ここのところ、吉村昭の随筆を続けて4冊読んだ。 「私の好きな悪い癖」(講談社文庫)が最初。入院中、コンビニ売店においてあった文庫本の中で、唯一、読んでも良いなと思った本である。あとは、「なんたら殺人事件」の類であった。
この本は、実は数奇な(?)運命を辿る。 購入の次の日には全部読んでしまい、その夜、見舞いに来た愚妻に、洗濯物の入った紙バックともに、「ここに入れるよ。」と注意を喚起した上で手渡した。病室に用の済んだものを放置したくなかったのである。 翌々日、戻ってきた黒のフリースが妙に白っぽい。そこで妻を追求したら、あの日、紙袋の中身を、そのまま洗濯機の中に突っ込んで、洗濯してしまったという。鼻紙をポケットに入れたまま回してしまったということは、過去に何度かはある。それだけでも、水槽の中は浮遊物で泡っぽいことになるのに、今回は、文庫とはいえ、本1冊まるごとである。最初、ガッタンガッタンと音をたてたろうに、気がつかなかったのかと聞いたが、分からなかったという。ブザーが鳴り、水槽の中を覗いたら大変なことになっていたそうだ。あの本、たった一日の命だった。合掌。 二冊目「縁起のいい客」(文藝春秋)のほうは、試験外泊の際、単行本で購入した。いずれも近年の随筆を集めたもの。 「白い遠景」(講談社)は、職場の図書館からの借りたもので、四半世紀ほど前の作者壮年のころの作品。近作を読んでから読んだので、時間が逆に流れて、ちょっと違和感があったが、基本的な物の見方は何も変わっていない。 「街のはなし」(文藝春秋)は、前に話題に出したように、市立図書館から借り出した本。十数年前の女性誌への連載。
吉村昭の著作を読むのは、高校生以来である。高校の図書館に新潮文庫のハードカバーシリーズ(図書館用特装本)があって、文庫でハードカバーというのがちょっと格好良く、何冊も読んだ。中身より外見がよかったのである。 その中に、「戦艦武蔵」があった。戦争物を読み始めた最初で、その後、数年の間に阿川弘之の提督シリーズなども読んで、ちょっとした太平洋戦争通になったものだ。阿川作品は、指導者の人間的個性を掘り起こしているが、吉村作品は、言うなれば戦艦そのものが主人公といえ、この小説を読んで、「武蔵」と「大和」は姉妹艦で、しかし、民間で作った「武蔵」の方が豪華船になり、その分重かったという事実を知った。戦歴華やかな艦でもない。建造の挿話が中心をなしていた印象がある。暫く後、別の作者の巡洋艦「瑞鶴」の戦記物を読んだが、そちらの方は華やかな実録もので、それはそれで面白かったが、そうした読み物とこの作品を比べて、この作品の特異性がはっきりしたように高校生ながら思った。戦記物は、安易な読み物か、特定思想を元にした、ある種の「視点」からの裁断が含まれる。それに対し、なんとこの作品のストイックなことか。思想的な裁断はしない、フィクションの美名に安住した安易な展開はしない、嘘は書かないという作者の態度は、今でこそ文学の一つのあり方として見識だと理解できるが、太宰、谷崎らストーリーテラーの作品に耽溺していた当時の私にとっては、これは文学ではなくてドキュメンタリーにすぎないと思った覚えがある。それで、この作者の作品を続けて読むことをしなかったのである。
自分が、ストーリーテラー系、耽美主義作家に惹かれる文学観を持っていることに気づくのは大学生になってからである。小学生の時、子供用ホームズ全集を読破し、中学では、江戸川乱歩を、大人用の耽美的作品も含めて耽読した私は、つまりは、そういう趣味の人だと意識しながら読んでいた訳では、もちろんない。大人になって、文学史的腑分けが出来るようになって、ハッと気がついたのであった。
