に動けなくなって入院。脊椎狭窄症で手術ということになった。私の方は、手術を済ませたリハビリ期で、病院ではちょっと先輩になる。他の同室の人たちと一緒に、手術に関して多少のレクチャアをした。 当日。看護師が麻酔を効きやすくする注射を打ちに来て、いよいよ手術室にいくことに。その時のKさんと看護師との会話。 Kさん「『風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせん』やな。」 看護師「Kさん、それ何?」 Kさん「手術するときに詠う歌や」 看護師「Kさんつくったん?」 Kさん「違う。忠臣蔵や」 看護師「討ち入りの話?」 Kさん「そうや」 看護師「???」 端で聞いていて、全然噛み合っていない会話に、こっそり吹き出した。彼女は何故、急に患者さんが和歌を詠んだのか、それが討ち入りとどう関係しているのか、さっぱり分からなかったに違いない。 ガラガラと、ベットの移動開始である。 最後に、私が声をかけた。 「Kさん、頑張ってね。でもね、切るのはお腹でなくて背中だよ。」 看護師さんにわかったかしら?
さて、エピソードとしては、これで終わり。今回、この文章を書くために、正確に浅野内匠頭の辞世の歌を書こうと、ネットで調べると、ちょっと困ったことになっていた。「いかにとやせん」と「いかにとかせん」の二種類の記述がある。 「か」と「や」。どちらも疑問・反語なので、間違いではない。和語の場合、「か」のほうが、強いニュアンスで、疑問反語詞を先に伴うことが多く、また、主に自分のことに使うという傾向があるので、ここでは「か」にした。「や」のほうが聞き慣れた表現なので、そちらに引きずられたと私は解釈したのだが、正確なことは分からない。ついには、古い「国歌大観」の目次を繰ったのだが、出ていなかった。(「国歌大観」なんて、正直、何十年かぶりに開いた。その歳月の遠さに、自分でも吃驚。学生時代以来かもしれない。) 日本史上、あまりに有名な歌だが、文学作品として認知されている訳ではないということなのだろう。まして辞世歌である。 最後に、参考までに、現代語訳を掲げておこう。 「風に誘われて散ってしまう桜の花びらは名残り惜しいものだが、自分はもっと強い名残りのくやしさを心の中に残している。この自分の気持ちをいったいどうしたらいいのだろうか」 春の桜に託して、上の句で自分が切腹することをいい、下の句で、本懐を遂げることができなかった無念さをいっている歌である。
あれ? ということは、もしかしたら、Kさん、手術が失敗して、死亡なんてことになったら恨みが残りますよと、看護師さんを脅かしたつもりだったのかもしれない。
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