ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年07月06日 :: 「この味がいいね」と君が言ったから。 |
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今日は、「記念日の日」だそうである。朝、ラジオで紹介していて、初めて知った。記念日を記念する日なんて、ちょっと訳が分からないと思ったが、実は、日本記念日学会なるものがあって、そこが、「記念日の普及を促進するため」に定めたのものだという。当初は別の日だったが、例の俵万智の「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という短歌が、「記念日」として、余りに有名なので、5年前から今日に変更になったそうである。 ということで、今日は、「サラダの日」でもあるらしい。 女性は、この歌のように、大好きな人から自分の料理を褒められたことを、一生忘れないもののようだ。でも、それが、何月何日のことなのかまでは覚えている人はほどんどいない。褒められた事実が大事なのだから、それが普通である。 この歌は、そんな極「私」的な出来事を、記念日にする! と宣言することで、つまり、「公」的に扱うことで、日付を錨にして、はっきりと記憶に繋ぎ止めようとしている。そこに、この歌の新鮮さがあり、彼女ならではの個性がある。 大抵の女性は、その後、結婚し、料理もうまくなって、旦那や子供に美味しいと褒められることもあるだろう。でも、そんなのは覚えていない。独身の時の、彼氏に褒められた、その一瞬の経験だけが、キラキラ思い出格納庫に収納されることになっている。 この七月六日という日付、だから、万智ちゃんの、極めて「私」的な祝祭の日のはずである。それが、ここまで全国的に有名になって、記念日化してしまっては、元々この言葉が持っていた「公」的な意味だけに戻ってしまったことになり、「私」と「公」を結びつけた歌の含意が台無しになっているのではないかと思えた。 それに、二十歳半ば(当時)の女の子の思い出に、日本人全体が乗りかかるような事態になっていることに、彼女自身、面映ゆさを感じて気が重いのではないだろうかと思ったものだ。 それもこれも、この日が万智ちゃんの本当に大切にしている思い出の日だと思いこんでいたからの心配である。 しかし、この思いは、次の彼女の打ち明け話で、まったくの杞憂と知れた。なぜ、七月六日なのか。それは、
「恋人同士の記念日に七夕というのでは、芸がない。けれど前日というのなら、その香りを分けてもらえる程度で、グッドなんじゃないかと考えた」 (「万智の交友録」丸谷才一 WEB「俵万智のチョコレートBOX」)
からなのだそうである。つまり、彼女自身、この日付にまったく思い入れはない。文学的虚構としてチョイスされた一日。おそらく、彼氏に褒められた経験はあるのだろう。だが、それがいつのことかは、芸術的効果を熟慮した「仕掛け」として選ばれたのである。 丸谷才一は、この歌に、松尾芭蕉の「文月や六日も常の夜には似ず」という句と同じ精神があると指摘して褒めたそうだ。それに対して彼女は、
「私はこの句を知らなかったのですが、七月六日を選んだ理由は、まさに芭蕉と同じ気分でした。」(同)
と正直に追認している。 七夕を待つ前日の気分に文学的興趣を感じ取る感性は、元禄の俳人、現代の歌人、時に隔てはあれど共通しており、そんなことを思いもつかない凡人の私にしてみれば、いずれにしろ羨ましいかぎりである。 私は、彼女に見事にだまされた訳だが、それだけ、この歌が、若い女性の一瞬の欣喜の心情を見事に描き出す普遍性を持っていたということなのだろう。
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