ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年07月12日 :: (つづき) |
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Magiは、もともと星の占い師のことで、「旧約聖書」には、オリエントのMagiに関する記述が散見する。エジプト、バビロニア、ペルシャ、インドなどにいた、高い教育レベルを持った占星術の使い手で、民から尊敬されていた。magiは、キリストが生まれる何百年も前から救い主の生誕を予言していた。だから、キリストに会いに行くということは、その預言が成就したことを示しているのである。 ところが、聖書の、たったこれだけの記述は、後世になって色々なイメージが付加されていく。 西洋の宗教絵画では、一行は、しばしば豪華な装いをまとった大人数の集団として描かれ、異国風の駱駝や豹などを伴なっていることが多いという。 それが、いつのまにか三人ということになり、捧げ物ができるのは、相当、社会的地位が高い者に限られるということからか、王様ということになった。名前もついた。則ち、「三賢王」。名は長老の王ガスパール、青年王メルキオール、黒人王バルタザールという。彼らは、中世後期頃には、ヨーロッパ、アジア、アフリカの象徴(擬人像)として描かれれたらしい。それらの地域の人々が、キリストに敬意を表す、という意味合いである。 つまり、世界の民族分布が明確になるにつれて、いわば、全世界がキリスト教に恭順したというニュアンスが付加されていったということになる。これだけでもなかなか興味深い。 magiは、現代の言葉であるmagician(魔術師)の原語にあたる。だから、新共同訳の「占星術の学者」は、「三賢王」や「三博士」より原義に近い、よく考えられた訳ということになる。 ちなみに、ブイヨンで有名なマギーはmaggiと書く。スペルが一文字違う。ただ、人気手品師、マギー司郎・審司師弟のマギーのほうは、勿論、ブイヨンのほうではなくて、占星術の占い師のmagiのほうでしょう。魔術師の司郎・審司という意味。実に由緒正しい名前である。(つづく)
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