ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
内容は、文学・言葉・読書・ジャズ・金沢・教育・カメラ写真・弓道など。一週間に2回程度の更新ペースですが、休日に書いたものを日を散らしてアップしているので、オン・タイムではありません。以前の日記に行くには、左上の<前月>の文字をクリックして下さい。
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2005年07月07日 :: ミュージカル「百婆」を観る。 |
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今週月曜日の午後は授業がなく、高文連文化教室だった。蒸した曇天の中、石川厚生年金会館大ホールに大移動。 生徒と一緒に、わらび座のミュージカル「百婆」(脚本・演出 吉本哲雄)を観る。 朝鮮半島より有田に渡来した陶工が、出世し名字帯刀を許される。その夫の死に際し、渡来人のしきたりで葬儀をしたいと願う妻の百婆と、帰化したのだから日本風にすべきと考える息子、そうした日韓の文化の差と同一性をうまく織り込みながら、楽しいミュージカルに仕立てた舞台であった。わらび座にしては、主義主張的でなく、豪華なエンターテイメントになっていた。 いつも思うのが、生徒の無反応。日韓の問題を扱っているので、重い部分もあるのだけれど、渡来語でお経を詠むことになり、その翻訳を間違えてアリランの歌詞になり、葬式中、みんなが踊り出すとか、楽しい場面も沢山あるのに、誰も笑わない。黙って静かに観ていなければならないという脅迫観念が会場全体を支配している。その上、最後のカーテンコールの拍手も続かない。俳優がはけるとすぐ止み、出てくると、また、拍手する。まるで御義理で拍手しているかのようである。 かと思うと、ほんの数名の女子生徒は、最後までコソコソ、クスクスと雑談を続け、その声が会場に響いているにもかかわらず、みんな迷惑しているのに気がつかない。 なぜ、そういうことになるのだろう。 まず、映画などで何百億円使った映像を見慣れている彼らは、舞台程度のスペクタクルでは、すごいと思わないのだろう。ユーモアもおっとりとしていて、刺激のあるギャグに慣れてしまっている彼らには、笑うほどのものでもない。ある意味、彼らはなかなかシビアでクールな観客たちなのである。 つまり、映像世代の彼らは、舞台も映像作品の感覚で観ているから、映画館で観ている感じで黙って芝居を観、つまらないテレビを観ている感じで雑談するのだ。芝居は、観客と役者のキャッチボールで作るものという意識が全然育っていない。だから、大人が観ていて、どこどなく反応が変なのである。 「もっと笑えばいいのだよ。よかったと思ったら、もっともっと拍手してあげようね。」 今日、1年のあるクラスで、そんな話をしたら、だって、笑っていたら、先生に力一杯怒られたもん。と、ある女生徒が、えらく不興な面持ちで言い放った。 わかった。芝居中、ペチャペチャ喋っていたのは、お前だ。
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