まったく虚構を入れないということは、原則的にあり得ないことだ。だが、「所詮、小説は虚構に過ぎない。」と喝破して、有効に展開しようと考えるのと、虚構を入れない態度を貫いて書くという立場で、しかし、資料の空白がある場合、事実への最大限のアプローチの上で、実物の人物個性を逸脱しない範囲で、ストイックなイマジネーションを働かすことで埋めていこうというのでは、全然、方向性が違う。できあがったものは事実そのままではないが、事実として受け取っていいと思わせる説得力を持つ。 森鴎外は、歴史小説で、こうした歴史と虚構の問題を考えた先達であることは有名だが、私は、彼の晩年の史伝「渋江抽斎」を読んだとき、虚構を捨てた、淡々とした記述が持つ絶対的な力とでもいうべきものに圧倒された。文体的にも、簡潔の表現の最高峰で、「である」体の理想型だと思った。ここでのある文末は、確かにほかの言い方では駄目だ、確かに「〜である。」で終わるしかない、と我々に思わせる完全なものであった。 鴎外読書以後、芳醇なたっぷりとした肉付きのよい小説以外の小説の魅力も分かったような気がしたものである。
吉村昭は、数年前、真柄教育財団の招きで金沢で講演会があって出かけ、初めて謦咳に接した。彼の文学同様、地味だが誠実な方であった。脱牢者の物語を書いたのがきっかけで刑務所職員向け講演会の講師をつとめるようになった話などを、妻太田洋子との日常生活の断片を織り交ぜながら語った。彼の、多くの関係者への取材を中心とする創作態度が、その時に語られたが、今回読んだ近作の随筆でも、そのことが触れられていて、いくつかの心和む小話もそのまま書いてあったので、あの時の講演の復習をしている気分であった。よく知っている人生の先輩から、何度も同じ話を聞かされる、そんな感じで微笑ましく、作者に親しさがわいた。
私が若い頃一生懸命読んでいた中堅小説家は、今や鬼籍にはいられたり、高齢である。阿川弘之の随筆を楽しみにしている私は、同様のベテラン小説家の随筆をもっと読みたいと思っていたので、「ああ、そうだ、吉村さんがおられた。」という気持ちなのである。
泣く子も黙る随筆の名手かと言えば、そうでもない。最後のまとめを、もう一つうまく締めていたらよかったのにという話もあるにはある。しかし、書きなぐりでない吟味された自在な文章で、無理に受けをねらったような俗気がない。 自宅で書きものをし、時に講演や取材で旅行をする。冠婚葬祭も厭わずに、恩返しと思って出かけていく。そんな日常が描出される。そして、戦争中の故郷日暮里の思い出、行きつけの飲食店での出来事など。 さらりと自分の創作方法や態度に触れたものもあり、今後、吉村論を書く人は絶対引用するであろう記述も散見された。当時を知る人が死に絶えていく現実を前に、戦争小説の筆を折る潔癖さ。以後、それまでの取材を元に、縛りを緩めるような形での創作は可能のように思えるのだが……。 しかし、彼は虚構を峻拒するような偏狭な事実主義者ではない。「文学は文体である」という文学観は、事実を重視する人の発言として、最初、意外な感を受けたが、彼の文学と正反対な感受性と文体を持つように思われる吉行淳之介への高い評価と敬意の念などを読むと、彼がドキュメンタリー作家なぞではなく、実にニュートラルに小説に接している「芸術家」であることが分かる。そして、そこに、同人雑誌に辛抱強く作品を発表しながら腕を磨いていった「文学」に対する思いが伝わるような気がして、印象的であった。
彼は言う。時に出来すぎだと思われ、創作ではなかと疑われるものがあるが、すべて自分の書く「エッセイは事実です」と。小説家として各方面に触手をのばして、ダイヤモンドを探しているが、時に、エメラルドに行き着く場合がある。それがエッセイのネタになるというのである。 知人の町医者に紹介されて大学病院に行き、名前を見た助教授から「小説家と同姓同名ですね。」と言われ、「はい。」と返事をしてしまう話など、クスッと笑ったが、これなど、この医者のほうから、絶好のエメラルドを小説家に提供したようなものだ。 四冊付き合って、親しい叔父さんを見つけたような嬉しい気持ちであった。
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