ものぐさ 徒然なるままに日々の断想を綴る『徒然草』ならぬ「ものぐさ」です。
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2005年05月02日 :: 目がテンになる。 |
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今年の黄金週間は、休みの巡りあわせがよく、10連休という企業もあるとか。我々の商売は、暦通りである。 前半の3連休のうち、2日間は弓道部の大会引率で、昨日は終日家にいた。入院中、大会の引率ができなかったので、久しぶりの大会引率となったが、正直、疲労困憊で帰宅。それで、体力が完全に元に戻っていないことを知る。(単に年をとったからかもしれないが、そうとは考えないことにしておこう。) 前任校で、何のご縁もなかった弓道の部顧問を仰せつかって、早や20年近くになる。今でも弓はひいたことはなく、まったくの門外漢だが、人生のかなりの時間、弓をひく子供たちをじっと眺めていたので、「門前の小僧、習わぬ経を読む」状態になっている。技術指導も少しはする。弓道は、型に合わせていくスポーツなので、行き着く先の理想型ははっきりしているからである。 ただ、お前の射形はここがおかしいよと指摘はできるが、「それは分かっているのだけれど、治らないのです。どうすればいいのですか。」と聞かれたら、それから先は皆目分からない。また、握り手の「手の内」の微妙な力加減などの質問もそう。これらは、コツの範疇で、やっている者しか分からない世界なのである。 弓道にかかわりはじめた当初、難しい専門用語が多いのに、驚いた。現代の感覚では、弓も、バレーボールなどと同様、普通のスポーツの範疇で捉えられていていると思うが、用語には、伝統的な「武道」の世界を強く感じる。江戸以前の、武士の世界のものをしているのだと感じるのである。弓は戦争の道具であり、その昔は狩猟の道具、つまりは、生きるための生死を隔つ道具である。 弓を弾く時、右手にはめる剣道の籠手(こて)のような革製の手袋を「かけ」という。何万本と打って、自分なりの癖が革の皺に反映される。人のものを借りてなんとかなるという道具ではない。 ベテランの先生から、「かげがえのない」という言葉は、この弓道の「かけ」から来ているのだという話を伺ったことがある。かけはその人一人用で、代わりがないというのが原義だという。何年も前の大会の顧問控え室で聞いた話だが、引かない組の我々は、ほうと感心したものだった。私も拝借して、何回か部員への訓話に使ったことがある。 「的を射た」などはもちろん弓道から来ている。今と違って、弓道が生活の中に食い込んでいた加減は、今の比ではない。今はちょっと思い出せないが、弓道起源の言葉は幾つかあるはずである。ただ、この「かけがえのない」に関して言えば、実は、国語的にはどうなんだろうと、内心、思っていた。原義の説明は、眉唾が多く、あとからつけた理屈のことが多く、これもその匂いがする。 心にタスキを掛けるのが「必」という字であるという精神論的説明を、お年寄りはよく使うが、上の世代からそう習ってきたのだろう。しかし、これなど、典型的な間違い。第一、書き順がちがう。タスキは二画目で、まずカタカナの「ソ」と書く。あのころの時代が、そういうことを言わせた時代だったからだろう。 古典の世界でも、同様な俗説がある。例えば、「如月(きさらぎ)」。2月は寒いから「着ているその上に、更に着る」から来ているという説明がそれである。これも、かなり新しい誤まった解釈だ。睦月が早春、如月は仲春、弥生は晩春で、2月は春真っ盛りのはずである。いくら当時から暦は季節を先取りしていたとはいえ、寒いを意味の中心に据えた春の月の異称などある訳がない。そもそも、なぜ「如月」と書くかさえ諸説あって判別し難いくらいである。 にわか指導者なので、その昔、「弓道教本」や指導書を数冊読んで、付け焼き刃の勉強をした。弓道の専門用語を漢字で書くと、見たことがないような画数の多い難しいのが時々ある。これらは、その言葉が発せられても、漢字で難しい字だったなという意識が先に立ってしまって、逆にその用語を覚えられず、苦労した。 それに比べて、生徒は、漢字でどう書くかなんて、何にも思わず、言葉を丸ごと覚えてしまう。定着率は、むろんそっちのほうがいいに決まっている。 普通、授業では、音だけに頼ると、ひどい勘違いをすることがあるよ。どういう漢字なのかを考えようと言っているのだが、こと、弓道に関して言えば、まず言葉自体を丸覚えたほうがよいようである。 さて、今回の大会でのこと。 1年生は入ったばかりで、右も左も分からない。まずは試合を見なさいというのが指導である。選手の射が当たったら、かけ声をかけるのだけが彼らの大きな仕事。「しっかり「射」と声を合わせ大声を出すように。」と言ったら、「先生、うちの学校は「良し」と言っています。」と、横の2年生に言われた。学校によって、この二つのどちらかで応援しているのである。私は、前任校が「射」だったので、そちらの方が先に頭に入っていて、どうしてもそう言ってしまう。 ああ、うちの学校はそうだったね、と訂正したのだが、そのあと、この2年生の女子がとんでもないことを口走った。 「先生、それって、やっぱり、二つ合わせると「よっしゃ〜。」になるからですよね。」 目がテンになった。 そんな口語、格調の高い弓道で使うわけがない。
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